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幸せになりたいだけだった、君と  作者: あーちゃん


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3/25

優しい人は、突然いなくなる

優しさに救われるたび、

心は少しずつ、その人を求めてしまう。


でも、美桜は知っていた。


優しい人ほど、

ある日突然いなくなることを。

「美桜さん、最近なんか雰囲気変わりました?」


昼休憩中、社員食堂の隅でサラダを食べていた美桜に、莉子が唐突にそう言った。


「……またそれ?」


「またってことは自覚あるんですね」


「ない」


「絶対嘘」


莉子はストローをくわえたまま、美桜の顔をじっと見ている。


二十二歳の後輩は、とにかく人の変化に敏感だった。


美桜は視線を逸らしながら、コンビニのサラダを口へ運ぶ。


「別に変わってないよ」


「いや、変わってます。なんか……前よりちょっと柔らかい」


「どういう意味」


「前はもっと、“誰も近づけません”みたいな空気ありました」


失礼な言い方だった。


けれど否定できなかった。


美桜は昔から、人との距離を取る癖があった。


愛想は悪くない。

仕事でも笑う。

人間関係もそれなりにこなす。


でも、それ以上は踏み込ませない。


深く関われば、失う時に苦しくなる。


だから、美桜はいつも“少し遠い場所”に立っていた。


「で?」


莉子が身を乗り出す。


「何があったんですか」


「何もない」


「男ですね」


「違う」


「その間が怪しい」


美桜は小さくため息をついた。


玲司のことを誰かに話すつもりはなかった。


まだ何も始まっていない。

連絡先すら知らない。


ただ二回会っただけ。


それなのに、彼のことを考えてしまう自分が少し悔しかった。


「美桜さんって、恋愛になると逃げそうですよね」


莉子がぽつりと言った。


その言葉に、美桜の手が止まる。


「……なんでそう思うの」


「なんとなくです」


莉子はジュースを飲みながら続けた。


「好きって言われたら嬉しいより先に怖くなりそう」


図星だった。


美桜は笑えなかった。


「図星だ」


「うるさい」


「やっぱり!」


莉子は嬉しそうに笑う。


「でもなんでですか? 美桜さん綺麗だし、仕事できるし、絶対モテるのに」


「そういう問題じゃないの」


「じゃあどういう問題なんですか」


美桜は答えなかった。


答えられなかった。


“愛されることが怖い”


