第十八話(A.D.363)東方親征
「勝ってはいますが……」
「手ごたえがないなー」
ユリアヌス率いるローマ軍はペルシャ軍相手にも連戦連捷だった。
が、大勝とは言い難い。
感覚としてはコローニア奪還の時に似ている。敵の兵数も戦意も乏しく、あっさりと勝てる。ただし、『勝たせてもらっている』気配が濃厚でもある。
違うのは領土経営の意識がないゲルマンの野蛮人と違い、ササン朝ペルシャ帝国はそれこそローマと同じ【帝国】であるという点だ。どう言い繕うとも、今のペルシャはその領土を失いつつある。なのに何故本気で抵抗しないのか?
道案内役のシャハラザードはその答えを簡潔にまとめた。
「ペルシャ皇帝シャープール二世は、ユリアヌス様の実力を調べ上げているのでしょう。それ故に、まともにやり合っても勝ち目がないと判断しているのかと」
「やっぱり焦土作戦か……」
それは文字通り、意図的に領土を焦土にする作戦だ。畑を焼き、井戸を埋め、敵軍が領土を占領しても、麦一粒水一滴も得られないようにする作戦である。
「僕はさしずめハンニバル・バルカ?」
頑強で粗食に耐え、勇敢で智謀に富み、金銀で己を飾らない点でユリアヌスはハンニバルに近い。そんなもので威厳を演出せずとも、常勝という結果に、兵達が服従するからだ。
「それともガイウス・ユリウス・カエサルかい?」
西方のガリアで基盤を固めた点ではカエサルに近い。実際、ユリアヌスがガリアで発掘した人材――皮肉にも野蛮人と呼ばれたゲルマンこそが、この後、西ローマ帝国を支える柱となる。
しかし、シャハラザードは首を振った。
「いえ、アレクサンドロス大王です。もっとも、ハンニバルもカエサルもアレクサンドロスに憧れていたようですがね」
先にあげた三者も皆揃って、名将である。名将であるが故に、敵する側はまともに戦いたくない。だから、焦土作戦に苦しめられた。まさしく今のユリアヌスと同じだ。もはや、歴史の必然と言うべきだろう。
「あー、僕もアレクサンドロスには憧れるよー。……もっとも世間の評価は逆だけどねー」
この頃のユリアヌスは現地住民から侮られていた。専制的な東方において、民主的な西方の振る舞いを捨てなかったからだ。アレクサンドロスが専制的な東方の振る舞いに馴染んだ事で、民主的な西方を忘れられない古参臣下に疎んじられたのと、ちょうど逆である。
(何故、ヨーロッパにおいては東方が専制的で西方が民主的かというと――あるいはアジアにおいては西方が専制的で東方が民主的かというと――ユーラシア中央に陣取る遊牧騎馬民族=過去のスキタイ、将来のモンゴル、そして、この時代の『神の鞭』の影響と思われるが……)
ユリアヌスは頭を振った。
「いや、話を戦略に集中させようか」
戦略が似てくるのは当り前だ。後発組は必ず偉大な先駆者を模倣しようとするものだから。それにペルシャの様な大国を攻めるには大軍が必要になる。その戦略も収斂せざるを得ない。
――そして、それを防衛する側のペルシャが取る戦略も収斂していくわけだ。
現在ユリアヌスが率いる総兵力は約五万人――古代世界で遠征可能な限界規模である。通信技術の問題から、これ以上、兵士が増えると命令伝達に支障をきたす。第一、補給が持たない。五万人の食料を用意する事自体が難しい。おまけに戦力集中の原則から、分散させる事が出来ない。後世と違い、輸送技術も未熟だ。だから、遠隔地から食料を取り寄せることも難しい。セノネス防衛の時にも述べたが、こうなると軍隊は周辺一帯の食料備蓄を食らい尽してしまう。
「ふっ、僕はさしずめ《滅びの蝗を率いる堕天使》といったところか」
「……話を戦略に集中しましょうね。もうユリアヌス様も三十路過ぎなんですから」
シャハラザードがジト目で睨んできた。こういう容赦のなさは年々トゥルートに似てくる。
