## 第8章「運命を喰らうレシピ」
## 第8章「運命を喰らうレシピ」
――“成立だ”。
カイルと交わした握手の感触が、まだ手のひらに残っている。
(最悪の相手と手を組んだわね、私)
自覚はある。
でも。
(これでようやく、“対抗手段”が揃った)
◆
深夜の厨房。
人払いされた静寂の中、私は一人、調理台の前に立っていた。
灯りは最低限。
魔導炉の赤い光だけが、ゆらゆらと揺れる。
食材が並ぶ。
肉でも魚でもない。
果実、香草、発酵液、香辛料。
そして――見慣れない、小瓶。
「それが、例のやつ?」
背後から声。
振り向かずとも分かる。
「ええ、カイル殿下」
「へえ……見た目は普通だな」
彼は私の隣に立ち、小瓶を覗き込む。
中身は、淡い銀色の液体。
ほんのわずかに光を帯びている。
「“感情固定剤”ですわ」
「名前がもうヤバい」
「でしょう?」
私は軽く笑った。
「これを使えば、“一時的に補正を遅らせる”ことができます」
「……マジで?」
「理論上は」
問題は――
(成功する保証はない)
でも。
(やるしかない)
「で、何作るの?」
「“コース料理”です」
カイルが眉を上げる。
「単品じゃなくて?」
「ええ」
私はナイフを手に取った。
「段階的に、侵食します」
◆
一皿目――前菜。
軽く、優しく。
警戒を解くための料理。
私は白身魚を薄くスライスする。
透けるような薄さ。
そこに柑橘の果汁を絞る。
酸味が立ち上がる。
「カルパッチョか」
「ええ。ただし――」
香草と一緒に、ほんの一滴。
“記憶誘導液”を落とす。
香りが変わる。
さりげなく、でも確実に。
「入口ですわ」
「……怖」
カイルが素直に引いている。
でも、気にしない。
◆
二皿目――スープ。
温度で、心を緩める。
じっくり煮込んだコンソメ。
透明な黄金色。
香りは深く、安心感を与える。
そこへ。
「また入れるのか?」
「ええ」
今度は、少しだけ濃く。
「“感情固定剤”を混ぜます」
スープに溶ける。
見た目は変わらない。
でも――
(これで、“揺らぎ”を止める)
補正の動きを、鈍らせる。
◆
三皿目――メイン。
ここが核心。
私は肉を取り出した。
柔らかい部位。
筋を丁寧に取り除く。
「それ、かなりいい肉だな」
「ええ。王宮最高級です」
塩を振る。
シンプルに。
余計な味付けはしない。
肉そのものの旨味を引き出す。
強火で焼く。
ジュウ、と音が弾ける。
香ばしい匂いが広がる。
脂が溶け、表面がこんがりと色づく。
裏返す。
火加減を調整し、じっくりと火を通す。
(ここに――)
最後に。
“熟成記憶液”を、数滴。
肉に絡ませる。
香りが、変わる。
深く、重く。
まるで――“人生”そのもののような味。
「……これは」
カイルが息を呑む。
「やばいな」
「ええ」
私は静かに頷いた。
「これで、“核心”に触れます」
◆
最後――デザート。
甘さで、締める。
でも。
(ここが、本当の勝負)
私は果実を刻む。
鮮やかな色。
甘酸っぱい香り。
そこに砂糖とリキュール。
軽く煮詰める。
とろり、としたソース。
そして――
銀色の液体。
“感情固定剤”を、最後に投入。
「……これで終わり?」
「ええ」
私は息を吐いた。
「完成です」
◆
「で、誰に食わせるの?」
カイルが腕を組む。
答えは決まっている。
「殿下です」
「兄上か」
「ええ」
そして。
「ミレイユも」
カイルが、にやりと笑う。
「いいね。全面対決ってわけだ」
「ええ」
逃げ場はない。
ここで決める。
「……でもさ」
カイルが少しだけ真面目な顔になる。
「失敗したら?」
「消されるでしょうね」
即答する。
彼が一瞬、黙る。
「怖くない?」
「怖いですよ」
素直に答える。
でも――
「それ以上に」
私は皿を見つめる。
「このまま何もできない方が、嫌です」
沈黙。
そして。
「……ほんと、面白い女だな」
カイルが小さく笑う。
◆
翌日。
再び、あの談話室。
同じメンバー。
アレクシスと、ミレイユ。
「またか」
アレクシスがため息をつく。
「懲りないな、君は」
「ええ」
私は微笑む。
「本日は“フルコース”です」
「……本気だな」
「もちろん」
逃げない。
もう、引かない。
「では、どうぞ」
私は一皿目を差し出した。
◆
一皿目。
二皿目。
順調に進む。
反応も、悪くない。
そして――
三皿目。
メイン。
「……これは」
アレクシスがナイフを入れる。
肉が、すっと切れる。
一口。
――その瞬間。
「っ……!」
彼の表情が変わる。
強く、深く。
今まで以上に。
「……思い出す……」
声が震える。
ミレイユも、同じ。
「やめ……て……」
彼女の手が震える。
(効いてる)
しかも――
(補正が、遅い)
空気が揺れない。
まだ、“来ない”。
「レティシア……」
アレクシスが立ち上がる。
まっすぐ、こちらへ。
「君は……」
手が伸びる。
今度こそ。
止まらない。
(……いける)
そのとき。
「――警告」
低い声。
ミレイユ。
でも――
違う。
完全に、“別の何か”。
「補正遅延、確認」
空気が、軋む。
「強制介入、実行」
(来た)
でも。
(遅い)
私は一歩、前に出た。
「遅いのよ」
はっきりと告げる。
ミレイユの目が、見開かれる。
「あなたの“運命”」
私は微笑んだ。
「もう、味見済みなの」
◆
その瞬間。
空間が――
**完全に、凍りついた。**
音が消える。
動きが止まる。
時間すら、止まったような感覚。
でも。
私だけが、動ける。
「……成功?」
小さく呟く。
そして。
目の前。
止まったままのアレクシス。
手を伸ばしたまま。
あと少しで、触れる距離。
(……今なら)
私は、そっと手を伸ばした。
彼の頬に触れる。
温かい。
確かな、存在。
「……ねえ」
小さく、囁く。
「本当は、どう思ってるの?」
返事はない。
当たり前だ。
時間が止まっている。
でも――
その表情は。
はっきりと、感情を示していた。
(……ずるいわね)
こんなの。
反則だ。
そのとき。
『――異常事態検出』
頭の奥に、声。
『管理権限、上位接続』
(……何それ)
嫌な予感が走る。
『強制再構築、開始』
次の瞬間。
――バキッ。
世界に、ヒビが入った。
(……は?)
空間が割れる。
ガラスのように。
音を立てて。
「……ちょっと、待って」
これは。
今までと違う。
“修正”じゃない。
(……これ、世界ごと壊してる!?)
ひびが広がる。
崩壊が始まる。
『排除対象、完全消去へ移行』
声が、冷たく響く。
私は歯を食いしばった。
(……上等じゃない)
ここまで来て。
終わるわけにはいかない。
私は、ぐっと拳を握る。
「だったら――」
睨みつける。
見えない“何か”を。
「その前に、喰い尽くしてやるわ」
次の瞬間。
世界が――
**完全に、砕けた。**




