星と馬
はじめてのお酒で、なにやら楽しい気持ちになってしまったらしい。
慰霊祭の帰り道から私の記憶は曖昧で、気づけばお城のベッドで眠っていた。
目を覚ますと、ディアス様はご不在だった。
「兄上は、国境の視察に行ったみたい。今朝早くに警備隊から連絡が来て、サリヴェの軍に不穏な動きがあるとかで」
「そうなのですね、大丈夫なのでしょうか……」
「兄上のことだから大丈夫だとは思うよ。カーライルも一緒に連れて行ったし。不在の間は、アスベルが兄上の代わりを務めてくれるからね」
昨日はお酒を飲んだせいで失態を晒してしまい申し訳ありませんでしたと、ディアス様に謝るつもりだった。
けれど、私がディアス様の元に向かうよりも先にフェリオ君が私の元に訪れて、そう教えてくれた。
「兄上から、リジェットに。挨拶もせずに出かけてしまいすまない、だそうだよ」
「気にかけてくださり、ありがたいことです。お酒を飲んだせいで、寝坊をしてしまった私がいけないのに」
「そのことなら気にしなくていいよ。兄上、いつもよりもなんだか嬉しそうだったし」
「嬉しそう?」
「うん。不在の間、リジェをよろしく頼むって」
「……まぁ」
リジェと呼ばれたことも、お母様の幻を見たことも。
星空の海の中を歩いているような、帰り道も。
私の夢ではない。目覚めたら消えてしまう、幻などではない。
全て、ディアス様との大切な思い出だ。
「リジェットも、嬉しそうだね」
「はい。一日、一日、大切な思い出が増えていくようです。フェリオ君のお兄様は、皆に愛されている優しい方ですね」
「うん。優しいだけじゃなくて、とても強いんだよ。僕の自慢の兄上なんだ」
私とフェリオ君は、書庫へと向かった。
サリヴェ語を教えるという約束をしていたからだ。
ローラさんが書庫に飲み物やお茶菓子などを用意してくれる。
今日はフェリオ君の家庭教師とのお勉強はお休みだと、ローラさんが教えてくれた。
「ローラさんも、もしよかったら一緒にどうでしょうか。お忙しいでしょうか」
「いえ、私は……リジェット様やフェリオ様と同じ席につくのは、はばかられます」
「別にいいよ、ローラ。ね、リジェット」
「ええ。……あぁ、でも、私、余計なことを言いましたね。サリヴェは、もしかしたらローラさんのご両親の仇かもしれないのに」
いくつかの、サリヴェ語で書かれた本を机に積み上げている。
比較的文字数が少なくて、分かりやすい物語の類である。
ローラさんを誘った私は、ローラさんが戦争孤児だったことを思い出して、反省をした。
事情も良く知らないのに、余計なことを言ってしまったかもしれない。
「いえ! では、私もご一緒させていただきます。私、昔から武道は得意なのですが、お勉強は不得意で……このように座学をするのはいつぶりでしょう。嬉しいですよ、リジェット様」
「グレイシードは勉強が得意なのに、ローラは苦手だったんだよ、リジェット。宿題を、グレイシードに押し付けていてね。それがばれて、よく先生に怒られていたんだ」
「フェリオ様、それは内密に……!」
ローラさんは――そのお淑やかな見た目とは反して、結構やんちゃだったようだ。
「でも、ローラさん。あまりご無理をなさらないでくださいね」
「ご心配、ありがとうございます、リジェット様。確かに私の父はサリヴェとの戦いで命を落としましたが、だからといってサリヴェを恨んでいるわけではないのですよ」
「……そうなのですか?」
「ええ」
「リジェットも、リジェットの家族を恨んでいないでしょう? それと同じ」
「……家族を、恨む?」
フェルネ君に言われて、私は首を傾げる。
そんなこと、今まで考えたこともなかった。
「うん。……あぁ、リジェットの場合とは少し、違うかも。どちらかというと、海に沈んだ貿易船に似ているのかな」
「貿易船に……」
「そう。船が沈んでも、嵐や海を恨んだりはしないでしょう? サリヴェも同じ。サリヴェの兵士だって、戦いたくて戦っている者は少ないんじゃないかな。でも、どうにもならないんだよ。ウルフガードは国境を守らなくてはいけないし、サリヴェは戦いを仕掛けなくてはいけない」
