幸せになっても、いいのかもしれない
ずっと、
幸せは“選ばれた人のもの”だと思っていた。
ちゃんと愛されて、
ちゃんと守られて、
ちゃんと帰る場所がある人だけが、
手にできるものだと思っていた。
でもあなたは、
そんな私の手を取って言う。
「一緒に幸せになろう」と。
玲司に「結婚したい」と言われた夜から、美桜は少しおかしくなっていた。
世界の見え方が変わってしまった。
駅前を歩く夫婦。
スーパーで笑い合う家族。
ベビーカーを押す父親。
以前なら、どこか遠い世界のものだった。
でも今は違う。
自分にも、そんな未来があるのかもしれない。
そう思ってしまう。
その感情が嬉しくて、
でも怖かった。
「美桜さん、今日ぼーっとしすぎです」
式場の控室で、莉子が呆れた顔をした。
「え?」
「さっき同じ資料二回印刷してました」
「うそ」
「本当です」
美桜は顔を覆う。
「重症ですね」
「やめて」
莉子はにやにやしている。
「何かありました?」
美桜は少し迷った。
でも、隠しきれなかった。
「……結婚したいって言われた」
その瞬間。
莉子が固まる。
「え?」
「玲司さんに」
「え???」
莉子の声が裏返る。
「ちょ、待ってください、え、プロポーズ?」
「まだそこまでじゃない」
「でもそういうことですよね!?」
美桜は顔が熱くなる。
そうだ。
玲司は、“未来”の話をした。
しかも真剣に。
「……どう思いました?」
莉子が少し真面目な顔で聞く。
美桜は静かに息を吐く。
「嬉しかった」
その言葉を口にした瞬間、自分でも胸が熱くなる。
嬉しかった。
本当に。
「でも怖かった」
莉子は静かに頷く。
「ですよね」
「私、結婚とか家族とか、ずっと怖かったから」
父がいなくなった日。
静かになった家。
泣いていた母。
あの日から美桜の中で、“家族”は壊れるものになった。
だから、“幸せな未来”を信じることができなかった。
でも。
玲司といると、その未来を見てみたいと思ってしまう。
それが何より怖かった。
「でも、美桜さん」
莉子が小さく笑う。
「最近すごく幸せそうですよ」
その言葉に、美桜は少し黙った。
幸せ。
その響きに、以前ほど抵抗がなくなっている。
玲司といる時間は、確かに幸せだった。
朝、眠そうな声で「おはよう」と言われること。
仕事終わりに迎えに来てくれること。
疲れた日に「頑張ったね」と言われること。
そんな小さなこと全部が、美桜を救っていた。
仕事終わり。
外へ出ると、雪が少し降っていた。
スマホが震える。
『終わりました?』
玲司から。
その文字を見るだけで、胸が温かくなる。
『今終わった』
返信すると、すぐ既読がつく。
『今日は美桜の好きなプリンあります』
思わず笑ってしまう。
こういう何気ないやり取りが愛しい。
『買って帰ってください』
『はい』
その会話だけで、帰るのが楽しみになる。
帰る場所。
以前の美桜には、そんな感覚なかった。
玲司の部屋へ着く。
玄関を開ける。
「ただいま」
自然に言う。
キッチンから玲司が顔を出す。
「おかえり」
その声だけで、泣きそうになる。
温かい匂い。
シチューの匂いだった。
「玲司さん作ったんですか?」
「今日は頑張りました」
玲司が少し得意げに笑う。
その顔が可愛くて、美桜も笑ってしまう。
こんな時間が続けばいい。
最近、本気でそう思うようになっていた。
食事をしながら、玲司がぽつりと言う。
「今日、職場で結婚の話になったんです」
美桜の心臓が少し跳ねる。
「へえ」
「同期が結婚するらしくて」
玲司は少し笑う。
「で、“神崎もそろそろだろ”って言われました」
美桜はスプーンを持つ手に少し力が入る。
「なんて答えたんですか」
玲司は美桜を見た。
「“したい人います”って」
その瞬間、胸が熱くなる。
嬉しい。
でも恥ずかしくて、うまく顔を見られない。
「……ずるい」
「何が」
「そういうことさらっと言うところ」
玲司が少し笑う。
「本当のことなので」
その言葉が優しくて、美桜はまた胸が苦しくなる。
