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## 第2章「味が記憶を呼び戻す」

## 第2章「味が記憶を呼び戻す」


 ――翌朝。


「お嬢様、本気でございますか?」


 エレノアの声は低く、しかし確実に動揺を含んでいた。


「ええ。本気よ」


 私は鏡の前で軽く髪を整えながら答える。


 淡い金髪をゆるくまとめ、あえて華美な装飾は避ける。今日は社交の場ではない――“戦略的な食事会”だ。


「王太子殿下に“私的な食事”の申し出など……通常ならばあり得ません」


「通常なら、ね」


 くすりと笑う。


 そう、普通なら悪役令嬢がこんなことをすれば「媚びている」と陰口を叩かれる。むしろ断罪イベントを早める愚行。


 ――でも。


(もう“普通”じゃない)


 昨日の、あの反応。


 アレクシスの瞳に宿った“揺らぎ”。


 あれは確実に、運命の歯車がズレた証拠だ。


「エレノア。私はね、選ぶの」


「……何を、でございますか?」


「破滅するか、書き換えるか」


 振り返り、まっすぐに彼女を見る。


「だったら、動くしかないでしょう?」


 エレノアは一瞬黙り込んだあと、ため息をついた。


「……承知いたしました。お嬢様が“その気”なら、私は止めません」


「ありがとう」


「ただし」


 ぴしり、と指を立てる。


「毒味は必須です」


「そこは貴族の嗜みとして当然ね」


 二人で小さく笑い合う。


 けれど――胸の奥は静かに張り詰めていた。


 ◆


 王宮の一角、私的食堂。


 公式の晩餐とは違い、こぢんまりとした空間。だが、壁には魔導ランプが柔らかな光を灯し、重厚な木製テーブルには銀器が整然と並ぶ。


 静かで、逃げ場のない距離感。


(……ここで勝負)


 私は深く息を吸った。


 厨房から運ばれてきた食材に目を落とす。


 白身魚、根菜、香草、発酵バター、そして――柑橘の果実。


(この世界の料理は、味が単調すぎる)


 塩味と油脂に頼りすぎている。


 だからこそ、“変化”が強く印象に残る。


「お嬢様、準備は整っております」


 セドリックが静かに告げる。


「今回は……私も興味があります」


「監視、の間違いではなくて?」


「両方です」


 きっぱりと言い切られて、思わず笑ってしまう。


 彼の目は真剣だ。


 昨日の料理が“何かおかしい”と、確信している。


(いいわ。その違和感も全部、利用する)


 私はナイフを手に取った。


 ◆


「……レティシア」


 低い声が、室内に響く。


 振り向くと、アレクシスが立っていた。


 今日は正装ではなく、少し軽めの装い。それでも漂う気品は隠せない。


「お招きに応じていただき、光栄ですわ」


「君が直接料理を振る舞うと聞いてな」


 彼はゆっくりと席につく。


 その視線が、まっすぐに私へ向けられる。


「昨日の件、説明してもらおうか」


「……何のことでしょう?」


「とぼけるな。あの料理だ」


 ほんのわずか、眉間に皺が寄る。


「食べた瞬間、妙な感覚に襲われた。味覚だけではない……記憶の奥に触れられたような」


(やっぱり)


 内心で確信する。


 これは偶然じゃない。


 私の料理は――“何か”に干渉している。


「殿下」


 私はゆっくりと彼の前に皿を置いた。


「まずは、味わってくださいませ」


 今日の一皿。


 ――白身魚のコンフィ、柑橘と香草のソース。


 低温の油でじっくり火入れした魚は、繊維を壊さずしっとりと仕上がっている。そこに、酸味と香りを重ねることで“記憶に残る余韻”を設計した。


「……見たことのない調理法だな」


「コンフィ、と申します。低温で火を通し、旨味を閉じ込める技法です」


「魔法ではないのか?」


「いいえ。ただの“理屈”ですわ」


 アレクシスはフォークを取り、慎重に一口。


 その瞬間。


 彼の指が、ぴたりと止まった。


「……っ」


 瞳が揺れる。


 呼吸が、浅くなる。


(来る)


 静かに見守る。


 彼の中で、何かが繋がろうとしている。


「これは……」


 掠れた声。


「温かい……いや、違う。懐かしい……?」


 彼の視線が、宙を彷徨う。


「庭だ……小さな、白い花が咲いていて……誰かと……」


 その言葉に、心臓が跳ねた。


(庭……白い花)


 脳裏に、ぼんやりとした映像が浮かぶ。


 幼い頃。


 誰かと一緒に、庭で何かを食べていた記憶。


(……私?)


