1-11 拡大
「あんたさあ、悪いことは言わない、あの男はやめときな」
「隣の町まで繰り出して、酒場女を口説いていたっていうよお」
「だけどさあ、こんなところろくな男がいないもんねえ」
当然ながら話の種はほとんど他愛のない噂話、男の品定めなどになっている。
イルヴァにしてみれば、
――あんな話、何が楽しいんだか。
としか、思えない。
ただまあ、こんな話題しか出ないことからすると、世の中がそこそこ平和らしいと想像される。
とりあえず話の中から得られた情報。
秋にさしかかって、今年のヒュヴァリネン侯爵領の小麦など農作物の収穫は例年並みかやや不作気味かと予想される。
ただその中にあるケミライネン子爵領の収穫高は、他よりさらに低めになりそうだ。
ここに隣接するキュマライネン伯爵領端の農村に、しばらく前から国の騎士団にいたという男が住みついている。かなりの男前らしい。
来月には子爵領でも祭りが行われるので、着ていく服を調達しなければならない。
といったところだ。
部屋に戻って、イルヴァは頭を押さえた。
――耳が、ガンガンする。
ずっと長い間、人の声などめったに聞こえない環境に一人でいたのだ。
久しぶりの声の渦に、人酔いをした心持ちだった。
それでもその辺は堪えて、数日はこれを続けようとイルヴァは考える。
毎日交わされている、顔見知りたちの世間話なのだ。一回の盗み聞きで、うまく重要な情報がすべて入っている望みは薄い。
というわけで、この日中の諜報活動は四日間続けられた。
かなりいろいろこの周辺の現状が分かってきたので、これはやめることにする。
五日目はパンの支給日なので、活動を控えなければならないという事情もある。どうもいつも来る女はあの休憩前にここにパンを運んできて、休憩後にコップ回収に来ると思われる。その間は動きを控えるべきだろう。
なおこの間に、イルヴァの魔力値は6になった。
空間は六十九個。毎日気配察知を使っている分成造数は減っているけれど、十分な数になっている。
――もうまったく、全部の数を使い切れなくなってるけど。十分な個数があると安心なんだよね。
空の空間が多くなっているが、一応いくらあっても困らないということで、水で満杯にしたものを三十個常備することにした。
またしばらく他に魔法を使わず、空間成造だけに務める。
さらに十日が過ぎると、空間は百三十四個。ほぼ倍増していた。
魔力値が8になった。
その朝、加護からとんでもない情報が伝わってきた。
魔力値8を消費して、すでにある収納空間一個を、縦横高さすべて二倍にできるという。
つまりこれまで縦横高さ10セターの立方体――面倒なので10セター立方と呼ぶことにする――だったものが、20セター立方に拡大できることになる。
――凄いよ、これ!
思わず、イルヴァは小躍りしてしまう。
今までずっと制限されていた収納空間が、大きくなるのだ。
それもどうも、一度に限らない。
今は一日一回の拡大だけど、二日目には40セター立方へ、三日目には80セター立方へ、と拡大できるようだ。
伝えられた情報では一個の空間に対して五回の使用が限界だということだが、それで3・2ガター立方の大きさになる。この部屋の大きさを超えるわけだ。
そしてさらに、他の空間にもその操作ができる。今ある百三十四個をその大きさにするだけで、とんでもないことになる。
さらに今後も五日ごとに魔力値が増えるなら、空間の個数増と拡大をもっとくり返すことができるわけだ。
この日の夜、イルヴァは今まで以上のワクワクを胸に、ベッドの上で態勢を整えた。
視界に見える魔力値が8であることを、しっかり確認。
頭の中で収納空間――いちばん新しい134番にする――を指定して。
「拡大」
と、唱える。
いつも通りの激しい不快感。
イルヴァは意識を手放す。
目を覚ます。
生きていることに、もう不思議は感じなくなっている。
それに心なしか、だんだん目覚める時刻が早くなってきている気もする。
この作業をするようになってから、三十六日が過ぎたことになる。もうそろそろ、身体も慣れてきているのかもしれない。
その辺は、ともかく。
――何を置いても、確かめなくちゃ、
この魔法を使うようになって初めて、空間の数は増えていないけど。最新の134番空間を確かめると。
まちがいなく、20セター立方に拡大されていた。
嬉しさのあまり、片っ端からいろいろなものを出し入れしてみた。
今までは下着程度しか入らなかったところに、薄いシャツくらいなら丸めて入れることができる。
――凄い、凄い。
これからさらに大きく、そして数も増やしていけるはずだ。
果てしなくと言っていいほど、夢が広がる。
けれど、この拡大第一号空間の使い道は、予め決めていた。
戸棚の陰に手を入れ、大事なものを取り出す。
母の手鏡。
20セター立方なら、収納できそうなのだ。
やってみたら、できた。
――やった!
両手を挙げて、イルヴァは歓喜する。
これで、この母の形見は誰にも奪われない。
壊れることもない。
イルヴァが死ぬまで、ずっと一緒だ。
頭の中で、134番を9999番とつけ替える。
この9999番空間だけは、以降絶対他のものを入れたりしない。
永久保存確定、と頭に刻み付けるのだ。
本当なら空間拡大は一日でも早く進めたい。数も増やしたい。
けれどこの9999番の拡大は、もうしない。
空間拡大計画は、また今夜一から始めるつもりだ。
――とりあえず待ち遠しいのは、二日後だね。
この夜一個の20セター立方を作って、二日後にはそれが40セター立方になる。
この大きさだと、窓の格子をまるごと収納できるはずだ。そうすると、外に出ることが可能になる。
その二日後を楽しみにして、この夜から準備をしようと思う。
二階の物置から、男児用の平民に見えそうな服と靴を出してくる。
厨房でパンを調達する際に、これも前から見つけておいた生もの廃棄用の容器から、まだ新鮮なクズ野菜をあるだけ収納。それと、塩を一掴みいただいておく。
次の夜もまた、新しいクズ野菜をあるだけ。加えて、物置からふだん使わないらしい鍋などの調理用具を取り出し、入るものは収納、無理なものは手に抱える。
そうして、二夜連続の拡大。
1番の空間はパン専用で今のところこのままでいいので、2番空間から拡大していくことにする。
――よし、成功。
翌朝目を覚まし、40セター立方の空間ができていることを確認して、イルヴァは拳を握った。
窓の外は、おあつらえ向きの晴天。秋に多い、雲一つない澄み切った空だ。
ウキウキ気分で、パンと残りスープの食事をとる。
まだ昼前。準備を始める。
まず、男児用の服に着替える。靴を履き、狩猟用っぽい帽子を被る。長い髪を、できるだけ帽子の中に丸め込んだ。
必要物で収納できていないのは鍋と玉杓子だけなので、窓の下に重ねて置く。
気配察知を発動して、この近辺に人がいないことを確認。
そうして窓を開き、格子をまるごと収納。
格子は取り出して床に置き、替わりに鍋と玉杓子を収納。
両脚に筋力強化をかけて、準備完了だ。




