第7話 防衛体制
工房の境界石が、微かに震えていた。
ナイレンの掌が、魔導刻印の上に置かれる。
魔力の流れに、小さな乱れ。
まるで、外部から触れられたかのように。
彼の眉が動く。
目線が、森の縁へ走る。人影はない。
「結界番号三、応答遅延」
声が冷たく響く。従業員が記録を取る。
次に、監視水晶。
映像に一瞬のノイズ。時刻は昨夜の零時過ぎ。
「侵入試行の痕跡だ」
従業員の息が止まる。
ナイレンは防衛制御盤の前に立った。
指が、複数のレバーを順に倒していく。
「第一段階。感知結界の感度を二段階上げろ」
「魔獣の誤反応が増えます」
「構わない。全て記録させろ」
「第二段階。監視水晶に、動体追従を追加しろ」
「魔力消費が……」
「予備回路から融通する。優先順位は防衛システムだ」
彼の声に、揺るがない響きがある。
「防衛システムの核心設定は、私だけが触れる」
鍵が、制御盤下部の隠し扉に差し込まれる。
「万が一、私が不在の時はシステムは完全にロックダウンしろ」
従業員の顔が強張る。
「それでも、突破しようとする者がいれば──それは、もはや査察官ではない。侵入者として、対応せよ」
鍵が回る。
内部の結晶が、深い青色に輝いた。
防衛システムの最終設定が、彼の手で更新される。
かつての友人への、無言の応答だった。
水の流れる音が、突然途切れた。
ナイレンの指が浄水器の外殻に触れる。魔力の残響が爪先を走る。
「これは……信号だ」
耳を澄ます。水流音だけが戻る。先ほどの違和感は消えた。
彼は制御ユニットを起動する。画面が青白く光る。
浄水回路の模式図が浮かび上がる。緑の線が規則的に脈打つ。
目が一点を捉える。並列回路に、赤い点が瞬いた。
一瞬だけ。また消える。
「捕捉する」
指が拡大操作をする。赤い点の軌跡を追う。
心臓の鼓動が速くなる。赤い点は、浄化経路を通らない。
別のルートをたどる。極小の迂回路だ。
歯を食いしばる。その先は、外部送信端子につながる。
隠された送信回路だ。生データを外部へ流す。
ナイレンはユニットの記録を巻き戻す。
赤い点が現れた時刻を特定する。深夜零時四十三分十五秒。
「定時送信か」
吐息が白く曇る。冷たい空気が肺を刺す。
彼は送信先の周波数を解析する。表示される数値が、王都の標準帯域と一致する。
手のひらが汗ばむ。金属の外殻が冷たく感じる。
「監視は、稼働中だ」
呟きが、施設内に吸い込まれる。
ナイレンは浄水器の基盤を露わにする。ネジを外す音が硬い。
内部の魔導結線が現れる。そこに、本来ない水晶片が埋め込まれていた。
指先が震える。水晶片を摘み上げる。
表面に微かな刻印。王国技術院の認証コードだ。
腹の底が熱くなる。怒りがじわりと湧く。
彼は水晶片を懐にしまう。証拠品だ。
次に、偽装回路の接続作業に入る。
手順は計画通り。分離、偽データ流し込み、監視機能の無効化。
道具が手慣れた動きで並ぶ。ピンセットが結線を外す。
監視回路だけを切り離す。浄水機能はそのまま残す。
「これでいい」
偽のデータ生成ユニットを接続する。正常動作を示す信号を流し始める。
最後に、基幹設計の一部を書き換える。
監視回路への魔力供給を止める。記録用の痕跡だけを残す。
作業が完了する。浄水器が再起動する音が低く響く。
水流音が戻ってきた。それだけだ。
ナイレンは装置を閉じる。手に油の匂いがつく。
窓の外は、まだ深い夜だ。
監視は無力化された。だが、戦いは終わっていない。
水滴音がする。規則的だ。
ナイレンは動きを止めた。浄水器の陰に立つ。
水は滴っていない。床は乾いている。
音は内部から来る。チック、チック、チック。
耳を近づける。金属の外殻が冷たい。
音の間隔は一定だ。機械的だ。
歯を食いしばる。この音は設計にない。
心臓が肋骨の内側で一回、強く打った。
指が外殻に触れる。振動が伝わる。
極小の部品が、繰り返し作動している。
彼は制御ユニットに手を伸ばした。
画面が青白く光る。浄水回路は緑だ。
水滴音は表示されない。異常データも無い。
「隠されたタイマーか」
吐息が白く曇る。腹の底が冷える。
目が画面をすする。並列回路を探す。
赤い点が一瞬、現れた。監視回路の分岐だ。
音の間隔と、点滅の間隔が一致する。
送信サイクルだ。定時報告の音だ。
ナイレンの指が震える。怒りがこみ上げる。
王国の監視は、音さえも隠しきれなかった。




