## 第7章「甘い毒と政治」
## 第7章「甘い毒と政治」
――「このままだと、君、消されるよ?」
カイルの言葉が、頭の奥で何度も反響していた。
(分かってるわよ、そんなこと)
けれど。
(だからって、あんな取引――)
思い出しただけで、ぞくりとする。
“全部もらう”。
あれは協力じゃない。
支配だ。
◆
翌日、王宮厨房。
朝の光が差し込み、調理台に並ぶ食材が柔らかく照らされていた。
静かな時間。
でも、私の中は落ち着かなかった。
(時間がない)
“修正”は確実に強くなっている。
次は、もっと直接的に来る。
なら――
(先に崩す)
私はナイフを手に取った。
◆
今日のテーマは“感情の誘導”。
記憶だけじゃ足りない。
もっと深く――“選択”に干渉する。
「……危険な領域だな」
背後から声。
振り向かなくても分かる。
「セドリック様」
「何を作る気だ?」
「デザートですわ」
私は卵を割りながら答えた。
黄身と白身が滑り落ちる。
なめらかな光沢。
「甘味は、感情に直結します」
「……それは知っている」
「なら話は早いですわね」
砂糖を加え、泡立てる。
空気を含ませるように、ゆっくりと。
しゃり、しゃり、と音が変わる。
粘度が増し、艶が出る。
「人は“甘さ”に安心を感じる」
私は手を止めない。
「だからこそ、そこに“記憶”を乗せると――」
「……抗えない」
セドリックが低く呟く。
「ええ」
私は微笑んだ。
「今回は、そこまでやります」
◆
バターを溶かす。
香りが立ち上る。
小麦粉を加え、軽く混ぜる。
そこへ温めたミルク。
とろり、と生地がまとまる。
「……カスタードか」
「ええ。でも、普通じゃありません」
バニラビーンズを裂く。
黒い粒が広がる。
甘く、官能的な香り。
そして。
(ここからが、本番)
私は小さな瓶を取り出した。
昨日よりも、濃い液体。
「それは……また発酵か?」
「ええ。でも今回は、“熟成記憶液”です」
「……聞きたくない名前だな」
「安心してください」
にっこり笑う。
「まだ“軽い”方ですから」
数滴。
ぽたり、と落ちる。
その瞬間。
香りが変わる。
甘さの奥に、どこか懐かしい匂い。
子供の頃の記憶をくすぐるような。
「……っ」
セドリックが息を呑む。
「これは……」
「危険でしょう?」
「……ああ」
彼は真剣な顔で頷いた。
「だが――」
ちらりと私を見る。
「止める気はない」
「ありがとうございます」
短く礼を言う。
彼もまた、覚悟を決めている。
◆
完成したのは、シンプルなデザート。
――カスタードタルト。
黄金色の表面。
なめらかな艶。
サクッと焼き上げた生地。
香りは優しく、どこか切ない。
(これで、どう動くか)
私は皿を持ち上げた。
◆
その日の午後。
王宮の小さな談話室。
招待したのは――
「レティシア様、お呼びですか?」
ミレイユ。
そして。
「……何の用だ」
アレクシス。
二人を同時に呼んだ。
(ここが勝負)
「ええ。お茶会ですわ」
微笑みながら席を示す。
「新しいお菓子を作りましたの」
「また料理か……」
アレクシスが呟く。
その声には、警戒が混じっている。
(当然よね)
でも、ここで引くわけにはいかない。
「どうぞ」
私はタルトを差し出した。
まず、アレクシス。
そしてミレイユ。
二人が同時に口にする。
――その瞬間。
「……っ」
アレクシスの呼吸が止まる。
「これ、は……」
ミレイユも、ぴたりと動きを止めた。
「甘い……でも……」
彼女の声が震える。
「なんで……こんな……」
(来た)
空気が変わる。
静かに、でも確実に。
「……思い出す」
アレクシスが呟く。
「笑ってる……誰かと……暖かい部屋で……」
その視線が、ゆっくりと私へ向く。
「君だ」
また。
同じ言葉。
でも、今度は――
(もっと深い)
感情が、強い。
「レティシア……」
彼が立ち上がる。
一歩、近づく。
「君は……」
手が、伸びる。
触れそうになる。
(……ダメ)
分かってる。
これは危険。
でも――
逃げられない。
そのとき。
「やめて」
低い声。
ミレイユだった。
「それ以上、ダメ」
顔を上げる。
彼女の瞳が、また変わっている。
