お菓子作りの得意な人
ディアス様から調理場に呼び出されたのは、初夜を終えた数日後のことだった。
この数日間は、ディアス様が「動いてはいけない」と言って、甲斐甲斐しく世話を焼いてくださった。
私は大丈夫だったのだけれど、「俺のような大きな男に抱かれるのだから、小柄な君にはとても負担が大きいはずだ」と、動き回ることは許して貰えなかった。
思ったよりも心配性なのですねと笑う私に、「今までこんなことはなかったのだが、急に、不安になってしまってな」と、ディアス様はおっしゃっていた。
そういえば――病気で熱が出たときも、誰も傍にはいてくれなかったことを思いだした。
まるで病人のように扱われながら、私は甘やかされるということを全身で味わっていた。
二日間ほど、ディアス様に差し上げたいと思い持参してきた本を読んで差し上げたり、手を繋いで眠ったりして過ごした。
ディアス様は『世界の食文化』の本を、思いのほか喜んでくださり、熱心に眺めていた。
三日目の朝に、さすがに私は「もう大丈夫です」と、ディアス様を説得した。
ディアス様は「君の母上は体が弱かったのだろう」と不安そうにするので、私は大丈夫だと言い聞かせた。どうやらディアス様は、私もお母様のように体が弱いかもしれないと心配をしてくださったようだ。
今まではこんなことはなかったのだがと、困ったように眉を寄せていた。
「君を閉じ込めてしまった詫びに、俺の隠し事を君に教えたい」
と、おっしゃり、調理場に来るように言われたのが先程のことである。
ローラさんたちによって身支度を調えていただいた私は、湯浴みの最中に体中に散っている赤い跡に気づいて、とても驚いた。
それは所有の証なのだという。本で読んだことはあるけれど、こんなにくっきり残るものかと驚いた。
ローラさんたちは「リジェット様は肌が白いから」「ディアス様は狼ですし」「噛み跡もありますから、きっと朝になって内心大慌てしたのでしょうね。リジェット様を傷つけてしまったと思って」と、口々に言う。
ディアス様の名前に傷がつかないように、「痛くはなかったのです」と皆に伝えると、皆が更に盛り上がってしまったので、いたたまれない気持ちになった。
久々に、ドレスに着替えて髪を結い、調理場に向う。
ディアス様の秘密が調理場にあるとはどういうことだろうと思いながら顔をのぞかせると、そこには甘い香りが漂っていた。
「リジェ、体は大丈夫? 兄上に、少し具合が悪かったと聞いて、心配していたよ」
「フェリオ君。大丈夫ですよ。このとおり、元気です」
「そう、よかった。兄上に、あまりリジェを独り占めしないでって、言っておいたよ。ニクスも会いたがってた」
フェリオ君の頭の上がすっかり定位置になっているニクスが、ぱたぱたと翼を広げた。
ニクスの赤いふっくらとした体を指でつつく。
調理場の調理台の上には、大きな飴細工がある。
それは、不死鳥ニクスの姿をしていた。
飴細工の隣で、綺麗に焼き上げられたスポンジケーキにクリームを塗っているのは、エプロンをしたディアス様だった。
「来たか、リジェ」
「ディアス様が、ケーキを……?」
「あぁ」
その大きな手で作ったとは思えないほどに、飴細工は繊細な形をしているし、クリームもみるみるうちに綺麗に塗られていった。
ケーキの上に桃や葡萄をのせて、つやつや光る透明なジュレのようなものを塗る。
その中心に飴細工を乗せて、それから再度クリームで飾り付けをした。
「できた」
「まぁ、すごい!」
「……褒めてくれるのか?」
「はい、すごいです、ディアス様。まるで、お菓子職人のようですね!」
ディアス様は恥ずかしそうに視線をさまよわせて、それから小さく息を吐き出した。
「俺のような者が、似合わないとは言わないのだな」
「どうしてそのようなことを言うのですか? こんなに素敵なお菓子を作れるなんて……お菓子……あ!」
私はぽんっと、両手を合わせた。
そういえば――私がウルフガードに来たばかりの時。
チェリーパイを食べる私を、ディアス様は熱心に見ていたような記憶がある。
「チェリーパイ、クッキー……とても美味しかったです。フェリオ君が、お菓子作りが得意な人が作ったって……あれは、ディアス様?」
「覚えているのか。君の記憶力は、さすがだ」
「大切な記憶は、覚えているのですよ。あんなに美味しいケーキを食べたのは、初めてでしたから。つくってくださったのですか?」
「あぁ。……菓子作りは、趣味でな。それぐらいしか、君にしてやれることはなかったから、せめて、と」
フェリオ君が「リジェに教えたらって、言ったんだよ?」と笑った。
「でも兄上、嫌われたくないとか、恥ずかしいからとかって言ってね。僕からしたら、上半身裸でうろうろしている方がずっと恥ずかしいんだけど」
「男の裸は別に恥ずかしくないだろう」
「恥ずかしいよ」
これは、私もフェリオ君と同意見だ。
ディアス様は恥ずかしくなくても、私は恥ずかしい。
――色々、思いだしてしまうから。
「昔から……好きだったんだ。剣を持つことは嫌いではないが、それは必要だからで、趣味とは言えない。菓子作りは、正確に分量を量らなくてはならないしな、温度調節にも気をつかう。細工も繊細で、力加減を間違えるとすぐに失敗してしまう。だから、無心になれる」
ぽつぽつと理由を話してくださるディアス様は、そこまで話し終えると、吹っ切れたようにいつもの快活な笑みを浮かべた。
「菓子を作っている最中は、色々なことを忘れることができてな。俺はあまり食べないのだが、菓子ができあがるとローラやグレイシードやフェリオが喜ぶから、余計に熱が入ってしまって。君には、秘密にしていた。辺境の狼が菓子作りが趣味とは、幻滅されるかもしれないだろう?」
「しません。とても素敵なことだと思います! 私は、剣を持っているディアス様も好きですが、真剣な表情でクリームを塗っているディアス様も素敵だと想いますよ」
「――君ならそう言ってくれると、分かってはいたのだがな。秘密を伝えるのは、勇気がいる」
これでもう、隠し事はなしだと――ディアス様はおっしゃって、私の手を握った。
できあがった不死鳥のケーキは、フェリオ君やローラさんや侍女の皆で食べた。
ディアス様は私たちが美味しいと喜んでいるのを見ながら、嬉しそうにしていた。
ほんの少し前に、サリヴェの砦で起ったことが嘘のような、穏やかな日々だった。
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