「兵達の不満はわかるよ。五万で敵地を行軍するには敵軍と戦って食料を奪うしかない。なのに、その敵軍が戦ってくれない。おかげで補給が滞りつつある。……こんなところまで連れて来た僕へ、槍を投げ付けてやりたいと考えている者もいるかもね」
「その割に、あっけらかんとしていっらしゃる気が……」
「内心ビクビクだよ。でも、僕が不安を見せても問題は解決しない。かえって、兵達に恐れが伝わってしまうだけだ」
結局、ユリアヌスは己を律するしかない。一兵士と同じく乏しい水と食料に耐えつつ、泰然自若を取り繕うしかない。
「それに辛いのは、ペルシャ皇帝シャープール二世も同じだよ」
「そうでしょうか?」
「うん。たしかにペルシャ軍は典型的で理想的な焦土作戦を遂行している。ペルシャの地力と錬度、そして、シャープール二世の指導の適切さを示している」
ユリアヌスが内心ビクビクと言ったのは嘘ではない。連戦連捷というのもあくまで正規戦に限っての話だ。敵が奇襲や夜襲で食料物資を燃やし、こちらが反撃に出ようとするとさっさと逃げていく――という事は何度もあった。犠牲者の数は皆無に近いものの、この手の遊撃戦にローマ軍はなす術もない。
「けれど、結局、僕らは行軍を継続している。士気も低下はしているけど崩壊はしていない。そもそも焦土作戦を選択した時点で、守るべき自国の民の生活を破壊してしまう」
ローマもかつて焦土作戦を決行した事がある。しかし、貴族主導で実行され、成果も上げたその焦土作戦に平民は最後まで反対した。理由は色々語られているが、本質は二つだろう――誰であろうと、必死に耕した田畑を自ら焦土にはしたくない。そして、貴族と違い、平民には蓄えが乏しい。焦土作戦で敵軍が壊滅するより先に、自分が飢え死にするかもしれないからだ。
「そう。焦土作戦は成功しても、民に負担をかける。ペルシャ皇帝が辛くないはずがない」
ユリアヌスは断言するが、シャハラザードは冷笑を返す。
「いえ、彼は、少なくともその点については、痛痒に感じていないでしょう」
「何故?」
「ペルシャ皇帝シャープール二世は【専制君主】ですから」
「シャハラザード?」
ユリアヌスはそれ以上問いかける事が出来なかった。
「皇帝陛下っ」
という大声と共にトゥルートが駆け寄ってきたからだ。
「敵です! それもこれまでとは桁が違う!」
ユリアヌスは拳を握った。
焦土作戦の主旨からすれば、ペルシャ軍はローマ軍の前に立つべきではない。
にもかかわらず、ペルシャ軍はのこのこ出てきた。それもトゥルートによれば――つまり、ほぼ間違いなくペルシャ軍は大軍らしい。
と、なれば、合戦どころか会戦になる。ローマが望み、ペルシャが嫌がっていた展開だ。
シャープール二世の統制力から考えて、配下の独断などではありえない。ペルシャ軍にそうせざるを得ない理由がある。
すなわち、ユリアヌスはペルシャ帝国首都クテシフォンへ肉薄したのだ。
「さすがに首都を焦土とするわけにはいかない。政治的経済的にペルシャが成り立たなくなる。だから、軍事的には好ましくない選択であろうとも、ここだけは必ず防衛しなければいけない。そんなところかな?」
敵兵の数は今のローマ軍の約二倍――予測通りだった。シャープール二世側もユリアヌスと似た事情から、これ以上の兵数を揃える事は出来なかったらしい。
勿論、だからといって、対等の条件ではない。二倍の敵数というだけで普通は負ける。その上、ローマ軍は遠征で、ペルシャ軍は地元である。どう考えても、ペルシャが圧倒的に有利だ。しかも、これまでの焦土作戦の効果で、ローマ軍の疲労と空腹は甚だしいものになっている。
純粋な戦闘力ではローマ軍が上だろう(故にこそ、これまで向こうは決戦を避けてきたのだ)が、ペルシャ軍が積み重ねてきた勝利への布石を覆す程のものではない。
逆転の要素と言えば、ユリアヌスの用兵力のみだったが……。
――勝てる。行けるぞ。
と、ユリアヌスには自信があった。大局的には劣勢だが、かえって頭は冴えている。今なら、ダレイオス三世率いる百万の兵を打ち破って、インドにまでも進撃できそうだった。