フェルネ君はそう言って、ローラさんを見あげる。
ローラさんは頷いた。
「この土地に、生まれた者の宿命なのでしょうね。父の死も、辺境伯の死も、立派なものでした。思うように生きて、そして亡くなったのです。ウルフガードを守ることが生きがいだったのでしょう」
ローラさんの話を聞きながら、私はディアス様のことを考えていた。
ディアス様も、そうなのだろうか。
――ディアス様はお強い。けれど、どんなに強くても、命を落としてしまうことがある。
それは、運、といわれるものではないだろうか。
「私には、同じ戦で家族を失ったグレイシードがいて、お城の者たちは皆優しかったのです。ですから、私は恵まれていました。今の穏やかな日常を守ることが、私の務めと考えています。辛いといえば、リジェット様のほうがよほど……」
「そんなことはないのですよ。ユーグリド家には、大きな図書室があって、それだけで十分でした。苦労という苦労はなかったのですけれど……でも、ウルフガードに来てからの方がずっと、幸せだと感じます。皆さん、私と話をしてくれますし、ディアス様も優しくしてくださいますから」
「リジェット様……」
「ずっと、ここにいてね、リジェット」
「はい。それを許していただけるのなら、私もそうしたいと考えています」
私はサリヴェ語の本のページをめくった。
動物や、植物などをかたどった文字が並んでいて、ローラさんは「絵にしか見えないです」と頭をおさえた。
「サリヴェには遊牧民が多く、自然と共に生きている方々です。自然と、文字もそういったものが多いのでしょうね。これは、星。これは、月。絵と、文字が同じです。星は、ルマーレ。月はエスペラントと読みますね」
「難しいね」
「王国の文字とは違いますから、混乱しますよね」
「私は、もうすでに混乱しています」
「ふふ……これは短い物語なので、読んでみましょうか」
私は文字を指で辿りながら、サリヴェ語で物語を呼んだ。
『昔あるところに、星から落ちた美しい女性がいました。サリヴェの王が女性を拾い、大切にしました。すると、女性は王に大切にしてくれたお礼だといい、星に帰る間際に立派な馬を二頭くれました。サリヴェの馬は星渡馬と呼ばれるようになりました。天からの贈り物です』
「星に女性が住んでいて、馬をくれた?」
「不思議な話ですね」
「そうですね。サリヴェにはこういった神話が多いのです。サリヴェの人々は、死んだ魂は星に還ると信じていますから、星は……神様の象徴なのですね。彼らは馬と星を大切にしています。これは、遊牧民が道標として星を見るからで、そして馬は生活に欠かせないものだから――ということもあるのでしょう」
フェリオ君とローラさんは顔を見合わせた。
それから、どことなく嬉しそうに目を細める。
「こうして話をきくと、僕たちと同じ、人なんだと感じるね」
「そうですね。何も知らないと――ただ、領土を侵してくる悪辣な国、と思ってしまいそうですが」
「私は物語の中でしか、サリヴェを知りませんから……フェリオ君やローラさんのほうがよほどサリヴェの方々を知っていると思います。けれど、こうした文章をサリヴェの方々が書き残し、親しんでいると思うと……会話ができそうな、気がするのですよ」
ウルフガードとサリヴェが、常に交戦状態にあったかといえばそうでもない。
長い歴史の中では、対話で和睦を結んでいたこともある。
それは、その時の王の考え方によるものだ。
今は、どうなのだろう。
私はできれば、ディアス様にご無事でいてほしい。ウルフガードの方々が、傷つかないでほしい。
フェリオ君は私の読んだ文章の文字を、つらつらとノートに書き始める。
ローラさんは頬を上気させながら「こうして物語を読んでもらうのは久々です」と、にこにこ笑った。
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