冷たい。
感情のない光。
「……干渉、検出」
機械のような声。
そして。
「優先対象、上書き」
(……来る)
空気が、重くなる。
頭の奥に、圧力。
「アレクシス様」
ミレイユが微笑む。
柔らかく、優しく。
「こちらを、見てください」
その声。
甘く、抗えない響き。
アレクシスの動きが、止まる。
「……ミレイユ?」
「はい」
彼女は手を伸ばす。
自然に。
迷いなく。
「私を、見て」
その瞬間。
空気が“固定”された。
さっきまでの揺らぎが、嘘のように消える。
(……補正)
完全な“運命補正”。
強制的に、流れを戻している。
「……ああ」
アレクシスの瞳が、変わる。
さっきまでの熱が、消える。
代わりに――
穏やかな、いつもの視線。
「ミレイユ」
その声に、私は息を呑んだ。
(……戻された)
完全に。
さっきまでの記憶も、感情も。
全部。
“なかったこと”に。
「レティシア」
彼がこちらを見る。
その目は――
冷静だった。
「今日はもう、これで失礼する」
「……そう、ですか」
なんとか声を出す。
「ええ」
彼は短く頷き、ミレイユと共に去っていく。
扉が閉まる。
静寂。
◆
「……はは」
思わず、笑いが漏れた。
「ここまでやるのね」
完璧だった。
さっきまでの流れを、完全に修正。
しかも、違和感を残さずに。
(……化け物じゃない)
拳を握る。
悔しい。
でも――
(面白い)
ここまで徹底されると、逆に燃える。
「お嬢様」
エレノアが心配そうに見る。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
ゆっくりと頷く。
「むしろ、はっきりしたわ」
「何が、でございますか?」
「敵の本気度よ」
あれはもう、“調整”じゃない。
完全な“排除行動”。
「……ですが」
エレノアが言いかけたとき。
――パチパチ。
拍手の音。
「いやあ、面白いもの見せてもらったよ」
振り向く。
そこにいたのは――
「カイル殿下」
「正解」
彼はにやりと笑う。
「やっぱり君、ただ者じゃないね」
「盗み見とは、趣味が悪いですわね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
軽く肩をすくめる。
そして、ゆっくりと近づいてくる。
「見ただろ?」
低い声。
「“修正”の力」
「……ええ」
「勝てると思う?」
挑発的な問い。
私は、少しだけ考えて。
そして――笑った。
「ええ」
はっきりと言い切る。
「勝ちますわ」
「へえ」
カイルの目が細くなる。
「どうやって?」
「簡単です」
一歩、彼に近づく。
「もっと深く、干渉する」
「……本気で言ってる?」
「ええ」
もう、迷いはない。
「記憶だけじゃ足りない」
私は静かに告げる。
「“運命そのもの”に触れる」
一瞬の沈黙。
そして――
カイルは、楽しそうに笑った。
「いいね、それ」
目が、完全に獲物を見るそれになる。
「やっぱり君、最高だ」
「……褒めても何も出ませんわ」
「いや、出るよ」
彼は一歩、距離を詰めた。
近い。
逃げ場がない。
「その覚悟、全部」
耳元で、囁く。
「利用させてもらう」
(……やっぱり、こいつ)
危険すぎる。
でも。
同時に――
(使える)
私もまた、一歩踏み出した。
「いいでしょう」
「……おや?」
カイルが目を見開く。
「ただし」
私は彼を見上げる。
「対等な取引です」
「内容は?」
「あなたの情報と力を借りる」
そして。
「その代わり、料理は“必要な分だけ”」
彼の目が、細くなる。
数秒の沈黙。
やがて――
「……いいね」
くくっと笑う。
「成立だ」
手を差し出される。
一瞬だけ迷って。
でも――握った。
(これで、後戻りできない)
でも、いい。
むしろ。
(ここからが本番)
そのとき。
頭の奥で、あの声が再び響いた。
『――危険度上昇』
ぞくり、と寒気。
『優先排除対象に指定』
心臓が、強く脈打つ。
(……来る)
今度は、逃げられない。
私は静かに笑った。
「……遅いわね」
もう、覚悟はできてる。
だから。
さあ、来なさい。
その“運命”ごと――
**全部、料理してあげる。**