その時、トゥルートが声を上げる。
「何だあれ?」
彼女の視線の先は敵陣にあり……
そこには巨大な獣が並んでいた。
「あれは『象』……かな?」
「はい。あれが象です」シャハラザードが歯ぎしりをしていた。「かつてスーサという街でも、用いられました」
「スーサ?」
「今は【シャープールが建てたイランの栄光】とも呼ばれている街です。十数年前、その街で反乱がおきた時、シャープール二世はあの象で街そのものを踏み潰したのです」
「……苛烈だね。住民は皆殺しか……」
痛ましい。本当はそう思っていた。とはいえ、今のユリアヌスは侵略者だ。そんな事を口にする資格はあるまい。
「いえ、小娘が一人生き残りました」
「……?」
「小娘は無力でしたから、シャープールに媚を売りました。小娘の親は反乱とは関係なかった。ただ、同じ街に住んでいたというだけで殺された。そんな親の仇に諂ったのです」
「それって……」
「……その後、ローマ人捕虜のために街が再建されたので、その小娘はローマ人の中で育ち、ローマの言語風習に精通するようになりました。おかげで情報機関に雇われ、西方に行き……すみません。関係のない話でしたね」
そう言って、シャハラザードは目頭を押さえる。
ユリアヌスは思わず手を差し伸べようとするが……、
「指揮に集中しろ」トゥルートの言葉がその手を止める。「その娘は誇り高い女だ。何よりも、真の忠臣だ。主君を惑わせたとあれば、自責のあまり、自害とてしかねんぞ」
シャハラザードはこくこくと頷いていた。どうも感情が昂ぶり、まともに話せないようだ。だから、首を振って、トゥルートの代弁に賛同する。
「……う、うん」
ユリアヌスも皇帝の顔を作り、腹の底から声を出す。
「戦友諸君よ。見たまえ、ペルシャ帝国は象まで持ち出してきた。たしかに戦場では珍しい。しかし、サーカスではお馴染みだね」
兵士達がどっと噴き出す。
「所詮は獣だ。調教して芸をさせる事すら出来る。ならば、軍隊が殺せぬ道理はない。いつも通りだ。君らはローマの兵士で、僕はローマの皇帝だ。いつも通りに勝利しよう」
――開戦前に象を何頭か仕入れて、兵士達に象殺しの経験を積ませるべきだったかな?
ユリアヌスは演説とは裏腹に少し悔やんでもいた。
とはいえ、この点は完全に杞憂だった。
象を揃える事による心理的効果はたしかに大きい。だが、歴戦のローマ兵士はそこまで繊細ではなかった。冷静に矢を射かけ、後方に回り込み、槍を突き刺して、あっさりと仕留める。そも、象の飼育費用は馬をも遥かに上回るので、大量の運用は不可能だ。だから、整備された軍隊が落ち着いて対処すれば、意外と簡単に殺せるのである。
むしろ、自軍の二倍の敵兵というのが単純にきつかった。
いや、普通はきついなんて次元ではない。
しかし、ユリアヌスにはアルゲントラトゥムでも見せた用兵力がある。さすがにペルシャはゲルマンよりは組織的に動いてくる。しかし、ローマ軍には及ばない。何より、シャープール二世には、ユリアヌスのような異常な戦術眼はない。
ペルシャ軍からすれば、まるで魔法だったかもしれない。繰り返すが、ペルシャ軍の総数はローマ軍の倍である。なのに、戦場に出ると必ず自分達よりも多くのローマ兵から集中攻撃を受ける。
いや、味方のローマ兵ですら不思議がっているようだった。遠目には二倍の敵がいるのに、いざ槍を交わす段になると、何故か敵数はこちらを下回っている。
――これなら勝てる。
と、確信できるし、現実に勝利を重ねる事も出来る。
百人長辺りにはこれがユリアヌスの実力だと理解できるだろう。戦術規模で敵軍を分散させ、各個撃破に持ち込んでいるのだ。焦土作戦によって蓄積していた不満も自然と和らぐ。あの【皇帝】にどれほどの欠点があろうが、いざ戦争になれば、あの小男ほど、頼りになる奴はいないのだ――と。
「うん。戦機が熟してきたね」
ユリアヌスは指を一本ずつ伸ばす。
