“一生”って、そんなに軽い言葉?
「ずっと一緒にいよう」
その言葉を、
私は昔、本気で信じていた。
でも、“一生”は思っていたより脆くて、
人の心は思っていたより簡単に変わってしまう。
だから今でも、
幸せを信じるのが怖い。
「美桜さん、最近よく笑いますね」
朝のミーティングが終わったあと、莉子がぽつりと言った。
式場スタッフたちがそれぞれ持ち場へ散っていく中、美桜は手元の資料を整理しながら顔を上げる。
「そう?」
「はい。なんか前より柔らかいです」
またその言葉だった。
柔らかい。
自分ではまったく自覚がない。
けれど最近、確かに心の中に少しだけ余裕が生まれている気がしていた。
玲司と出会ってからだ。
朝起きる理由が少し変わった。
仕事終わりの時間が楽しみになった。
スマホが鳴るだけで心が反応する。
そんな小さな変化が、少しずつ美桜の日常を染め始めている。
「で?」
莉子が机に肘をつきながら覗き込む。
「次いつ会うんですか?」
「まだ決まってない」
「え〜、もったいない」
「仕事忙しいし」
「好きな人とは会える時に会った方がいいですよ」
その言葉に、美桜の指が止まる。
好きな人。
玲司の顔が浮かぶ。
優しい声。
少し眠そうな目。
静かな笑い方。
好きだ。
認めるたび、不安も大きくなる。
「美桜さんって、幸せになるの怖がってますよね」
莉子が何気なく言った。
美桜は少しだけ視線を落とす。
「……そうかも」
「なんでですか?」
その問いに、美桜はすぐ答えられなかった。
理由はわかっている。
でも、それを口にするのは簡単じゃない。
「昔、信じてたものが急になくなると」
美桜は小さく言った。
「次から信じるの怖くなるから」
莉子は少し黙った。
「……なんかあったんですか」
美桜は曖昧に笑った。
「まあ、色々」
それ以上は話さなかった。
でも、その“色々”は今でも美桜の中に残っている。
高校三年生の冬だった。
初めて、本気で好きになった人がいた。
名前は陽斗。
同じクラスで、サッカー部だった。
明るくて、人気者で、でも美桜には不思議なくらい優しかった。
放課後、一緒に帰った。
テスト前は図書室で勉強した。
コンビニで肉まんを半分こした。
何気ない日々だった。
でも美桜にとっては、その全部が特別だった。
「美桜ってさ、なんか放っとけない」
ある日、陽斗が笑いながら言った。
「すぐ一人で抱え込むし」
その時、美桜は驚いた。
誰かに“気づかれた”気がしたから。
美桜は昔から、“大丈夫なふり”が上手かった。
父がいなくなってから、母を困らせないように生きてきた。
泣かない。
わがままを言わない。
迷惑をかけない。
そうしているうちに、“本音を隠す”ことが当たり前になった。
でも陽斗だけは、時々その奥を見抜くようなことを言った。
「無理して笑ってる時、わかるよ」
その言葉を聞いた瞬間、美桜は泣きそうになった。
誰かに気づいてほしかった。
ずっと。
だから陽斗の存在は、美桜にとって特別だった。
初めて、「この人となら幸せになれるかもしれない」と思った。
卒業式の日。
校舎裏で、陽斗は照れながら言った。
「東京行っても、ちゃんと会いに来るから」
美桜は泣きながら頷いた。
「絶対離れない」
陽斗はそう言った。
「一生、好きだから」
その言葉を、美桜は本気で信じた。
でも、“一生”は思っていたより短かった。
大学に入って半年後。
陽斗からの連絡は少しずつ減っていった。
最初は忙しいだけだと思った。
新しい環境に慣れていないのだと思った。
でも違った。
陽斗には、別の女の子ができていた。
共通の友人から聞いた。
知らない女の子と腕を組んで歩いていたらしい。
美桜は信じられなかった。
何かの間違いだと思った。
だから電話をした。
何度も。
やっと繋がった夜。
陽斗は静かに言った。
「……ごめん」
その一言で、美桜は全部わかってしまった。
「なんで」
声が震える。
「一生って言ったじゃん」
電話の向こうで、陽斗は長く黙った。
それから、小さく言った。
「その時は、本気だった」
その瞬間。
美桜の中で何かが壊れた。
本気だった。
つまり今は違うということだ。
“永遠”だと思っていたものが、
こんなにも簡単に終わる。
愛してると言った人が、
別の誰かを選ぶ。
その事実が、美桜には耐えられなかった。
電話を切ったあと、声を殺して泣いた。
