表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

## 第3章「運命補正の少女」

## 第3章「運命補正の少女」


 ――数日後。


 王宮の庭園は、春の陽光に満ちていた。


 白い小花が風に揺れ、淡い香りが空気に溶ける。手入れの行き届いた芝生、幾何学的に整えられた花壇。完璧に“作られた美しさ”。


 そして――


(ここが、“イベント発生地点”)


 私は東屋の柱に軽く寄りかかりながら、紅茶のカップを持つ手にわずかに力を込めた。


 今日は貴族令嬢たちの交流会。


 本来ならば、ここでヒロイン――ミレイユが王子と距離を縮め、私はその陰で嫉妬に狂う役回り。


(……だったはず)


 だが、今は違う。


 すでに運命は歪み始めている。


「レティシア様、今日は随分と落ち着いていらっしゃいますね」


 隣に立つエレノアが、静かに囁いた。


「いつもなら……」


「ええ、分かっているわ」


 私は軽く笑う。


「“あの子”に嫌味の一つでも言う場面でしょう?」


「……否定はいたしません」


 エレノアの率直さに、思わず肩の力が抜けた。


(悪役令嬢、ね)


 ゲームの中の私は、もっと単純だった。


 ヒロインを敵視し、感情に任せて動き、そして破滅する。


(でも、今の私は違う)


 感情はある。


 不安も、苛立ちも、恐怖も。


 それでも――


(“選ぶ”ことができる)


「……来ましたわ」


 エレノアの視線の先。


 淡いピンクのドレスを揺らしながら、ミレイユが庭園へと入ってくる。


 その瞬間。


 ざわり、と空気が変わった。


「まあ……あの子が」

「平民出身ですって?」

「でも、殿下のお気に入りらしいわよ」


 貴族令嬢たちの囁きが広がる。


 羨望、嫉妬、侮蔑。


 入り混じった感情が、彼女に向けられている。


 それでもミレイユは、まっすぐ前を見て歩いてくる。


 その姿は――


(“主人公”そのもの)


 誰もが目を奪われる、不思議な引力。


 そして、その中心には。


「ミレイユ」


 アレクシスが、自然に彼女へ歩み寄る。


「殿下!」


 ぱっと花が咲くように笑うミレイユ。


 二人の距離は近い。


 視線が絡み、言葉が自然に重なる。


 ――まるで、最初からそうなるように“決まっていた”かのように。


(……来たわね、“運命補正”)


 胸の奥が、ざわつく。


 頭では分かっている。


 これはゲームの強制力。


 キャラクターの意思とは関係なく、“正しいルート”へ導こうとする力。


 それでも。


(……見せつけられると、きついわね)


 わずかに、指先が冷える。


 自分でも驚くほど、小さな痛み。


「お嬢様?」


「なんでもないわ」


 カップを持ち直し、ゆっくりと紅茶を口に含む。


 香りが広がる。


 少し強めのタンニン。後味に残る渋み。


(……落ち着く)


 そのとき。


「レティシア様!」


 明るい声が、こちらへ向けられた。


 ミレイユだ。


 彼女はまっすぐこちらへ歩いてくる。


 アレクシスも、その後ろに続く。


(逃げ場、なし)


 私はカップを置き、優雅に立ち上がった。


「ごきげんよう、ミレイユ」


「ごきげんようです!」


 にこにこと、無邪気な笑顔。


 その奥に、ほんのわずかな緊張が混じっているのを、私は見逃さない。


「先日は、お料理ありがとうございました!」


「お気に召したのなら、何よりですわ」


「はい! でも……」


 彼女は一瞬、言葉を詰まらせる。


「ちょっとだけ、不思議でした」


「不思議?」


「はい。美味しいのに……なんだか、懐かしくて。でも、知らない味で……」


 その言葉に、周囲の令嬢たちがざわつく。


「懐かしい、ですって?」

「平民がそんな高級料理を?」

「変なことを言う子ね」


 ひそひそ声。


 空気が、少しずつ険しくなる。


(……始まった)


 これは、小さな火種。


 やがて大きな“ざまぁ”へ繋がるための。


 私は軽く微笑む。


「それはきっと、香草の配合ですわ。記憶を刺激する作用があるのです」


「記憶……」


 ミレイユの瞳が、わずかに揺れる。


「魔法、ですか?」


「いいえ。理論ですわ」


 あえて、きっぱりと言い切る。


 魔法ではない。


 “誰でも再現可能な技術”。


 だからこそ――価値がある。


「面白いな」


 アレクシスが口を開く。


「料理で記憶に干渉する、か」


「干渉だなんて、大げさですわ」


「いや……」


 彼は少しだけ目を細める。


「昨日のことがある。無視はできない」


 その言葉に、周囲が一斉にこちらを見る。


「昨日?」

「何があったの?」


 好奇の視線。


(……まずい流れね)


 目立ちすぎるのは危険だ。


 まだ、準備が整っていない。


 そのとき。


「でしたら!」


 ミレイユが、ぱっと声を上げた。


「ここで、もう一度作っていただけませんか?」


「……え?」


「皆さんにも、味わってほしいんです!」


 無邪気な提案。


 けれど――


(これ、誘導されてる?)