「一、二、三……はい。突撃」
もはや、大声すら必要ない。ユリアヌスの手の動きに合わせ、ローマ兵達は迷わず突撃する。対するペルシャ兵は一目散に逃げ出す。こうなるとペルシャ側の将校にも打つ手がない。
「よし。勝利確定」
ユリアヌスの子供っぽい自嘲癖にもツッコミはない。むしろ、尊敬の視線すら集まっていた。
ローマ貴族の一人は驚愕のあまり口を開く。
「ペルシャ軍の錬度は決して低くない。逆に、こちらはアラブ人のような現地協力者も兵数に入れている。なのに……」
「食堂と同じだよ」ユリアヌスはいい質問だと思ったので答えた。自分も既に三十代、そろそろ、次世代を育てる時期でもある。「上に立つ者の役目とは、獲物の肉を切り別ける事だ。各々(おのおの)が食べ易い大きさに切り別ければ、元の肉の大きさに関わらず、下の者は一口で飲み込める」
しばらくして、報告が来る。
「敵するペルシャ軍の死者二万五千人! 対する我がローマ軍の死者七十五人です!」
――嘘をつくな。嘘を。
ユリアヌスは溜め息をついた。いくらなんでも戦死者の比率が二万五千対七十五――後世で言うキルレシオが約333対1なんて訳がない。
ただ、その位の大勝だったというのは事実だろう。
実際、報告した者の顔にも明らかな喜色がある。
「……後で正確な数字をまとめて持って来るように」
「はっ!」
わかっているのかいないのか……怪しくなる返事の直後、ユリアヌスは目眩がした。
顔には出さなかったつもりだが、トゥルートにはバレたらしい。彼女はさっと駆け寄って、ユリアヌスの身体を支えてくれた。
「……トゥルート、このまま少し仮眠をとる。状況に変化があれば……」
「ああ、わかった。だから、今は休め」
ユリアヌスは馬上で筆頭衛士に支えられながら、両目を閉じた。そういえば、ここ一週間、まともに寝ていない。昼間にこうやって軍事行動をしている以上、皇帝としての政務は夜中にやらざるを得ないからだ。食事が一兵卒と同じなのも、本当は単に食欲がないだけだったりもする。
――でも、これで対ペルシャ戦争の終わりが見えてきた。
とはいえ、この調子だと、いずれ過労でとんでもない失敗をやってしまいそうだ。
――あ、そうだ。サルスティウスの権限を拡大し、西方全域を管轄してもらおうか? いや、いっその事、共同皇帝になってもらおう。老体に鞭打つようだが、国家のためだ。彼も嫌とは言うまい。そもそも、純粋な行政官としての彼の能力は僕をはるかに上回る。市民も納得するだろう。
サルスティウスに西側の統治を丸投げすれば、ユリアヌスの負担と疲労は大分和らぐ。また、ユリアヌス一人では内政が東側に偏る問題も解決する。
――けど、国家再建に十年、後継者育成に十年として……僕が皇帝業務から解放されるのは五十を過ぎてからか……。いや、哲学者としては遅過ぎるわけではないけど。
ユリアヌスがそうして夢想にまどろんでいると周囲がざわめき出した。
戦闘自体もまだ散発的に続いている。だが、大勢は既に残敵掃討に入っているはず。
では何事かと耳を澄ましていると、どうやら、ペルシャ側から、非公式な講和の使者が来たらしい。
――まあ、あれだけ、大負けすればなあ。
ユリアヌスは瞑目したまま、黙考し、端的に告げる。
「駄目。講和したいなら、公式に使者を寄こして」
「ユリアヌス陛下! お考え直しを!」その使者は強引にユリアヌスの傍へ割り込んできた。「シャープール陛下にも名誉があります! 公式な使者など、送れるはずがありますまい!」
ペルシャの使者はローマの軍人に取り囲まれ、数多の刃物を突き付けられながら、怯む事はなかった。
「君の忠義に敬意を」ユリアヌスはシャープール二世に尊敬と嫉妬の念を抱いた。笑いながら、目を開く。「故に本音を告げよう。どうか、ペルシャ皇帝シャープール陛下へお伝え願いたい。いかにローマ帝国といえど、この規模の遠征は二度も三度もできない。僕もローマ皇帝として、勝利を確定させる義務がある。シャープール陛下のペルシャ統治権は保障する。……というか、生きてペルシャを治めてもらわないと困る。国境線を安定させてもらわねばならないからね。だから、頼む。公式に講和して欲しい」
