## 第6章「すれ違う想い」
## 第6章「すれ違う想い」
――空間が、歪んだ。
ミレイユの言葉と同時に、視界の端が揺らぐ。まるで熱気の中で景色が滲むように、現実そのものが不安定になる。
「なっ……何だこれは!?」
貴族たちがざわめき、椅子が引かれる音が重なる。
けれど――
「……っ」
私は動けなかった。
頭の奥で、何かが軋む。
『修正プロトコル起動』
あの“声”が、直接脳に響く。
(……また、これ)
痛みが走る。
記憶を無理やり書き換えられるような、不快な圧迫感。
「レティシア!」
アレクシスの声。
次の瞬間、ぐいっと腕を引かれた。
「こっちだ!」
「殿下……!」
気づけば、彼に庇われる形で抱き寄せられていた。
近い。
息がかかる距離。
彼の鼓動が、伝わる。
(……どうして)
こんな状況なのに。
胸の奥が、熱い。
「目を閉じるな、レティシア!」
「え……」
「引きずられるぞ」
鋭い声。
はっとして、意識を保つ。
その間にも、空間の歪みは収まっていく。
やがて。
――何事もなかったかのように、静寂が戻った。
「……え?」
誰かが呟く。
「今の……何だったの?」
周囲の貴族たちは、困惑した顔をしている。
まるで、“何も起きていない”かのように。
(……違う)
私は知っている。
確かに何かが起きた。
そして――
(“修正”された)
視線を向ける。
ミレイユは、椅子に座り直していた。
きょとんとした表情で。
「……あれ? 私、どうしたんでしょう?」
完全に、“元に戻っている”。
さっきの冷たい声も、異様な雰囲気も。
全部、なかったことになっている。
(……怖い)
背筋が冷たくなる。
これは、ただの演出じゃない。
本当に“書き換えられている”。
「殿下」
セドリックが低く言う。
「先ほどの件ですが――」
「……何もなかった」
アレクシスは即座に遮った。
その声は、硬い。
「そう、だな?」
一瞬の沈黙。
そして。
「……はい」
セドリックが頷く。
周囲も、それに倣う。
(……記憶まで?)
違う。
消されたんじゃない。
“認識させないようにされている”。
そして――
(殿下は、気づいてる)
彼の腕が、まだ私の肩に触れている。
離れない。
まるで、逃がさないように。
「……レティシア」
低く、囁くような声。
「後で、話す」
「……はい」
短く答える。
でも、その直後。
彼の手が、ゆっくりと離れた。
◆
その日の夕刻。
王宮の回廊。
赤い夕陽が差し込み、長い影を落とす。
「……どういうことだ」
アレクシスは、私の前で足を止めた。
「先ほどの現象。説明できるか?」
「……できません」
正直に答える。
説明なんて、私にも分からない。
ただ。
「でも、ひとつだけ確かなことがあります」
「何だ」
「これは“自然現象ではない”ということです」
彼の瞳が、鋭くなる。
「誰かの意図がある、と?」
「はい」
静かに頷く。
そして――
「ミレイユが、関係している可能性が高い」
「……」
沈黙。
重い空気。
「……証拠は?」
「ありません」
「ならば、軽々しく口にするな」
ぴしゃりと言い切られる。
その言葉に、胸がちくりと痛む。
(……分かってる)
これは、当然の反応だ。
証拠もなく、ヒロインを疑うなんて。
悪役令嬢そのもの。
「申し訳ありません」
視線を落とす。
「ですが、事実です」
「……」
彼は何も言わない。
ただ、じっと私を見ている。
その視線が――
(冷たい)
ほんの少しだけ。
距離が、戻っている。
(……ああ)
理解する。
これが、“運命補正”。
どれだけ近づいても。
強制的に引き離される。
それが、この世界のルール。
「……今日はもう休め」
アレクシスが言う。
「体調も万全ではないだろう」
「……お気遣い、ありがとうございます」
形式的に頭を下げる。
それ以上、言葉は続かなかった。
彼もまた、何も言わない。
ただ。
一瞬だけ。
何かを言いかけて――やめた。
(……何よ、それ)
胸の奥が、ざわつく。
言えばいいのに。
疑っているなら、はっきりと。
でも。
(言えないのよね)
それが、この世界。
曖昧なまま、関係が歪んでいく。
