“帰る場所”が、同じになっていく
「ただいま」と言う場所が、
同じになっていく。
そのことが、
こんなにも嬉しくて、
こんなにも怖いなんて知らなかった。
でも私は、
もう一人だった頃には戻れない。
年が明けた。
一月の空気は冷たくて、吐く息が白い。
でも今年の冬は、以前ほど寒く感じなかった。
玲司がいるからだ。
「おはよう」
朝、隣から聞こえる眠そうな声。
「……おはようございます」
美桜は毛布にくるまりながら小さく返事をする。
玲司はまだ眠そうに目を細めていた。
夜勤明けで帰ってきたのは明け方だった。
それでも「美桜の顔見たかったので」と笑った。
そんなことを言われるたび、胸が苦しくなる。
嬉しくて。
怖いくらいに。
「今日休みでしたっけ」
玲司がベッドの中で聞く。
「うん」
「じゃあ、物件見に行きます?」
その瞬間。
美桜の心臓が跳ねた。
物件。
一緒に住むための部屋。
それはもう、“未来”が形になり始めているということだった。
「……ほんとに行くんですか」
美桜が小さく聞くと、玲司は少し笑う。
「行きたくないですか?」
「いや、行きたいです」
本音だった。
怖い。
でも、それ以上に嬉しい。
玲司と同じ場所へ帰る未来を、
ちゃんと見てみたいと思っている。
「じゃあ準備しますか」
玲司が起き上がる。
寝癖だらけの髪。
眠そうな顔。
その全部が愛しくて、美桜は少し笑ってしまう。
「笑いました?」
「髪やばいです」
「ひどい」
そんなやり取りが幸せだった。
以前の美桜なら、“日常”にこんな温度があるなんて知らなかった。
不動産屋へ向かう途中。
玲司は自然に美桜の手を握った。
その温度が温かい。
「緊張してます?」
玲司が聞く。
「ちょっと」
正直に答える。
玲司は少し笑った。
「俺もです」
その言葉に少し安心する。
玲司も怖いのだ。
未来を選ぶこと。
一緒に暮らすこと。
でも、それでも進もうとしている。
不動産屋では、何件か部屋を紹介された。
広すぎる部屋。
駅から遠い部屋。
家賃が高い部屋。
二人で資料を見ながら、「ここ微妙ですね」と小声で話す。
それだけなのに、妙に楽しかった。
「この部屋どうですか?」
担当者が見せてきた間取り。
二LDK。
駅から徒歩十分。
少し古いけれど、日当たりがいい。
「いいかも」
美桜が呟く。
玲司も静かに頷いた。
「落ち着きそうですね」
その瞬間、美桜の胸に温かいものが広がる。
“落ち着きそう”。
それはもう、“一緒に住む前提”の言葉だった。
内見へ向かう。
部屋は静かだった。
白い壁。
小さなキッチン。
広めのリビング。
窓から冬の日差しが入ってくる。
「……いいですね」
美桜が小さく言う。
玲司は部屋を見回しながら笑った。
「ここにソファ置いて」
「テレビそこですかね」
「美桜、絶対クッション増やす」
「玲司さん絶対服脱ぎっぱなしにする」
そんな会話をしているうちに、美桜はふと気づく。
自然だ。
未来を想像することが。
以前なら、“その先”を考えるだけで怖かった。
でも今は。
玲司となら、その未来を見てみたい。
「美桜」
玲司が静かに呼ぶ。
「はい」
「ここ、帰ってきたくなりそうですね」
その言葉に、美桜の胸が締めつけられる。
帰ってきたい。
その感覚を、自分も同じように抱いている。
「……うん」
小さく頷く。
玲司が少し笑った。
その笑顔を見るだけで、未来が怖いだけじゃなくなる。
帰り道。
二人でコンビニへ寄る。
玲司がコーヒーを選びながら言う。
「なんか不思議ですね」
「何が」
