終章:不死鳥の賢女
ディアス様の元に嫁いでから半年。
――凶報が届いた。
それは、お父様が、海難事故で亡くなったという知らせと、お金の無心の手紙だった。
お父様の乗っていた貿易船が、嵐でもない日に沈んだのだという。
リンダお義母様からの手紙には『今すぐ一億ゴールドを送りなさい』というようなことが書かれていた。
嵐でもない日に船が沈むというのは、おかしな話だ。
リンダお義母様の手紙の中での高圧的な物言いが恥ずかしく、お父様が亡くなってしまったことがあまり実感ができずに、私はディアス様に頭をさげた。
「申し訳ありません。手紙だけでは状況が分からないので、一度、ユーグリド家に戻ろうかと思います」
「ならば、俺も共に行こう。海難事故ではご遺体もないだろうが、君の母と父の冥福を祈りに行きたい」
私とディアス様、それから、ユーグリド商会と取引をしているアスベル様も共にユーグリド家に向かった。
馬車に乗り数日、久々に訪れたユーグリド家は、家財が全てなくなり使用人たちもいなくなり、閑散とした様子だった。
その中で、リンダお義母様とサフィアさんとエメラダさんが、肩を寄せ合うようにしていた。
私が顔を見せると、サフィアさんとエメラダさんが、ぼろぼろと泣き出した。
「お姉様!」
「お姉様、助けに来てくれたのですね!」
「何があったのですか、どうして、こんな……」
二人に駆け寄る私を、リンダお義母様が睨み付ける。
それから、私の後ろにいるディアス様に気づいて、ぱっと表情を変えた。
「何があったも何も、また船の事故よ! お金は持ってきたのでしょうね? あら、あなたがディアス様ですの? まぁ、なんて素敵な方なのでしょう。本当はリジェットではなく、サフィアを嫁がせようとしていましたのよ。今からでも遅くはありませんわ、そんな役立たずの愚鈍ではなく、美しいサフィアを娶ってはいかがかしら」
ディアス様は軽く眉間に皺を寄せて、心を落ち着かせるように息をついた。
「あなたはリジェットの母君だな。悪いが、俺はリジェットを愛している。他の女を娶る気はない。一度愛した女性を簡単に別の者に変えろというような、恥知らずなことをいう暇があったら、状況を説明したらどうだ?」
ディアス様の堂々とした口調や振る舞いに、リンダお義母様は鼻白んだようだった。
サフィアさんとエメラダさんは「ごめんなさい」「ごめんなさい、お母様、やめて!」と、泣きながら謝っている。
荒れた家の様子を見るにつけ、怖い思いをしたのかもしれない。
「借財のかたに、持って行かれましたか? なにもかもを」
「そうよ……! 夫が帰らないと思ったら、船の事故の知らせが来たわ。それからすぐに、男たちが家にやってきて、全て、根こそぎ持って行ったのよ!」
「ウルフガード家からは、ユーグリド家にお渡しした金額は、ざっと百億ほどです。三艘の船が沈んだのですか?」
「知らないわ! 私たちは夫の商売のことなど何も知らない! ともかく助けてくださいまし、このままでは私たちは野垂れ死んでしまいます。リジェットは、私の娘。私たちを助ける義務がありますわ!」
アスベル様に問われて、お義母様が激高をした。
私は落ち着かせるために、お義母様の前にしゃがみこんで、その腕を軽く掴む。
「大丈夫です、お義母様。お父様がいなくなり、ご不安だったでしょう。今は、落ち着いて。あとは私に任せてください」
「私たちだ、リジェ。正直、ユーグリド家には思うところがあるが、リジェの希望だ。ある程度の助力はしよう」
「ごめんなさい、ディアス様」
「君はなにも悪くない。事故の原因と後処理がどうなっているのか調べてくれるか、アスベル。ウルフガードの者たちも、買い付けのために街に滞在しているだろう」
「はい」
「それから、この者たちをウルフガードの屋敷に連れて行け。ここでは生活もままならないだろう。贅沢はさせるな、必要最低限でいい」
ディアス様の指示に、お義母様は顔を真っ赤にした。
「私たちに、庶民のように暮らせとおっしゃるの!?」
「黙れ。――食うことと寝る場所に困らないだけ感謝をしろ。それとも、この廃墟に取り残されたいか? お前に何ができる。娘たちを守ることもできず、吠えることしかできないお前に」
「無礼な!」
「お母様、やめて」
「お母様、やめてください! お腹が空きました、それに、ここは怖いです」
アスベル様が屋敷を出て行って、ややあって数名の男性たちを連れてやってきた。
食料の買い付けや輸送のために、街にはウルフガード家の屋敷があるそうだ。
