初デートと終わらない熱
どのぐらい、そうしていたのだろう。
ディアス様の腕の中で私は僅かに身じろいだ。
「あの、ディアス様」
「ん?」
「そろそろ……」
涙も気持ちも、落ち着いた。
落ち着くと、ここが慰霊祭の会場であったことを思い出してしまった。
「離したくなくなってしまうな」
低い声に体が揺れる。鼓動の音が近く、呼吸の音さえ聞こえてしまう。
ディアス様は私をそっと離してくださった。
視線をあげると、街の人々が慌てたように視線をそらし、大人たちは子供たちの目を両手で塞いでいた。
「あ……」
人前で、こんな姿を見せてしまって――。
幸福とそれ以上の羞恥心で胸がいっぱいになる。
「――我らからも、お二人の婚礼に祝福を!」
「ディアス様の幸福は我らの幸福」
「皆、音楽を、お二人に酒と食べ物を!」
私の羞恥心をかき消すように、皆が明るい声を張り上げてくれる。
明るく優しい音楽が響きはじめて、子供たちが私とディアス様にごろごろと根菜の入ったスープや、ほろほろに煮たお肉とスライスした玉ねぎをパンに挟んだものや、たまごの蒸しケーキを持ってきてくれる。
「遠慮なく食べていってくださいね、お口に合うかどうかわかりませんが」
「とても、美味しいです!」
子供たちに渡されたスープを口にして、私は微笑んだ。
伯爵家で食べていたスープとは、何もかも違う。
あたたかくて、具材がたくさん入っていて、優しい味がする。
「リジェ」
「は、はい」
「この呼び方は、よくないか?」
「いえ……なんだか、くすぐったくて」
「俺のことも、ディアスと」
「ディアス様は、ディアス様です。尊敬していますから」
ディアス様はお肉を挟んだパンと卵のケーキをぺろりと食べると、木製のジョッキに入った麦酒をぐいっと飲み干した。
「では、そのうちな」
「そのうち……」
「リジェ、酒は? 飲んだことがないのなら、俺がもらうが」
王国ではお酒は、十六歳から飲むことが許されている。
それは貴族の場合で、庶民の場合はおそらくはもっと小さな時から。特に制約などはない。
私は飲んだことはないけれど、伯爵家にはお義母様お気に入りの高級なお酒がコレクションされていて、それを毎夜、お義母様はお気に入りのお友達を呼んで、皆で飲んでいるようだった。
「少しだけ、飲んでみてもいいですか?」
「もちろん。だが、無理はするな」
私はスープと卵蒸しケーキをゆっくり食べ終えた。お肉のパンは食べきれなかったので、ディアス様に食べてもらった。
それから、木製のずしりと思いたいジョッキを両手で持って、口をつける。
一口飲むと、シュワっとして苦みのある、不思議な味が口いっぱいに広がった。
喉が焼かれるような感覚に、眉を寄せる。
苦いばかりで味がよくわからなかったのでもう一口飲んだ。
今度は麦と樽の香りが鼻に抜けたけれど、やっぱり苦いし、舌や喉がパチパチ弾けるようだった。
「……けほっ」
小さくむせ込む私の背中を、ディアス様が撫でる。
「リジェ、やめておいたほうがいいな」
「……はじめて飲みました、お酒」
「そうか。合う合わないはある。ウルフガードの者たちは大抵酒に強いが、だからといってリジェは無理をして飲む必要はない」
苦い液体が胃に落ちて、体がかっと熱くなった。
夢の中にいるように、私の視界がやわらかくぼやけていく。
座っているのに、浮いているような感覚だ。
まるで、体重がなくなって、空に浮かんで飛んでいってしまうような気がした。
「ディアス様、なんだかふわふわします」
「そろそろ帰ろう。……その顔は、あまり人には見せたくないな」
ディアス様は私を抱きあげて、皆に「馳走になったな」と挨拶をした。
いつでも来てください、また来てください、ご結婚おめでとうございます――。
リジェット様、またね! また踊ろうね!
あなたたちの行く末に、幸多からんことを――。
数々の言葉の最後に、ゆったりとした優しい声を聞いた気がした。
私はディアス様の腕の中で身を乗り出す。
炎とランタンに照らされた石碑に、黒い人影が並んでいる。
その中央に顔立ちは黒く塗りつぶされて分からないけれど、長い癖のある髪をした女性がいる。
――お母様が、私たちを見送ってくれている。
「ディアス様、お母様が……」
「鎮魂の祭の賑やかさに、さまよう魂が集まってくると言われている。石碑は天に伸びているだろう。それは、天への道標だ。石碑を通り、魂は空に還る」
ディアス様にもその姿が見えているのだろうか。
分かっているというように、深く頷いてくださる。
「……お母様は、還ることができたのでしょうか」
「賑やかな祭りに浮かれて、きっとまた戻ってくる。魂は消えない。死者は隣人のように、俺たちを見てくれている――と、ウルフガードでは言われている」
「サリヴェの教えですか?」
「いや。これは、ウルフガード独自のものだな。ラヴァロとサリヴェの者たちの考え方が合わさって、独自の発展を遂げたものだ」
「なんだかそれは、とても素敵です」
黒い人たちとお母様の姿が見えたのはほんのわずかな間だった。
すぐに、はじめから何もなかったように、姿を消してしまった。
けれど、寂しくはない。
私はディアス様の首に腕を回すと、甘えるようにその首に顔を寄せた。
「ディアス様、いい匂い。お日様の匂いがします」
「……そうだろうか」
「はい。よく晴れた日の、草原を照らすお日様のいい匂い」
「君もな、リジェ。砂糖菓子のように甘い香りがする」
「本の、紙の匂いじゃなくて?」
「それも少しあるかな。どちらにしても、俺の好きな香りだ」
「……ディアス様、先程はありがとうございました。私も、私のできるかぎりで、あなたを大切にしますね。ディアス様は、私の宝物。好きなものが、一つ増えました。それはとても、幸せなことですね」
なんだかとても、楽しい気分だ。
今ならなんでも話せる気がする。
心に浮かんだ言葉をつらつらと伝えると、ディアス様は困ったように小さく息を吐いた。
「……城に帰るのも、嫌になってしまったな」
「夕凪が待っていますよ、ディアス様」
「そうだな、俺の可愛いリジェ。……今日は、まだ、な」
暗い夜道をディアス様は歩いて行く。
ディアス様の腕の中で夜空を見上げる。
それはまるで、星の海の中を泳いでいるかのようだった。
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