## 第3章「運命補正の少女」
## 第3章「運命補正の少女」
――数日後。
王宮の庭園は、春の陽光に満ちていた。
白い小花が風に揺れ、淡い香りが空気に溶ける。手入れの行き届いた芝生、幾何学的に整えられた花壇。完璧に“作られた美しさ”。
そして――
(ここが、“イベント発生地点”)
私は東屋の柱に軽く寄りかかりながら、紅茶のカップを持つ手にわずかに力を込めた。
今日は貴族令嬢たちの交流会。
本来ならば、ここでヒロイン――ミレイユが王子と距離を縮め、私はその陰で嫉妬に狂う役回り。
(……だったはず)
だが、今は違う。
すでに運命は歪み始めている。
「レティシア様、今日は随分と落ち着いていらっしゃいますね」
隣に立つエレノアが、静かに囁いた。
「いつもなら……」
「ええ、分かっているわ」
私は軽く笑う。
「“あの子”に嫌味の一つでも言う場面でしょう?」
「……否定はいたしません」
エレノアの率直さに、思わず肩の力が抜けた。
(悪役令嬢、ね)
ゲームの中の私は、もっと単純だった。
ヒロインを敵視し、感情に任せて動き、そして破滅する。
(でも、今の私は違う)
感情はある。
不安も、苛立ちも、恐怖も。
それでも――
(“選ぶ”ことができる)
「……来ましたわ」
エレノアの視線の先。
淡いピンクのドレスを揺らしながら、ミレイユが庭園へと入ってくる。
その瞬間。
ざわり、と空気が変わった。
「まあ……あの子が」
「平民出身ですって?」
「でも、殿下のお気に入りらしいわよ」
貴族令嬢たちの囁きが広がる。
羨望、嫉妬、侮蔑。
入り混じった感情が、彼女に向けられている。
それでもミレイユは、まっすぐ前を見て歩いてくる。
その姿は――
(“主人公”そのもの)
誰もが目を奪われる、不思議な引力。
そして、その中心には。
「ミレイユ」
アレクシスが、自然に彼女へ歩み寄る。
「殿下!」
ぱっと花が咲くように笑うミレイユ。
二人の距離は近い。
視線が絡み、言葉が自然に重なる。
――まるで、最初からそうなるように“決まっていた”かのように。
(……来たわね、“運命補正”)
胸の奥が、ざわつく。
頭では分かっている。
これはゲームの強制力。
キャラクターの意思とは関係なく、“正しいルート”へ導こうとする力。
それでも。
(……見せつけられると、きついわね)
わずかに、指先が冷える。
自分でも驚くほど、小さな痛み。
「お嬢様?」
「なんでもないわ」
カップを持ち直し、ゆっくりと紅茶を口に含む。
香りが広がる。
少し強めのタンニン。後味に残る渋み。
(……落ち着く)
そのとき。
「レティシア様!」
明るい声が、こちらへ向けられた。
ミレイユだ。
彼女はまっすぐこちらへ歩いてくる。
アレクシスも、その後ろに続く。
(逃げ場、なし)
私はカップを置き、優雅に立ち上がった。
「ごきげんよう、ミレイユ」
「ごきげんようです!」
にこにこと、無邪気な笑顔。
その奥に、ほんのわずかな緊張が混じっているのを、私は見逃さない。
「先日は、お料理ありがとうございました!」
「お気に召したのなら、何よりですわ」
「はい! でも……」
彼女は一瞬、言葉を詰まらせる。
「ちょっとだけ、不思議でした」
「不思議?」
「はい。美味しいのに……なんだか、懐かしくて。でも、知らない味で……」
その言葉に、周囲の令嬢たちがざわつく。
「懐かしい、ですって?」
「平民がそんな高級料理を?」
「変なことを言う子ね」
ひそひそ声。
空気が、少しずつ険しくなる。
(……始まった)
これは、小さな火種。
やがて大きな“ざまぁ”へ繋がるための。
私は軽く微笑む。
「それはきっと、香草の配合ですわ。記憶を刺激する作用があるのです」
「記憶……」
ミレイユの瞳が、わずかに揺れる。
「魔法、ですか?」
「いいえ。理論ですわ」
あえて、きっぱりと言い切る。
魔法ではない。
“誰でも再現可能な技術”。
だからこそ――価値がある。
「面白いな」
アレクシスが口を開く。
「料理で記憶に干渉する、か」
「干渉だなんて、大げさですわ」
「いや……」
彼は少しだけ目を細める。
「昨日のことがある。無視はできない」
その言葉に、周囲が一斉にこちらを見る。
「昨日?」
「何があったの?」
好奇の視線。
(……まずい流れね)
目立ちすぎるのは危険だ。
まだ、準備が整っていない。
そのとき。
「でしたら!」
ミレイユが、ぱっと声を上げた。
「ここで、もう一度作っていただけませんか?」
「……え?」
「皆さんにも、味わってほしいんです!」
無邪気な提案。
けれど――
(これ、誘導されてる?)