◆
「……はあ」
自室に戻った瞬間、力が抜けた。
「お疲れ様でございます」
エレノアが静かに紅茶を差し出す。
香りが、優しく広がる。
「……疲れたわ」
「顔に出ております」
「でしょうね」
苦笑する。
カップを手に取り、一口。
ほんのり甘く、落ち着く味。
「……殿下とは、どうでしたか?」
「最悪」
即答だった。
「完全に距離、戻ったわね」
「やはり……」
エレノアが目を伏せる。
「ですが、あの場では致し方ありません」
「分かってる」
分かってるけど。
(……悔しい)
せっかく、少し近づいたのに。
また振り出し。
それどころか、少し悪化している。
「お嬢様」
「なに?」
「それでも、進みますか?」
真っ直ぐな問い。
逃げ道はない。
「……当然よ」
私はカップを置いた。
「ここで止まったら、本当に終わる」
拳を握る。
あの“排除”の声。
あれが本気なら。
(次は、もっと直接来る)
なら。
「先に仕掛ける」
「……具体的には?」
「料理よ」
即答する。
「もっと強く、“記憶”に干渉する」
「危険では?」
「承知の上よ」
むしろ。
(それしかない)
この世界に対抗する手段は。
今のところ、これだけ。
「……承知いたしました」
エレノアは深く頭を下げた。
「どこまでもお供いたします」
「ありがとう」
小さく笑う。
そのとき。
――コンコン。
扉が叩かれた。
「誰?」
「失礼します」
聞き慣れない、軽い声。
扉が開き、一人の青年が入ってきた。
金色の髪を無造作に流し、どこか飄々とした雰囲気。
「初めまして、かな? レティシア嬢」
「……あなたは?」
警戒しながら問いかける。
彼はにやりと笑った。
「第二王子、カイル・アルヴェイン」
さらりと、とんでもない名乗り。
「兄上から話は聞いてるよ」
アレクシスの弟。
そして――
(ゲームでは、危険人物)
関わると碌なことにならない存在。
「……何のご用でしょう」
「簡単だよ」
カイルはゆっくりと近づいてくる。
その視線は、値踏みするように鋭い。
「君の料理」
ぴたりと、目の前で止まる。
「それ、ただの料理じゃないよね?」
「……」
答えない。
でも、それで十分だったらしい。
彼はくくっと笑う。
「やっぱりか」
「何が言いたいのですか」
「取引しようよ」
軽い口調。
けれど、その目は本気だ。
「君の“力”、貸してほしい」
「……断ります」
即答する。
「おや、即決?」
「ええ」
関わるべきじゃない。
本能がそう告げている。
けれど。
カイルは全く引かない。
「残念だなぁ」
肩をすくめる。
「でもさ」
少しだけ、声を落とした。
「このままだと、君――消されるよ?」
「……っ」
心臓が、跳ねる。
「気づいてるんだろ? “修正”ってやつ」
「……」
否定できない。
「俺なら、守れる」
甘い声。
危険な誘い。
「その代わり――」
彼は、耳元に顔を寄せた。
吐息がかかる距離。
「君の料理、全部もらう」
(……最悪)
ぞくりとする。
これは契約じゃない。
支配だ。
「お断りします」
きっぱりと言い切る。
カイルは一瞬だけ驚いた顔をして。
そして、楽しそうに笑った。
「いいね、その目」
一歩下がる。
「じゃあ、また来るよ」
ひらりと手を振り、去っていく。
扉が閉まる。
静寂。
「……お嬢様」
エレノアが低く言う。
「厄介な人物に目をつけられましたね」
「ええ……」
深く息を吐く。
敵は一人じゃない。
“世界”も。
“人間”も。
全部、敵に回る可能性がある。
それでも――
(負けるわけにはいかない)
私は静かに目を閉じた。
そして、決意する。
次は――
もっと深く、踏み込む。
記憶の奥底まで。
運命の根幹まで。
壊すために。
そのとき。
頭の奥で、またあの声が響いた。
『――排除対象、抵抗を確認』
ぞくり、と寒気が走る。
『次段階へ移行』
ゆっくりと、目を開く。
(……来る)
今度は、もっと強く。
そして――
もっと、直接的に。
私は小さく笑った。
「……上等よ」
その“次”が、どんなものでも。
全部、受けて立つ。
――ただし。
その前に。
私が、仕掛ける。