でも一番苦しかったのは、怒りじゃなかった。
“信じてしまった自分”が恥ずかしかった。
期待したから苦しい。
未来を信じたから壊れた。
だったら最初から、信じなければよかった。
それ以来、美桜は恋愛に深く踏み込めなくなった。
好きになりそうになると距離を取る。
期待しそうになると冷静になる。
そうやって、自分を守ってきた。
なのに。
玲司には、それがうまくできない。
仕事を終えた夜。
美桜は帰宅してソファへ座り、ぼんやりスマホを見ていた。
玲司とのトーク画面。
今日も短いやり取りをした。
『夜勤です』
『無理しないでください』
『天音さんも』
たったそれだけ。
なのに、こんなにも嬉しい。
好きになっている。
その事実を認めるたび、不安も大きくなる。
もしまた終わったら。
もし玲司も、突然いなくなったら。
その恐怖が胸を締めつける。
スマホが震えた。
玲司からだった。
『今電話できます?』
美桜の心臓が跳ねる。
数秒迷ってから、『はい』と返した。
すぐ着信が鳴る。
耳に当てる。
「もしもし」
玲司の声が聞こえた瞬間、胸の奥が熱くなった。
『こんばんは』
「こんばんは」
『起きてました?』
「はい」
少し笑いながら答える。
電話越しの玲司の声は、文字よりずっと近かった。
『なんか、声聞きたくなって』
その言葉に、美桜の呼吸が止まりそうになる。
そんなこと、簡単に言わないでほしい。
期待してしまうから。
「……どうしたんですか急に」
『いや、夜勤前ってちょっと眠れなくて』
「緊張するんですか?」
『まあ、何年やっても慣れないですね』
玲司は少し笑った。
『今日も誰か死ぬかもしれないし』
その言葉の重さに、美桜は黙る。
玲司はいつも穏やかだけれど、
きっと普通の人よりずっと多く、“失う瞬間”を見てきたのだろう。
「怖くないですか」
美桜が聞くと、玲司は少し黙った。
『怖いですよ』
静かな声だった。
『助けられない時もあるし』
その声を聞いた瞬間、美桜の胸が締めつけられる。
この人は、いつも誰かの命のそばにいる。
だからこそ、人の温度を大事にしているのかもしれない。
『でも』
玲司が続ける。
『だから、会いたい人には会っとこうって思うんです』
その言葉に、美桜は息を呑んだ。
「……どうして」
『明日会える保証ってないので』
美桜は何も言えなかった。
玲司の言葉はいつも現実的だ。
でも、その現実が少し怖い。
『天音さん?』
「……はい」
『今度、休み合ったらどっか行きません?』
その誘いが嬉しくて、
でも怖かった。
期待したくない。
でも、もっと一緒にいたい。
「……行きたいです」
気づけばそう答えていた。
玲司が少し笑う。
『よかった』
たったそれだけの言葉で、胸がいっぱいになる。
電話を切ったあと、美桜はしばらく動けなかった。
静かな部屋。
外を走る車の音。
スマホだけが、まだ少し熱を持っている。
好きだ。
もう、認めるしかないくらい。
玲司の声を聞くだけで嬉しい。
名前を呼ばれるだけで心臓が苦しい。
でも同時に、不安もどんどん大きくなる。
“もし終わったら”。
その恐怖が、ずっと心の奥にいる。
美桜はソファに座ったまま、膝を抱えた。
どうして恋って、こんなに怖いんだろう。
幸せになりたいだけなのに。
ただ、一緒に笑いたいだけなのに。
それなのに、
好きになるほど、不安になる。
その夜、美桜はなかなか眠れなかった。
目を閉じると、玲司の声が浮かぶ。
『会いたい人には会っとこうって思う』
その言葉が、胸の奥で何度も響いていた。
一生。
永遠。
そんな言葉はもう信じられない。
でも。
“今この瞬間、一緒にいたい”と思う気持ちだけは、
本物なのかもしれない。
美桜は薄暗い天井を見つめながら、小さく息を吐いた。
恋をすると、人は弱くなる。
誰か一人で、こんなにも感情が揺れる。
怖い。
でも。
それでも玲司に会いたいと思ってしまう自分を、
もう止められなかった。
第7ページを読んでくださりありがとうございました。
今回は、美桜が“永遠を信じられなくなった過去”と、玲司への想いが深くなっていく不安を描きました。
「一生」という言葉を信じて傷ついた過去。
だからこそ、玲司に惹かれるほど怖くなっていく――。
次のページでは、初めて玲司の部屋を訪れ、“誰かの隣にいる温かさ”を美桜が少しずつ知っていきます。