「前まで一人暮らしが当たり前だったのに、今は美桜いない部屋ちょっと寂しいので」
その瞬間、美桜の胸が熱くなる。
「……私も」
小さく返す。
玲司は少し目を細めた。
「最近、“帰る場所”になってきましたよね」
その言葉が、美桜の心へ深く落ちる。
帰る場所。
ずっと欲しかったもの。
でも、自分には似合わないと思っていたもの。
「怖くないですか」
美桜は小さく聞く。
「こんなに誰かと一緒になるの」
玲司は少し考えた。
「怖いですよ」
即答だった。
「でも」
玲司は静かに笑う。
「一人に戻る方が、今は嫌です」
その言葉を聞いた瞬間、美桜は泣きそうになる。
一人に戻る方が嫌。
自分も同じだった。
玲司を知ってしまったから。
帰る場所を知ってしまったから。
もう、“一人で平気なふり”には戻れない。
夜。
玲司の部屋。
二人で新しい部屋について話していた。
「カーテン何色にします?」
「美桜に任せます」
「またそれ」
「センスあるので」
美桜は少し笑った。
「玲司さんは?」
「落ち着く感じがいいです」
「曖昧」
そんな会話が愛しい。
「……ねえ、玲司さん」
美桜が小さく呼ぶ。
「はい」
「私、最近ちょっと変なんです」
玲司が首を傾げる。
「どう変なんですか」
美桜は少し迷った。
でも、ちゃんと言いたかった。
「未来考えると、前は怖いしかなかったのに」
声が少し震える。
「最近は、“楽しみ”って思っちゃう」
その瞬間。
玲司の表情が柔らかくなる。
「うん」
「それが、まだ少し信じられない」
玲司は静かに美桜の手を握る。
「じゃあ、少しずつ慣れていきましょう」
その言葉が優しい。
「急に全部信じなくていいので」
以前も言われた言葉。
でも今は、その意味が前よりわかる。
幸せって、
急に信じられるものじゃない。
少しずつ、
積み重なっていくものなのかもしれない。
「……玲司さん」
「はい」
「私、玲司さんと住みたいです」
その瞬間。
玲司の目が少しだけ揺れた。
「本当に?」
「うん」
怖い。
でも。
それ以上に、一緒にいたい。
玲司はゆっくり美桜を抱きしめた。
「嬉しい」
その声が少し掠れている。
美桜の胸もいっぱいになる。
「……ねえ、美桜」
「はい」
「ちゃんと幸せに、なりましょうね」
その言葉を聞いた瞬間。
美桜の中で、何かが静かに変わった。
“幸せになる”ことを、
怖がるだけじゃなく、
望んでもいいのかもしれない。
玲司となら。
そう思えた。
夜は静かに更けていく。
ベッドへ入る。
玲司が後ろから抱きしめる。
その温度に包まれながら、美桜は小さく息を吐いた。
安心する。
怖いくらいに。
でも今は、
この温度を失う未来より、
“この先も一緒にいたい”気持ちの方が大きくなっていた。
「玲司さん」
「はい」
「私、ちゃんと頑張ります」
玲司が少し笑う。
「何を」
「一緒に幸せになること」
その瞬間。
玲司は美桜をぎゅっと抱きしめた。
「俺も頑張ります」
その声が耳元で優しく響く。
美桜は目を閉じる。
もう一人じゃない。
“帰る場所”が、
少しずつ同じになっていく。
そのことが、
怖いくらい幸せだった。
第23ページを読んでくださりありがとうございました。
今回は、二人が“同じ家に帰る未来”へ向かって動き始める回でした。
未来はまだ怖い。
でも、その怖さより“一緒にいたい”が大きくなっている。
美桜にとって、それはとても大きな変化でした。
次のページでは、ついに二人が“人生を共にする覚悟”を言葉にし、本当の意味で“家族”になろうとする瞬間が訪れます。