 違和感が走る。


 まるで、“そう言わされている”かのような。


「いい考えだ」


 アレクシスが頷く。


「庭園の簡易厨房ならすぐに用意できる」


「殿下まで……」


 思わず小さく息を吐く。


(逃げられないわね)


 視線が集まる。


 期待、疑念、興味。


 そして――試すような空気。


(……いいわ)


 むしろ好都合。


 ここで印象を覆せば、後の“ざまぁ”が効いてくる。


「承知いたしました」


 私は静かに頷いた。


「ただし、簡単なものになりますわよ?」


「十分だ」


 アレクシスの視線が、真っ直ぐに刺さる。


 その距離が、近い。


 ほんのわずかに、呼吸が重なる。


(……やめて)


 心臓が、うるさい。


 これは策略。


 そう分かっているのに――


 どこかで、期待してしまう自分がいる。


「では、始めますわ」


 私は背を向け、簡易厨房へ向かう。


 ◆


 用意されたのは、最低限の調理器具。


 火魔法で加熱する小型炉、鉄鍋、ナイフ。


 そして、シンプルな食材。


(制約が多いほど、腕が出る)


 私は深呼吸し、手を動かした。


 玉ねぎを刻む。


 細かく、均一に。


 涙がにじむ刺激。けれどリズムは崩さない。


 鍋にバターを落とす。


 じゅわり、と音が立ち、甘い香りが広がる。


 そこへ玉ねぎを投入。


 弱火でじっくりと炒める。


「……飴色に?」


 セドリックが呟く。


「はい。メイラード反応を利用して、旨味を引き出します」


「聞いたことのない理論だな……」


 焦がさず、しかし確実に色を変える。


 時間をかけるほど、甘みが増す。


 やがて、黄金色に輝くペーストが完成する。


 そこへスープを加え、香草をひとつまみ。


 塩で味を整え――


「……オニオンスープ、ですわ」


 湯気が立ち上る。


 甘く、深い香り。


 どこか懐かしい、安心する匂い。


「どうぞ」


 私は器を差し出した。


 まず、アレクシス。


 そしてミレイユ。


 二人が同時に口にする。


 ――次の瞬間。


「……っ」


 アレクシスの肩が、わずかに震えた。


「これ、は……」


 ミレイユも、目を見開く。


「……あったかい」


 ぽつりと、彼女が呟く。


「なんだか……泣きそうになる味……」


(……成功)


 胸の奥で、確信する。


 これは“記憶の入口”。


 誰もが持つ、原初の安心感。


 そのとき。


 アレクシスが、ゆっくりと私を見た。


 その瞳は――


 明らかに、昨日とは違っていた。


「レティシア」


「はい」


「君は……やはり――」


 言葉が、途切れる。


 その瞬間。


 ミレイユの手から、器が滑り落ちた。


 ――ガシャン!


「っ、ごめんなさい!」


 慌てて謝る彼女。


 けれど、その顔は青ざめている。


「どうした?」


 アレクシスが問いかける。


「いえ……その……」


 彼女は震える声で言った。


「今、一瞬だけ……“知らない記憶”が……」


(……やっぱり来た)


 空気が凍る。


 周囲の視線が、一斉にこちらへ向く。


 そして――


「危険だ」


 低い声が、背後から響いた。


 振り向くと、セドリックが険しい顔で立っている。


「その料理は、“ただの料理ではない”」


 彼の視線が、私を射抜く。


「お嬢様……あなたは一体、何をしている?」


 逃げ場のない問い。


 そして同時に――


 どこかで、何かが“起動する”気配。


 頭の奥に、ノイズのような違和感が走る。


(……なに、これ)


 世界が、ほんの一瞬だけ“揺れた”。


 そして。


 ミレイユが、私を見た。


 その瞳に――


 はっきりとした“敵意”が宿っていた。


(……え?)


 さっきまでの無邪気さはない。


 まるで、別人のような冷たい目。


 そして、彼女は小さく呟いた。


「……排除、対象」


 その言葉を。


 誰も、聞いていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