第四十三話:荒波の幻ガニ! 冷たい海と、熱い胸の鼓動!
――日本海に面した、とある極寒の漁港。
吹き荒れる吹雪の中、『東西瓦版』の腕章をつけた栗田クリ子は、寒さにガタガタと震えていた。
「さ、寒いわ……。タナカさん、本当にこんな所に『究極のカニ』なんているの?」
「文句を言わないっす、クリ子。帝都瓦版の『至高のエビ』に勝つには、日本海の荒波が育てた『幻の黄金ズワイガニ』を手に入れるしかないっすよ」
エプロンの上に薄手のドカジャンを羽織っただけのタナカは、鋭い目で海を見つめている。その横顔は、普段のふざけた態度からは想像もつかないほど、真剣な「料理人」のそれだった。
「きゃっ!」
凍りついた堤防で足を滑らせたクリ子が、海に向かって倒れそうになる。
「危ないっす!」
ガシッ!
タナカのたくましい腕が、クリ子の華奢な腰を抱き留めた。
「……気を付けるっすよ。ドジな奴だなぁ」
タナカが至近距離で、少し意地悪く、しかし優しい声で微笑む。
(ドキンッ……!)
クリ子の胸が、なぜか大きく高鳴った。
(な、なに? 今の胸の鼓動……。タナカさんって、いっつも適当で変な口調なのに、いざという時はすごく頼りになる……)
「ほら、風邪ひくっすよ」
タナカは自分のドカジャンを脱ぎ、クリ子の肩にそっと掛けた。エプロン一枚になったタナカの広い背中を見つめながら、クリ子の頬は寒さとは違う理由で赤く染まっていた。
◆◆◆
二人が訪ねたのは、この港で一番の腕を持つと言われる頑固なカニ漁師、源さんの番屋だった。
「帰れ帰れ! 新聞社だか何だか知らねぇが、俺の獲ったカニは見世物じゃねぇ! 特に海原大山とかいう偉そうなジジイの対決のダシに使われるなんて真っ平ごめんだ!」
源さんは、タナカたちを怒鳴りつけた。
「……源さん。あんた、自分のカニの『本当の味』を知らないようっすね」
タナカが、囲炉裏の前に座り込みながら静かに言った。
「なんだと!? 俺は50年カニを茹でてきたんだぞ!」
「なら、俺が『本当のカニの美味さ』を教えてやるっす。台所を借りるっすよ」
タナカは生簀から見事なズワイガニを取り出すと、鍋に湯を沸かし始めた。
「フン、素人が。カニの茹で方なんて塩加減が全てだ。俺以上の塩梅が……なっ!?」
源さんが驚愕の声を上げた。タナカは塩ではなく、持参したペットボトルの『海水を特殊なフィルターで濾過した水』を鍋にドバドバと注ぎ入れたのだ。
「オーホッホッホ……じゃなかった。カニが育った環境、つまり『生息地の海水の塩分濃度とミネラルバランス』を完全に再現したお湯で茹でる。これこそが、カニの細胞を極限まで活性化させる、タナカ流・究極のボイルっす!」
数分後、真っ赤に茹で上がったカニが皿に乗せられた。
源さんが一口食べる。
「……ッ!! あ、甘い! なんだこの深い旨味は! 俺が50年信じてきた茹で方が、根本から間違っていたというのか……! わ、わかった。お前さんの腕を見込んで、俺の最高傑作『幻の黄金ズワイガニ』を託そう!」
頑固漁師が見事に陥落した。
「やったわね、タナカさん!」
クリ子が思わずタナカの両手を取って喜ぶ。
「当然っすよ。俺たちの『究極のカニ』で、あのジジイの度肝を抜いてやるっす」
タナカの力強く握り返してくる手の温もりに、クリ子はまたしても胸をときめかせていた。
◆◆◆
その頃、帝都の超高級料亭『美食倶楽部』。
「女将を呼べッ!! このエビのチリソースはなんだ!!」
ガシャァァァンッ!!
和装に白髪の初老の男――海原大山が、激怒と共にテーブルをひっくり返していた。
「エビのプリプリ感を殺すような、こんな下等なソースで誤魔化すとは言語道断! タナカの小僧がカニで来ようと、この海原大山が『至高のエビ』で、完膚なきまでに叩き潰してくれるわ!! フハハハハッ!!」
狂気すら孕んだ海原の笑い声が、美食倶楽部に響き渡っていた。
かくして、『究極のカニ』を手に入れたタナカとクリ子。
二人の間に芽生えつつあるロマンスの行方と、迫り来る海原大山との直接対決。
果たして、タナカの『究極のメニュー』は、海原の『至高のメニュー』を打ち破ることができるのか!? 決して負けられない戦いが、静かに幕を開けようとしていた――。