そちらに滞在しているのはアスベル様の部下の方々で、アスベル様がその方々と一緒にお義母様やサフィアさんたちを連れていった。
サフィアさんもエメラダさんも、「ごめんなさい」と私に謝り続けていた。
「二人は私の妹です。困ったときに助けるのは、当たり前です」
「私たち、お姉様に酷いことをしました」
「酷いことも言いました」
「それぐらい、なんでもありませんよ。それでも私はこの家を追い出されたりはしなかったのですから。だから、気にしていません」
それに――だからこそ、ディアス様と出会うことができたのだ。
ディアス様と出会ったことで、私は寂しかったことに気づいたけれど。
ここにいたときは、誰かの言葉も自分の立場も、あまり気にしていなかった。
サフィアさんたちの困窮を、見捨てたいなどとは思わない。
ディアス様と私は、何か残っているものはないかと家を探索した。
ディアス様は興味深そうに「ここが、裏庭に続く扉」「ここが、君の好きな書庫」と、一つ一つを確認するように、壁を撫でたり、扉を撫でたりしていた。
書庫の本は、全て運び出されていた。それが少し、寂しいと感じた。
お父様の部屋も空っぽで、書類も何もかもが残っていない。
万年筆一本残っていない部屋は、空っぽの箱と同じだった。
小さな私の部屋の古めかしいベッドも運び出されていた。
けれど、窓辺に手紙が落ちているのに気づいた。
今まで誰も気づかなかったのだろうか。気づいていて、ただの手紙だからと捨て置かれていたのだろうか。
私は手紙を拾って、開いた。
そこには、お父様の几帳面な文字が並んでいた。
『リジェット。今更遅いだろうが、謝罪をさせてほしい。許してくれとは言わない。これは、懺悔だ』
手紙はそんな一文からはじまっていた。
『お前を身籠もった時から、ジュリエットは体調を崩しはじめた。医師の診察で、心臓が悪いのだとわかり、出産は危険だとも言われた。私はジュリエットを愛していた。彼女の身を護りたく思い、産むなと言った。彼女はきかなかった。喧嘩になり、私たちは険悪になった』
私の知らない、過去が、手紙の中にはあった。
『リンダは私を慰めてくれた。私はリンダの言いなりになり、お前とジュリエットを残して、リンダと別宅に移り住んだ。ジュリエットの凶報を聞き、家に戻ったが――ずっと、リンダの言いなりだった。お前たちを見捨てたという罪悪感から、まともにお前の顔を見ることもできなかったのだ、リジェット』
そんな気持ちで――お父様はいたのか。
ご存命中に話をすることができていたら、もっと、わかり合えていたかもしれない。
けれど、もうお父様はいない。
『結局、私はリンダの言いなりだった。ユーグリド家でお前を守ってやることもできなかった。ディアス殿からもらった金は、リンダたちの浪費の借財にあてた。もっと稼げと言われ続けて、残った金で、一艘だけ船を買った。借財は膨れ上がり、整備もろくにできない。船は、沈むだろう。それがいつかは分からないが、いつか。全ては私の罪だ』
ユーグリド家は、裕福などではなかったのだ。
この家は、はりぼての城だった。
何も知らなかった私は手紙を握りしめた。落ちた涙が、インクを滲ませた。
ディアス様は私を何も言わずに抱きしめてくださった。
ユーグリド家の裏庭の道をのぼった先に、私の好きな海の見える丘がある。
海の見える丘で花を摘み、街の外にある墓地に届けた。
お墓の下にお母様は眠っているけれど、お父様は海の中に消えてしまった。
祈りを捧げ終わり家に帰ると、アスベル様も戻ってきた。
お父様はまるで終わりを見越していたように、沈む船に残っていたのだという。
他の船員の方々は、救命ボートに乗り助かったようだった。
ユーグリド商会の商売は軌道に乗っていて、帳簿は黒字が続いている。
だからといって金は無尽蔵ではない。
船代は高い。船員の賃金や、維持費や燃料費がかかる。
稼げば稼いだ分だけ、それ以上に、お義母様やサフィアさんたちが散財していたようだった。
半年前の船の事故で、ユーグリド商会は大打撃を受けた。
そこから、全て元通りになったわけではないのに、ディアス様からまとまったお金を頂いたからと気が大きくなったのだろう、お義母様たちは更にお金を使い続けたのだそうだ。
「そんなに……お金の使い道があるのでしょうか」
「金があるところには、寄ってくるのですよ。金の匂いに敏感な、いやらしい人間たちが。あると思ってそんなものたちと共に豪遊すれば、すぐになくなる。それが、金というものです」
