第七十四話:虚飾のプレゼント。冷ややかな激昂と、捨てられない「過去」
【嘘の前回のあらすじ】(※本編とは一切関係ありません)
超満員の観衆で熱気渦巻く後楽園ホール。絶対王者・ねねの持つIWGPベルトに挑んだ淀殿(元カトリーヌ)だったが、試合は凄惨なラフファイトへと発展した。
レフェリーのブラインドを突き、淀殿が隠し持っていた「南蛮渡来の高級ブランド・ハンドバッグ」による凶器攻撃がねねの顔面にクリーンヒット! どよめく館内。すかさず淀殿はトップロープへ登り、必殺のムーンサルトプレスを投下!
しかし、ねねはこれを剣山(両膝を立てる迎撃)でブロック! 悶絶する淀殿に対し、ねねは冷酷な表情で立ち上がると、掟破りの逆・ムーンサルトプレスを敢行!
完璧なスリーカウントがマットを叩き、ねねが王座防衛に成功した。リング中央でマイクを握ったねねは、「顔だけじゃこのリングは生き残れないわよ、お嬢ちゃん」と一蹴。淀殿はセコンドの肩を借りながら、「次は金網デスマッチで決着つけてやる!」と涙ながらに絶叫し、女たちの泥沼の抗争は次なるステージへと向かうのであった――(嘘)。
大坂の朝。豊臣メガバンク本社ビルのペントハウスは、重苦しい空気に包まれていた。
高級なシルクのシーツに包まれたベッドで、淀殿は一人、目を覚ました。隣に秀吉の姿はない。彼はすでに、戦場であるCEOオフィスへと向かった後だった。
「……また、私を置いていった」
淀殿はシーツを強く握りしめた。
あの日、ねねが置いていった「塩結び」の夜から、秀吉は確実に淀殿に優しくなった。彼女の望むものは何でも買い与え、週末はヘリを飛ばして海外のカジノで豪遊した。
表向きには、誰もが羨む「絶対的権力者とその寵姫」という完璧なカップルだった。
しかし、淀殿の心は満たされるどころか、焦燥感で焼け焦げそうになっていた。
彼が与えてくれるのは、金と、一時の情熱だけ。ふとした瞬間に彼が見せる、遠くを見つめるような虚ろな瞳。その瞳の奥に映っているのは、間違いなく自分ではない「あの女」の幻影なのだと、淀殿は本能で悟っていた。
「……私の方が、若くて、綺麗で、彼にふさわしいのに」
淀殿はベッドから起き上がり、秀吉が脱ぎ捨てていった昨夜のジャケットをハンガーに掛けようとした。
その時、ジャケットの内ポケットから、ポロリと床に何かが落ちた。
「これは……」
淀殿が拾い上げたのは、薄汚れた、色褪せた布切れだった。
いや、それは布切れではない。かつては赤い絹糸で編まれていたであろう、手作りの「お守り」だった。角は擦り切れ、中の木札が少し見えている。
メガバンクのCEOが持つには、あまりにもみすぼらしく、場違いな代物だった。
その時、ペントハウスの扉が開き、忘れ物を取りに戻ってきた秀吉が姿を現した。
「茶々、起きているか。悪いが、ジャケットのポケットに……」
秀吉の言葉が止まった。
彼の視線は、淀殿の手に握られた薄汚れたお守りに釘付けになっていた。
「ひでちゃん。これ、何かしら」
淀殿の顔から、スッと表情が消えていた。「こんな汚いゴミ、あなたに似合わないわ。ハイブランドのスーツが台無しよ。私が、もっと素敵で高価なプラチナのチャームを買ってあげる。だから、こんなものは……」
淀殿がお守りをゴミ箱へ放り投げようとした、その瞬間だった。
「――それに触るなッ!!」
ビリィッ!! と、空気が引き裂かれるような怒号が響いた。
秀吉が凄まじい形相で踏み込み、淀殿の手首をギリッと強く掴んだ。
「痛っ……! ひ、ひでちゃん……!?」
淀殿は恐怖に目を見開いた。
今まで、どれだけ我が儘を言ってもデレデレと笑って許してくれていた「ひでちゃん」は、そこにはいなかった。
獲物を引き裂くような、冷酷で、一切の感情を排した天下人の「絶対的な眼光」が、淀殿を射抜いていた。
「……いいか、茶々」
秀吉は、淀殿の手からお守りを奪い取るように引き抜くと、低く、地を這うような声で言った。
「お前には、俺のすべてをやろう。金も、宝石も、地位も、夜景も、何もかもだ。お前が望むなら、この国ごと買い取ってプレゼントしてやってもいい」
秀吉は淀殿の手首から手を離し、乱れたネクタイを締め直した。
「だがな……。俺の『過去』にだけは、絶対に触れるな。これだけは、お前がどれだけ着飾ろうが、絶対に足を踏み入れてはいけない聖域だ」
それだけ言い残し、秀吉は背を向けて部屋を出ていった。
バタン、と重厚な扉が閉まる音が、淀殿の胸に絶望の鐘のように響いた。
そのお守りが誰の作ったものなのか、秀吉は一言も言わなかった。言う必要すらなかった。
あの色褪せた布切れには、ねねと秀吉が泥水をすすりながら駆け上がってきた、血と汗と涙の歴史が詰まっている。プラチナのチャームなんかで上書きできるような、軽いものではないのだ。
「……あ、ああ……」
淀殿は、その場に崩れ落ちた。
完璧な容姿も、南蛮渡来の香水も、彼を愛する情熱も。
あの「薄汚れたお守り」一つに、まったく敵わなかった。
愛され、必要とされているはずなのに、決して越えられない絶対的な壁。淀殿は、豪華なペントハウスの床で、一人声を殺して泣き崩れた。
勝負は、とっくの昔についていたのだ。
彼女は、王座の隣に座ることを許された、美しき「敗者」でしかなかった。