そんなこと、簡単には言えない。


昼休憩を終え、美桜は打ち合わせ室へ向かった。


今日の相手は、来月挙式予定のカップルだった。


新婦は妊娠中らしく、お腹を気遣いながら椅子へ座る。

新郎はそんな彼女を自然に支えていた。


「無理してない?」


「大丈夫」


「飲み物いる?」


「あとで飲む」


二人の会話は穏やかで、空気みたいに自然だった。


美桜はその光景を見ながら、胸の奥が静かに痛むのを感じた。


こういう関係を、人は“幸せ”と呼ぶのだろう。


互いを当たり前みたいに気遣い、

未来を疑わず、

隣にいることを信じている。


昔の美桜も、そういうものを信じていた。


高校生の頃。


初めて付き合った人がいた。


同じクラスの男子だった。


背が高くて、少し不器用で、優しい人だった。


毎日一緒に帰った。

くだらないことで笑った。

コンビニでアイスを半分こした。


「将来も一緒にいられたらいいな」


ある日、彼は照れながらそう言った。


その時、美桜は本当に嬉しかった。


この人なら大丈夫かもしれない。


そう思ってしまった。


けれど、半年後。


彼は別の女の子と手を繋いでいた。


「なんか重かった」


別れ話の時、彼はそう言った。


「美桜って、ずっと不安そうだったし」


あの時の感覚を、美桜は今でも忘れられない。


世界が音を失う感じ。


胸の奥が真っ白になる感じ。


信じた瞬間に壊れる。


その恐怖だけが残った。


それから美桜は、恋愛に本気になれなくなった。


好きになりそうになると距離を取る。

相手が近づいてくるほど逃げたくなる。


そうしている方が安全だった。


傷つかないで済むから。


「天音さん?」


声をかけられて、美桜は我に返った。


打ち合わせ中だった。


「あ、すみません」


「大丈夫ですか?」


新婦が心配そうに見ている。


「はい、少し考え事を」


美桜は慌てて笑った。


仕事中に感情を持ち込むなんて、らしくない。


「では、お色直し後の演出ですが――」


仕事モードに切り替える。


そうしている間は楽だった。


誰かの幸せを形にすることに集中していれば、自分の孤独を考えなくて済む。


打ち合わせが終わる頃には、外は暗くなっていた。


式場を出ると、夜風が少し冷たい。


美桜はコートの襟を寄せながら駅へ向かった。


すると途中で、救急車のサイレンが聞こえた。


思わず振り返る。


赤い光が交差点を横切っていく。


その瞬間、玲司の顔が浮かんだ。


今もどこかで働いているのだろうか。


誰かを助けているのだろうか。


危ない現場にいるのだろうか。


そう考えた瞬間、胸がざわついた。


会ったばかりなのに。


まだ何も知らない人なのに。


どうしてこんなに気になるんだろう。


美桜は小さく息を吐いた。


帰宅すると、部屋は静かだった。


靴を脱ぎ、バッグを置き、ソファへ座る。


その瞬間、どっと疲れが押し寄せた。


テレビをつけても内容は頭に入らない。


気づけば、美桜はスマホを手にしていた。


何をするでもなく、画面を見る。


当然、玲司から連絡が来るわけがない。


連絡先を知らないのだから。


美桜は苦笑した。


何を期待してるんだろう。


自分らしくない。


その時だった。


スマホが震えた。


驚いて画面を見る。


母からだった。


『日曜、お昼作るね』


美桜はしばらくそのメッセージを見つめた。


母の料理。


昔は好きだった。


でも、両親が離婚してから母はほとんど料理をしなくなった。


疲れていたのだと思う。


それでも幼い美桜は、寂しかった。


母に甘えたかった。

抱きしめてほしかった。


でも母もまた、壊れそうだった。


だから美桜は“いい子”になった。


母を困らせないように。

これ以上嫌われないように。


その癖は、大人になった今も消えていない。


誰かに迷惑をかけるのが怖い。

重いと思われるのが怖い。

必要なくなるのが怖い。


だから、本音を隠す。


好きになっても、「好き」と言いきれない。


愛されても、「どうせいつかいなくなる」と思ってしまう。


美桜はスマホを置き、ソファに深く沈み込んだ。


その時、ふと昨日の玲司の言葉を思い出す。


「そばにいるだけでも、助かることはあります」


その言葉は、不思議だった。


美桜はずっと、“役に立たなければ愛されない”と思っていた。


完璧じゃないと。

迷惑をかけちゃいけない。

弱音を吐いちゃいけない。


そうしないと、人は離れていく。


でも玲司は違った。


ただそばにいることを、否定しなかった。


その優しさが、少し怖かった。


優しい人ほど、突然いなくなる。


父もそうだった。


最初は優しかった。

笑っていた。

「ずっと一緒だ」と言っていた。


でも、いなくなった。


元恋人もそうだった。


「好き」と言いながら、別の誰かを選んだ。


だから美桜は知っている。


優しさは永遠じゃない。


人の気持ちは変わる。


どれだけ愛していても、終わる時は終わる。


それなのに。


玲司のことを思い出すと、胸が温かくなる。


その温かさが、怖かった。


翌日。


式場は週末の挙式準備で慌ただしかった。


スタッフたちが走り回り、装花業者が出入りし、衣装担当が慌ただしく連絡を取っている。


美桜も朝から休む暇がなかった。


昼過ぎ。


ようやく一息ついて資料室へ向かっていた時だった。


廊下の角を曲がった瞬間、誰かとぶつかった。


「あ、ごめんなさ――」


顔を上げた瞬間、美桜は固まった。


玲司だった。


「……え」


彼も驚いている。


「なんで」


思わず同時に声が出る。


玲司は手に紙袋を持っていた。


「姉がここで式挙げたんですよ。忘れ物取りに来てって頼まれて」


「そうだったんですね……」


美桜は心臓がうるさくなるのを感じた。


偶然が重なりすぎている。


「天音さん、ここで働いてるって言ってましたもんね」


「はい」


沈黙。


変な空気ではない。


でも、少し落ち着かない。


玲司は美桜を見ながら言った。


「忙しそうですね」


「まあ、土日は特に」


「ちゃんと休んでます?」


またそれだ。


美桜は思わず笑った。


「それ、神崎さんもです」


「確かに」


玲司も少し笑う。


その瞬間、美桜は気づいてしまった。


この人と話していると、肩の力が抜ける。


無理に笑わなくていい気がする。


取り繕わなくていい気がする。


それが心地よくて、

同時に怖かった。


「じゃあ、邪魔すると悪いので」


玲司が言う。


その言葉に、美桜の胸が小さく沈んだ。


もっと話したい。


そう思ってしまった自分に驚く。


「……あの」


気づけば呼び止めていた。


玲司が振り返る。


「はい?」


美桜は一瞬迷った。


でも、言葉は止まらなかった。


「もし時間あるなら、今度……コーヒーでも」


言った瞬間、顔が熱くなる。


自分から誘うなんて、いつぶりだろう。


玲司は少し目を見開いたあと、静かに笑った。


「いいですよ」


その笑顔を見た瞬間。


美桜の胸の奥で、小さな何かが音を立てた。


それはきっと、

長い間閉じ込めていた感情が、

少しずつ動き始める音だった。


でも同時に、心のどこかで別の声が囁いている。


期待しすぎない方がいい。


優しい人ほど、突然いなくなる。


傷つくのは嫌でしょう。


その声は、過去の記憶だった。


父の背中。

元恋人の冷たい声。

母の泣き顔。


全部、美桜の中に残っている。


だから怖い。


好きになるのが怖い。


それでも。


玲司が「じゃあ連絡先交換します?」とスマホを取り出した時、

美桜の心は、ほんの少しだけ未来を期待してしまった。


その期待が、

こんなにも苦しくて、

こんなにも嬉しいものだなんて。


美桜はまだ知らなかった。

第3ページを読んでくださりありがとうございました。


今回は、美桜が“人を好きになる怖さ”と向き合い始める回でした。


優しさに惹かれるほど、失う未来を想像してしまう。

それでも玲司といる時間が少しずつ特別になっていく――。


次のページでは、二人の距離がさらに近づき、「また会いたい」という感情が美桜の中ではっきり形になっていきます。

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