「……シャープール陛下の権利は保障してもらえるのですね?」
「ああ。ペルシャの民を安んじてくれれば、それでいい」
「シャープール陛下は民を安んじております!」使者は思わず大声をあげた。「あ……、いえ、ユリアヌス陛下のやり方とはいささか違うかもしれませんが……東方には東方のやり方というものがありまして……」
「そうだろうね」
ユリアヌスも認めざるを得なかった。この対ペルシャ戦の前に、外交的な努力をしなかったわけでもない。ペルシャからの亡命皇子オルミスダを使い、ペルシャ帝国の内部に揺さぶりをかけてもみた。が、結果はほとんど効果がなく、結局は軍事的に侵攻せざるを得なかった。
つまり、ペルシャ帝国はそれなりに上手く治まっているのだ。完璧な統治には程遠く、国家権力による犠牲者も多いが、ユリアヌスにそれを非難する資格はない。
ふと、シャハラザードが【専制君主】を憎む理由がわかった気がした。街一つを踏み潰し、住まう民を皆殺しにしてもなお、統治の上で必要なら、許容される。それは国家というものが巨大になれば、不可避の現象なのかもしれない。百人の村ならば、その内の一人を罰せば済む話も、万人の国ならば、村一つとも言える百人を罰せねばならない話になるからだ。
そして、シャープール二世は胎児の頃から、ペルシャ皇帝として君臨し、齢六十を超えた今なお君臨し……スーサのような街があれば、やはり罰しているという。
――それは最早、民の代表者ではなく、ヒトの超越者だろう。少なくとも、その精神構造は既に一個の人間ではなく、天上に住まう者だ。
シャハラザードにはそれが許せなかったのだろう。
「だから、【シャープールが建てたイランの栄光】の名をスーサに戻して欲しい。僕の望みはその程度だよ」
***
「ごめんなさい。ごめんなさい。わたしのために、こんなわたしのために……!」
シャハラザードがぽろぽろと泣いた。
今思えば、シャハラザードはクレオパトラ気取りだったのだろう。ユリアヌスを影から操り、自身の復讐を代行させる気だったのだ。後世で言うキングメーカー志望というところか。
ただ、シャハラザードはクレオパトラを気取っていただけだ。ユリアヌスの目から見ても、彼女は根が真面目だ。忠誠を偽る事などできない。主君に道を誤らせたと思えば、己を責めること甚だしく、酒に溺れすらする娘だった。
トゥルートが耳元で囁く。
「おい、ユリアヌス、今夜にでも、あの女を抱いてやれ」
「はあ?」
「女なんてな、ワンワン泣き喚いていようが、ヤッてしまえば、機嫌を直すもんなだよ」
「いや、それは偏見では?」
「お前が女を知らないだけだ」トゥルートは断言する。「特にあいつは生娘だ。ヤッてしまえば、すぐ大人しくなるさ」
「ええっ。たしか『このへたくそ』とか言われて、ぼこぼこに殴られた気が……ぐはぁ」
トゥルートが見えない角度で腹を小突き、ユリアヌスの台詞を中断させた。
「いいか。あたしはどうせ交代時間だ。あっちに行っているから、よろしくやっておけよ」
そして、トゥルートはユリアヌスから離れ出す。その後ろ姿はなるほどカッコいい。
ユリアヌスは呟く。
「……あれはモテるわけだ」
――でも、僕が君と違って、女性に不慣れだって事を忘れていない?
よろしくやれと言われても、ユリアヌスにはよくわからない。
そして、その次の瞬間――
突如、トゥルートは振り返り、叫ぶ。
「ユリアヌス、避けろっ!」
「えっ?」
ユリアヌスの腕は反射的にシャハラザードを押しのける。
歴史を変える一本の槍が飛来する。
それは放ち手もわからぬ『流れ槍』とでも言うべき擲槍だった。
だが、だからこそ、予測も回避も困難だった。
槍はユリアヌスの脇腹に刺さった。




