## 第9章「壊れた世界と、最後の一皿」
## 第9章「壊れた世界と、最後の一皿」
――世界が、砕けた。
音もなく。
ただ、視界が割れていく。
空間が、光の破片となって崩れ落ちる。
(……っ)
足元が消える。
重力の感覚が曖昧になる。
落ちているのか、浮いているのかさえ分からない。
「……ここ、は……?」
声が、吸い込まれる。
返ってこない。
そこは、何もない空間だった。
白でも黒でもない。
ただ“無”が広がっている。
(……やりすぎた?)
いや。
違う。
これは――
『強制再構築領域』
頭の奥に、あの声。
でも、今までよりもはっきりと聞こえる。
『排除対象、隔離完了』
「……なるほど」
私は、ゆっくりと立ち上がった。
足場はないはずなのに、立てている。
「つまり、ここが“最終ステージ”ってわけね」
返事はない。
でも、確信があった。
ここは――
(“運命”の裏側)
◆
「レティシア」
突然、声が響いた。
振り向く。
「……殿下?」
そこにいたのは、アレクシスだった。
けれど。
(……違う)
どこか、違和感がある。
「無事か」
「ええ、なんとか」
彼が近づいてくる。
足音はない。
でも、確かに距離が縮まる。
「ここは……」
「分かりません」
首を振る。
「ですが、普通の場所ではありません」
「……そうだな」
彼は静かに頷いた。
そして。
「レティシア」
「はい」
「さっきの……」
一瞬、言葉を選ぶように間が空く。
「俺は……何かを、思い出しかけた」
胸が、跳ねる。
「……はい」
「だが、消えた」
拳を握る音。
「何だったんだ?」
真っ直ぐな視線。
逃げ場はない。
(……どうする)
ここで、全部話す?
それとも――
「……料理のせいですわ」
私は微笑んだ。
「記憶を刺激しただけです」
「それだけか?」
「ええ」
嘘だ。
でも。
(今はまだ、言えない)
彼はしばらく私を見つめていた。
やがて。
「……そうか」
短く答えた。
その声に。
(……少し、距離がある)
胸が、少しだけ痛む。
◆
「へえ、ここが裏側か」
軽い声。
振り向くと、カイルがいた。
「やっぱり来たわね」
「そりゃね」
彼は肩をすくめる。
「こんな面白い場所、見逃すわけないだろ?」
「……無事だったんですか」
「まあね」
にやりと笑う。
「君のおかげで」
「どういう意味ですか」
「“固定剤”、効いてるよ」
彼は空間を指差す。
よく見ると、周囲の崩壊がゆっくりになっている。
「完全には壊れてない」
「……成功してる」
小さく呟く。
完全ではないけど。
確かに、“干渉できている”。
「でもさ」
カイルが指を立てる。
「時間の問題だよ」
「……ええ」
分かっている。
このままじゃ、いずれ完全に消される。
「じゃあ、どうする?」
問いかけ。
選択を迫る声。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「決まってます」
◆
私は、空間に手をかざした。
何もないはずの場所。
でも――
(感じる)
“流れ”。
“構造”。
この世界を支えている“何か”。
「……本気か?」
カイルが呟く。
「ええ」
私は微笑んだ。
「ここで、料理します」
「は?」
アレクシスが固まる。
「ここで、だと?」
「ええ」
私はゆっくりと答える。
「この空間そのものを、素材にして」
「……正気か?」
「ええ、大真面目です」
ナイフを取り出す。
ありえない光景。
何もない空間に、刃を入れる。
――ザクッ。
「……っ!?」
空間が、切れた。
そこから、光が漏れる。
「これが……」
私はそれをすくい上げる。
手の中で、形を持つ。
「“運命の素材”」
「……はは」
カイルが笑う。
「やっぱり君、狂ってる」
「褒め言葉として受け取りますわ」
◆
調理が始まる。
音はない。
でも、確かに“工程”が進む。
切る。
混ぜる。
熱を加える。
存在しないはずの火が、揺れる。
香りが、広がる。
(……できる)
私は確信していた。
これは、料理だ。
どんな素材でも。
どんな世界でも。
“調理”できる。
「……レティシア」
アレクシスの声。
「それは、本当に……」
「料理ですわ」
振り向かずに答える。
「ただし」
一瞬、手を止める。
「“世界ごと”ですが」
◆
仕上げ。
最後の一滴。
“感情固定剤”を加える。
全体が、輝く。
形を持つ。
それは――
「……一皿?」
カイルが呟く。
「ええ」
私はそれを持ち上げた。
光り輝く料理。
香りは、言葉にできない。
懐かしくて、切なくて、温かい。
「これが、私の答えです」
◆
「……誰に食わせるんだ?」
カイルの問い。
私は、ゆっくりと振り向いた。
その先。
何もないはずの空間。
でも――
「そこにいるんでしょう?」
静かに告げる。
「“管理者”」
沈黙。
そして。
空間が、歪む。
人の形をした“何か”が現れる。
顔はない。
でも、確かに“視線”を感じる。
『……解析不能』
声が響く。
『対象、逸脱』
「でしょうね」
私は微笑んだ。
「だって、これは“想定外”ですもの」
料理を差し出す。
「どうぞ」
『……拒否』
「まあ、そう言いますよね」
一歩、近づく。
「でも」
目を細める。
「食べさせます」
◆
次の瞬間。
空間が暴れる。
圧力が襲う。
排除の力。
でも――
「遅い」
私は動く。
その“何か”に、料理を押し付ける。
「――いただきなさい」
強制的に。
口のない存在に。
“食べさせる”。
◆
沈黙。
そして。
『……エラー』
声が、乱れる。
『理解不能……処理不能……』
空間が揺れる。
崩壊が止まる。
(……効いてる)
私は息を吐いた。
そのとき。
『……再定義、開始』
「……え?」
嫌な予感。
『対象を――』
その声が、変わる。
冷たく。
そして。
『“主要因子”として再設定』
(……は?)
意味が、理解できない。
その瞬間。
世界が――
再び、光に包まれた。
◆
気づいたとき。
私は、王宮に立っていた。
何事もなかったかのように。
でも――
「……あれ?」
周囲の空気が、違う。
「レティシア様!」
エレノアが駆け寄る。
「大変です!」
「何が?」
「殿下が……!」
嫌な予感。
「どうしたの?」
「あなたを――」
一瞬、言葉を詰まらせて。
そして。
「“婚約者にする”と宣言なさいました」
――は?
思考が、止まる。
「……え?」
「それだけではありません」
エレノアの声が震える。
「王宮全体が、“それが当然”という認識に書き換わっています」
(……は?)
頭が追いつかない。
つまり――
(私が、ヒロインポジに?)
いや、違う。
これは――
(“再定義”された?)
そのとき。
扉が開く。
「レティシア」
アレクシス。
まっすぐこちらへ来る。
迷いなく。
そして。
当然のように。
「迎えに来た」
手を差し出す。
その瞳は――
完全に、“恋している目”だった。
(……ちょっと待って)
これは。
勝ったのか。
それとも――
(やりすぎた?)
私はその手を見つめながら、固まった。
――そして。
背筋に、ぞくりとした寒気が走る。
『……観測継続』
頭の奥に、あの声。
でも今度は。
どこか“楽しそう”に。
(……終わってない)
むしろ――
(ここからが、本番?)
私は、ゆっくりと顔を上げた。
差し出された手。
変わってしまった世界。
そして――
“書き換えられた運命”。
この先に待つものは。
救いか。
それとも――
**もっと大きな破滅か。**