アスベル様が悩ましげにそう言って、それからディアス様に尋ねる。
「このままユーグリド商会が潰れれば、王国の食料の流通に関わります。困窮する者たちが出てくるでしょうし、ウルフガードも正直、少なからず影響を受けますね」
「あぁ、だろうな。リジェは、あの母君たちをどうしたい?」
「私は――」
お金を渡すことが、助けることだとは思えなかった。
きっと渡せば同じことを繰り返すのだろう。
でも、どうしたらいいのだろう。
「……できれば、助けたいです。でも、今のままではいけないのでしょう。ディアス様はどうされるべきだと思いますか? 私だけの判断では、間違ってしまいそうですから、ご意見をお聞きしたく思います」
「そうだな。では、君の母君の生家に連絡を取ろう。確か、男爵家だったという話だな」
そちらで引き取らないというのならば、一度修道院に入ってもらうことになる。
いつまでもウルフガードで面倒をみるわけにはいかない。
結局、リンダお母様の生家の方々は、とても責任がとれないと無関係だと切り捨てた。
それぐらい、リンダお義母様たちの借財は、どうにもならないぐらいに膨らんでしまっていたのだ。
ユーグリド商会の立て直しは、私の名の元に、ウルフガード家の有能な者達を派遣して行うことになった。
元々貿易業は軌道に乗っていたために、ユーグリド商会の方々や造船業の方々と力を合わせて働いて、半年程度の時間で元に戻すことができた。
私も、アスベル様やディアス様と一緒にユーグリド商会で、収支の計算や人材の確認や、新しい貿易品の提案などを行った。
働くことは楽しくて、誰かの役に立てることは嬉しかった。
借財の整理も終わり、修道院にお義母様たちを迎えに行った。
リンダお義母様は修道院での生活があわず、病みついてしまっていた。
サフィアさんやエメラダさんは、深く反省し、真面目に働いていたのだと、シスターたちが教えてくれた。
「ごめんなさい、お姉様。お姉様にどんな思いをさせていたのか、私たちは思い知りました」
「お金は、当たり前にそこにあるものだと考えていたのです。贅沢が当たり前だと思っていました。お父様は、私たちのせいで亡くなってしまったのですね」
サフィアさんたちと話し合いをして、ユーグリド家はウルフガードとも繋がりのある信頼できる方に任せることになった。
サフィアさんとエメラダさんは、リンダお義母様の世話をしながら、ユーグリド家でこれからは静かに暮らしていくという。
ユーグリド商会の有能な者を婿入りさせるという話しもでているようだけれど、それはもう、私たちが関わらなくてもいいことだろうと、あとのことはアスベル様の部下たちに任せて、ウルフガードに戻った。
それから――私とディアス様は、忙しく日々を過ごした。
ナユタ様から和睦の手紙をもらった。
私の提案がそこには記されていて、サリヴェの王や兄を説得して、和睦交渉の了解をもらったのだという。
ディアス様と共にサリヴェに赴きナユタ様と会談をしたり、国王陛下と話し合いをしたりと飛び回り、サリヴェとは塩湖を共同開発するということで和睦を結ぶことができた。
サリヴェは豊かな国である。
あちらは塩や、鉱石や海産物が欲しい。私たちは、食料や牧畜が欲しい。
ならば戦いよりも、手を取り合っていくべきだろう――と、国王陛下同士の会談が実現して、しばらくの平和が訪れた。
忙しないけれど、ディアス様と共にいて、色んな人と話をして、色んな景色を見ることができる。
それはとても刺激的で、幸せに満ちた日々だった。
フェリオ君は、騎士の訓練ができるほどに体の状態が回復していた。
けれど、戦いはディアス様に任せて、言葉や文字で役に立てるようになると――今は勉強に力を入れている。
私たちの傍らには、可愛らしい赤い鳥がいつも飛んでいた。
不死鳥ニクスは、双頭の獣と並び、ウルフガードの守り神として尊ばれている。
束の間に訪れた平穏で、私とディアス様は時々二人で山や森に出かけた。
天幕をはって、薪の炎で料理をして、星を見る。
何もない静かな自然の中でディアス様と二人でいる時間が、私はとても大切なものに思えた。
風の音や、森の音、川のせせらぎを聞きながら、ディアス様の腕に包まれて、夜を明かした。
微睡みの中で、皆が私のことを「不死鳥の賢女」と呼んでいると、ディアス様が笑いながら教えてくれる。
私はそんなにたいした人間ではないのだと、顔を赤くしたのだった。
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