どうしてこの人は、
こんなにもまっすぐなんだろう。
食後。
二人でソファへ座る。
玲司は疲れていたのか、美桜の肩へ寄りかかる。
最近、この時間が好きだった。
静かな夜。
テレビの音。
隣にいる体温。
それだけで安心する。
「美桜」
玲司が小さく呼ぶ。
「はい」
「怖いですか」
その質問に、美桜は少しだけ黙った。
何を聞かれているのか、わかってしまったから。
「……うん」
正直に頷く。
「結婚とか、未来とか」
声が少し震える。
「幸せになったあと、壊れたらどうしようって思っちゃう」
玲司は静かに聞いている。
否定しない。
笑わない。
ただちゃんと受け止めてくれる。
「でも」
美桜は玲司の手を握った。
「前みたいに、“だから逃げたい”じゃなくなった」
その瞬間。
玲司が少しだけ目を細める。
「……うん」
「怖いけど、一緒にいたい」
それが今の本音だった。
以前の美桜なら、怖くなった瞬間に離れようとしていた。
嫌われる前に。
失う前に。
でも今は違う。
玲司を失いたくない。
だから逃げたくない。
玲司は静かに美桜を抱き寄せた。
その腕の中は温かい。
「美桜」
「はい」
「俺、美桜といると、“帰りたい”って思うんです」
その言葉が胸に沁みる。
「仕事でしんどいことあっても、“帰ったら美桜いる”って思うと頑張れる」
涙が出そうになる。
そんなふうに必要とされることが、
こんなにも嬉しいなんて知らなかった。
「……私も」
美桜は小さく言った。
「玲司さんいると、“一人じゃない”って思える」
その瞬間。
玲司が少しだけ強く抱きしめる。
「もう一人じゃないですよ」
その言葉に、美桜は目を閉じた。
昔の自分は、ずっと孤独だった。
寂しくても言えなかった。
苦しくても頼れなかった。
でも今は違う。
玲司がいる。
ちゃんと名前を呼んでくれる人がいる。
「……ねえ、玲司さん」
「はい」
「私、幸せになってもいいと思いますか」
その問いは、自分でも驚くくらい弱かった。
玲司はすぐ答えなかった。
少しだけ考えて。
それから、優しく笑う。
「もう、なってると思います」
その瞬間。
美桜の目から涙がこぼれた。
「だって美桜、最近ちゃんと笑ってるので」
涙が止まらない。
「前より、ちゃんと“嬉しい”とか“寂しい”とか言ってくれるし」
玲司は美桜の涙を指で拭う。
「それって、ちゃんと幸せ感じてるってことじゃないですか」
その言葉が胸に深く落ちていく。
幸せ。
怖かった言葉。
でも今は。
少しだけ、
受け取ってみたいと思える。
「……玲司さん」
「はい」
「私、頑張ってみます」
玲司が少し笑う。
「何を」
「幸せになること」
その瞬間。
玲司は泣きそうなくらい優しい顔をした。
「一緒に頑張りましょう」
その言葉を聞いた瞬間。
美桜の中で、何かが静かにほどけた。
幸せになってもいい。
愛されてもいい。
帰る場所を作ってもいい。
そう思えたのは、
玲司が何度も、
「一人じゃない」と伝えてくれたからだった。
夜。
ベッドへ入る。
玲司が後ろから抱きしめる。
温かい。
安心する。
以前の美桜なら、この安心に怯えていた。
でも今は違う。
この温度を、
失う怖さより、
大事にしたいと思える。
「美桜」
玲司が小さく呼ぶ。
「はい」
「来年、一緒に住む準備しませんか」
その言葉に、胸が跳ねる。
怖い。
でも。
嬉しかった。
「……うん」
小さく頷く。
玲司の腕が少しだけ強くなる。
その温度に包まれながら、美桜は静かに思った。
私はきっと、
この人となら、
ちゃんと幸せになれるのかもしれない。
第22ページを読んでくださりありがとうございました。
今回は、美桜が初めて「幸せになってもいいのかもしれない」と思えるようになる回でした。
怖い。
でも、逃げたくない。
その感情の変化が、美桜を少しずつ“幸せを受け取れる人”へ変えていっています。
次のページでは、二人がついに“同じ未来”へ向かって動き始め、人生を共にする覚悟が形になっていきます。




