## 第10章「書き換えられた幸福の味」
## 第10章「書き換えられた幸福の味」
「迎えに来た」
――差し出された手。
迷いのない瞳。
まるで、それが“当然”であるかのような空気。
(……これが、“再定義”)
私はその手を、しばらく見つめた。
取れば、進む。
拒めば、壊れる。
(選択肢なんて、最初からないくせに)
小さく息を吐いて――
「……お迎え、ありがとうございます。殿下」
私はその手を取った。
◆
王宮は、まるで別世界のようだった。
いや、“同じ世界のはずなのに違う”と言った方が正しい。
「レティシア様、おめでとうございます!」
「ついに婚約とは……なんて素晴らしい!」
貴族たちが次々と祝福してくる。
誰も疑わない。
誰も違和感を抱かない。
(……完全に書き換わってる)
以前なら。
私は“悪役令嬢”。
煙たがられ、警戒される存在だった。
それが今は――
「未来の王妃様として、ぜひご指導を……!」
(……はは)
笑えてくる。
ここまで徹底的に変わるなんて。
「レティシア」
アレクシスが、自然に肩に手を回してくる。
距離が近い。
近すぎる。
「疲れていないか?」
「……大丈夫です」
そう答えるしかない。
だって。
(この人、本気で“恋してる”)
演技じゃない。
命令でもない。
感情そのものが、書き換えられている。
「無理はするな」
優しく言う。
その声に、嘘はない。
(……ずるい)
こんなの。
反則だ。
◆
その夜。
自室。
「……どう思いますか」
私は椅子に座り、エレノアに問いかけた。
「成功、でしょうか」
「……一概には言えません」
珍しく、曖昧な返答。
「状況としては、お嬢様が優位です」
「ええ」
「ですが――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「“制御できていない”」
(……やっぱり)
私は苦笑した。
「その通りね」
今回の結果は。
勝利ではある。
でも――
(暴走に近い)
“管理者”を食わせた結果。
世界そのものが、私を“中心”に再構築された。
でも、それは。
(安定してない)
いつ崩れるか分からない。
「お嬢様」
「なに?」
「……殿下を、どうなさいますか」
核心の問い。
私は少しだけ、考えて。
「……利用する」
いつもの答え。
でも。
少しだけ、言葉が重い。
「それで、よろしいのですか?」
「……」
返事が詰まる。
だって。
(利用、だけじゃない)
あの視線。
あの距離。
あの声。
(……心が、揺れる)
これは、私の感情。
書き換えじゃない。
なのに。
(厄介すぎる)
◆
コンコン。
扉が叩かれる。
「……どうぞ」
開いた扉の向こうにいたのは――
「レティシア」
アレクシス。
「少し、いいか」
「……はい」
エレノアが静かに退室する。
二人きり。
沈黙が落ちる。
「……どうしたのですか」
「確認したいことがある」
真剣な声。
「何でしょう」
「君は……本当に、俺を愛しているか?」
(……来た)
核心。
逃げられない問い。
「……どうして、その質問を?」
「分からないんだ」
彼は眉を寄せる。
「確かに、君を愛している」
はっきりと言う。
「だが、それが“いつから”なのか、思い出せない」
(……歪みが出てる)
完全な書き換えじゃない。
矛盾が、残っている。
「それでも」
彼は一歩、近づく。
「今の気持ちは、本物だ」
距離が縮まる。
逃げられない。
「レティシア」
名前を呼ばれる。
優しく。
甘く。
「君は、どうなんだ」
(……どう、なんだろうね)
自分でも分からない。
利用するつもりだった。
でも。
(この状況で、“利用だけ”って言える?)
答えを出せないまま。
私は、目を逸らした。
「……分かりません」
正直に言う。
彼が、わずかに目を見開く。
「ですが」
続ける。
「今の殿下は……嫌いではありません」
「……そうか」
小さく、笑う。
その笑顔が――
(反則)
胸が、締め付けられる。
◆
そのとき。
――ガタン。
窓が揺れた。
「……?」
違和感。
空気が、変わる。
(……また?)
嫌な予感。
次の瞬間。
『――再調整、開始』
頭の奥に、声。
でも今度は。
複数。
ざわざわと、重なる。
『逸脱過多』
『再均衡必要』
『因子分散開始』
(……なに、それ)
寒気が走る。
「レティシア?」
アレクシスが手を伸ばす。
でも、その前に。
空間が、歪む。
「っ……!」
視界が揺れる。
立っていられない。
膝が崩れる。
「レティシア!」
彼が支える。
でも――
(……違う)
これは前と違う。
“修正”じゃない。
(分散?)
何かが、引き剥がされる感覚。
体の奥から。
記憶?
感情?
それとも――
「……やめて」
思わず呟く。
でも止まらない。
『主要因子、分割』
「……は?」
意味が分からない。
次の瞬間。
――バキッ。
何かが、割れる音。
でも。
それは世界じゃない。
(……私?)
意識が、引き裂かれる。
「レティシア!!」
アレクシスの叫び。
遠い。
どんどん遠くなる。
(……ちょっと待って)
これは。
まずい。
今までで、一番。
(……消される?)
違う。
それよりも――
(……分けられる)
私が。
“複数”に。
『新規因子、生成完了』
声が、響く。
そして。
視界が、完全に白く染まった。
◆
気づいたとき。
私は――
**“もう一人の私”と、向かい合っていた。**