 でも、それはすぐに霧の中へ消えていく。


「くそ……思い出せない」


 アレクシスは額を押さえた。


 苦しそうに、歯を食いしばる。


「無理をなさらないで」


 思わず一歩、近づく。


 手を伸ばしかけて――止めた。


(……ダメ)


 ここで感情に流されるのは危険だ。


 私は“悪役令嬢”。


 優しくすればするほど、後で裏切りと見なされる。


 それが、この世界の“シナリオ”だから。


「……いや」


 彼はゆっくりと顔を上げた。


「これは、必要なことだ」


 その瞳は、強かった。


「レティシア」


「はい」


「君は、何をした?」


 まっすぐな問い。


 逃げ場はない。


 けれど――


「ただ、美味しい料理を作っただけですわ」


 微笑む。


 それ以上は、まだ言えない。


 言ってはいけない。


 沈黙が落ちる。


 そのとき。


「アレクシス様っ!」


 軽やかな声が、空気を切り裂いた。


 扉が開き、ミレイユが飛び込んでくる。


「こんなところにいらしたんですね!」


「……ミレイユ」


 アレクシスの声が、少しだけ硬くなる。


 昨日とは違う。


 ほんのわずかな距離。


(……いい兆候)


 胸の奥で、小さく笑う。


「わあ、いい香り……!」


 ミレイユは無邪気にテーブルを覗き込む。


「レティシア様が作られたんですか?」


「ええ、まあ」


「すごいです! 私、料理はまだまだで……」


 にこにこと笑う。


 その姿は、まさに“理想のヒロイン”。


 でも。


(……違和感)


 彼女の視線が、一瞬だけ料理に落ちる。


 そのとき。


 ほんの一瞬。


 “警戒”の色が見えた。


(やっぱり)


 昨日と同じだ。


 彼女は、この料理を“知っている”。


 いや、正確には――


(知らないはずなのに、危険だと分かっている)


「……ミレイユ」


 アレクシスが口を開く。


「どうかしたのですか?」


「いや……」


 彼は一瞬迷い、そして言った。


「この料理、どう思う?」


 試すような問い。


 ミレイユは一瞬だけ固まり、すぐに笑顔を作る。


「とても美味しそうです!」


「味見してみるか?」


「えっ、いいんですか!?」


 ぱっと顔を輝かせる。


 そして、一口。


 次の瞬間。


「……あれ?」


 彼女の動きが止まった。


「どうした?」


「いえ……なんだか、不思議な感じで……」


 首を傾げる。


「美味しいのに、ちょっと怖い……みたいな?」


(……やっぱり)


 確信する。


 この料理は、“何か”を刺激する。


 記憶か、運命か――


 あるいは、その両方か。


「レティシア様」


 ミレイユが、にっこりと笑う。


「また、作っていただけますか?」


「ええ、もちろん」


 笑顔で返す。


 でも、その内側で。


(これは、戦争だ)


 静かに、火が灯る。


 料理という名の武器で、運命を奪い合う戦い。


 そのとき。


 アレクシスが、低く呟いた。


「……レティシア」


「はい」


「次は――二人きりで頼む」


 空気が、変わる。


 ミレイユの笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。


 そして。


(来た)


 胸の奥で、確かな手応えが弾ける。


 運命が、また一歩ズレた。


 けれど同時に――


 どこかで、嫌な予感がした。


 まるで、見えない何かが。


 この流れを“修正しよう”としているような。


 私は静かに微笑む。


「……承知いたしました、殿下」


 その約束が。


 どんな結果を招くのかも知らずに。


 ――そしてその夜。


 王宮の奥深く、誰もいないはずの記録室で。


「……想定外の分岐を確認」


 誰かの声が、闇の中で響いた。


「対象:レティシア。干渉レベル、危険域へ移行」


 ぱたり、と本が閉じられる音。


「修正プロトコルを起動します」


 その言葉は、誰にも届かない。


 ただ静かに――


 物語そのものが、“書き換えられよう”としていた。


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