違和感が走る。
まるで、“そう言わされている”かのような。
「いい考えだ」
アレクシスが頷く。
「庭園の簡易厨房ならすぐに用意できる」
「殿下まで……」
思わず小さく息を吐く。
(逃げられないわね)
視線が集まる。
期待、疑念、興味。
そして――試すような空気。
(……いいわ)
むしろ好都合。
ここで印象を覆せば、後の“ざまぁ”が効いてくる。
「承知いたしました」
私は静かに頷いた。
「ただし、簡単なものになりますわよ?」
「十分だ」
アレクシスの視線が、真っ直ぐに刺さる。
その距離が、近い。
ほんのわずかに、呼吸が重なる。
(……やめて)
心臓が、うるさい。
これは策略。
そう分かっているのに――
どこかで、期待してしまう自分がいる。
「では、始めますわ」
私は背を向け、簡易厨房へ向かう。
◆
用意されたのは、最低限の調理器具。
火魔法で加熱する小型炉、鉄鍋、ナイフ。
そして、シンプルな食材。
(制約が多いほど、腕が出る)
私は深呼吸し、手を動かした。
玉ねぎを刻む。
細かく、均一に。
涙がにじむ刺激。けれどリズムは崩さない。
鍋にバターを落とす。
じゅわり、と音が立ち、甘い香りが広がる。
そこへ玉ねぎを投入。
弱火でじっくりと炒める。
「……飴色に?」
セドリックが呟く。
「はい。メイラード反応を利用して、旨味を引き出します」
「聞いたことのない理論だな……」
焦がさず、しかし確実に色を変える。
時間をかけるほど、甘みが増す。
やがて、黄金色に輝くペーストが完成する。
そこへスープを加え、香草をひとつまみ。
塩で味を整え――
「……オニオンスープ、ですわ」
湯気が立ち上る。
甘く、深い香り。
どこか懐かしい、安心する匂い。
「どうぞ」
私は器を差し出した。
まず、アレクシス。
そしてミレイユ。
二人が同時に口にする。
――次の瞬間。
「……っ」
アレクシスの肩が、わずかに震えた。
「これ、は……」
ミレイユも、目を見開く。
「……あったかい」
ぽつりと、彼女が呟く。
「なんだか……泣きそうになる味……」
(……成功)
胸の奥で、確信する。
これは“記憶の入口”。
誰もが持つ、原初の安心感。
そのとき。
アレクシスが、ゆっくりと私を見た。
その瞳は――
明らかに、昨日とは違っていた。
「レティシア」
「はい」
「君は……やはり――」
言葉が、途切れる。
その瞬間。
ミレイユの手から、器が滑り落ちた。
――ガシャン!
「っ、ごめんなさい!」
慌てて謝る彼女。
けれど、その顔は青ざめている。
「どうした?」
アレクシスが問いかける。
「いえ……その……」
彼女は震える声で言った。
「今、一瞬だけ……“知らない記憶”が……」
(……やっぱり来た)
空気が凍る。
周囲の視線が、一斉にこちらへ向く。
そして――
「危険だ」
低い声が、背後から響いた。
振り向くと、セドリックが険しい顔で立っている。
「その料理は、“ただの料理ではない”」
彼の視線が、私を射抜く。
「お嬢様……あなたは一体、何をしている?」
逃げ場のない問い。
そして同時に――
どこかで、何かが“起動する”気配。
頭の奥に、ノイズのような違和感が走る。
(……なに、これ)
世界が、ほんの一瞬だけ“揺れた”。
そして。
ミレイユが、私を見た。
その瞳に――
はっきりとした“敵意”が宿っていた。
(……え?)
さっきまでの無邪気さはない。
まるで、別人のような冷たい目。
そして、彼女は小さく呟いた。
「……排除、対象」
その言葉を。
誰も、聞いていなかった。




