第八十二話:狂王の玉座! 崩壊する知性と、純粋なる悪意の覚醒!
――大坂城、豊臣メガバンク本社ビル最上階。
分厚い防弾ガラスの向こうで、黒い雨が大坂の街を濡らしていた。
薄暗いCEOオフィスの中心。純金のデスクの前に、超エリート官僚である石田三成が、冷や汗を流しながら深く平伏していた。
「……申し上げます。白河の関に配備した暗殺部隊『黒の監査役』五十名が、全滅いたしました。伊達の軍勢は、無傷のまま奥州を抜け、九州・名護屋城へと南下を続けております」
三成の震える声が、静寂の部屋に響く。
デスクの奥の豪奢な椅子に深く腰掛けているのは、絶対的権力者・豊臣秀吉だ。
「……」
秀吉は答えない。手元の純金の文鎮を、意味もなくコツコツと机に打ち付けているだけだ。
「秀吉様……。伊達の部隊には、かつて『夜叉』と呼ばれた男、神堂宗次郎が随伴しております。奴の銃闘術の前に、我々の暗殺部隊は手も足も出なかったと……」
「……誰だ、それは」
不意に、秀吉がポツリと呟いた。
三成が顔を上げる。
「え……?」
「だから、誰だ。誰がワシの……ワシの黄金の茶碗を盗んだんだ!?」
ガァンッ!!
秀吉が突然、純金の文鎮を三成の顔の横へと力任せに投げつけた。文鎮は背後の壁にめり込み、三成はヒッと短い悲鳴を上げて床にすがりついた。
「秀吉様!? 私は伊達政宗の暗殺失敗の報告を……!」
「伊達……? ああ、あの独眼竜の小倅か。小田原には遅れてきおって……生意気な奴め。だが、首を垂れたのだから許してやろう。茶を点ててやれ」
「秀吉様ッ! 目を覚ましてください! 小田原の役はもうとうの昔に終わっております! 伊達は今、我々に牙を剥き、九州へ向かっているのです!!」
三成の必死の叫びに、秀吉の首がギギギ、と奇妙な音を立てて動いた。
その顔を見た瞬間、三成は背筋に氷柱を突き立てられたような悪寒を覚えた。
秀吉の目は、完全に焦点が合っていなかった。
白濁し、知性の光が完全に抜け落ちた、泥水のような瞳。口元からは一筋の涎が垂れ、かつてのカリスマ経営者の面影は、そこには微塵もなかった。
「……牙を、剥く? ワシに……? 天下人のワシに……?」
秀吉は、震える手で自分の顔を掻き毟り始めた。
ガリッ、ガリッ、と爪が皮膚を裂き、血が滲む。
「なぜだ……! なぜ皆、ワシから奪おうとする!? 信長様も、家康の狸ジジイも、利休も……! ワシの集めた黄金を! ワシの若さを! ワシの天下をッ!! 許さん……許さんぞぉぉッ!!」
それは、計算高い天下人の怒りではない。
すべてを失う恐怖に怯える、老いと病に精神を蝕まれた老人の「被害妄想」と「癇癪」だった。
しかし、その哀れな老人は、日本中の富と武力を握る絶対的な独裁者なのだ。
「三成ィィッ!!」
秀吉が立ち上がり、血走った狂気の目で三成を睨み下ろした。
「殺せ。伊達の小倅も、夜叉も、奥州の領民も、道中の草木も虫ケラも……! ワシの視界に入るもの、ワシの記憶にないものは、すべて燃やして灰にしろ!! 灰にして、それを海に撒いて、唐天竺まで道を作れェェェッ!!」
絶叫する秀吉の姿に、三成は絶望的な恐怖を抱いた。
今まで秀吉が冷徹な判断を下していたのは、「メガバンクの利益」という明確な目的と合理性があったからだ。
しかし今の彼には、損得も、戦略も、人間の感情すらもない。
ただ、己の不安を埋めるためだけにすべてを破壊しようとする、制御不能の「純粋な悪意」へと変貌を遂げていたのだ。
「……は、ははっ……! 御意に……!」
三成は、歯の根をガチガチと鳴らしながら平伏するしかなかった。
「……ヒッ、ヒッヒッヒ……。そうだ、全部燃やせ。燃やせば、暖かくなる……。ねね、どこだ……寒いぞ、ねね……」
秀吉は力なく玉座に崩れ落ちると、今度は虚空に向かって手を伸ばし、幼児のように泣き笑いを始めた。
狂気の太閤。
理性を失った巨大な権力は、もはや誰も止めることのできない破滅の嵐となって、日本中を飲み込もうとしていた。
「(……もう、かつての秀吉様ではない。我々は、怪物に仕えてしまったのだ……)」
オフィスを退室した三成は、冷や汗でびっしょりと濡れた顔を拭い、暗い廊下で深く絶望の息を吐いた。
しかし、メガバンクの歯車となった彼に、もはや後戻りする道はない。
「……西国に駐留する豊臣の主力精鋭部隊、『五大老』を動かせ。手段は問わん。伊達の軍勢を、名護屋城に着く前に物理的に消去しろ」
三成の冷酷な指令が、大坂城の闇を伝って駆け抜ける。
老いと狂気が生み出した、絶対的な「悪意」。
宗次郎と伊達家の前には、これまでの刺客とは次元の違う、本物の戦争の狂火が立ち塞がろうとしていた。




