愛なんて生まれるわけない3
懐かしい人との再会。
会うのが怖いようなうれしいような。
10歳の冬。段々、俺は自分の限界を知った。
自分の筋肉がほとんどないことを悟った。食欲も一切なかった。
今寝たら、もう次は起きられないと思うことが多かった。
そんな死にかけの俺の側に母親がずっといるようになった。
母さん、ルチアーノは、最低な人だった。『多くの人々を伝染病から救うため』と言いながら、多くの人間を実験に使っていた。研究はまだ続いていたが、伝染病を解明する方法は未だに少しも進んでいなかった。
それでも、俺に対してはいつだって優しい人だった。
いつまでも衰えない母親の美しさが自慢でもあった。
「ルーカス……死なないで」
俺の手を握り締めながら、温かい声で励ましてくれた。
そのとき、入ってきたジルは母さんに向かって話しかけた。
「相変わらず老けた顔をしていて、見苦しいわね。ブスなんて絶滅してしまえ!」
母さんが胸を押さえて床に倒れた。
「母さん!……死ぬな。死なないでくれ」
母さんは、ゆっくり目を閉じていった。
「あはははっはははっはははははっはは。
ブスを一匹殺した。いい掃除をしたわ。あははっははっははは」
ジルは、狂ったように笑い出した。
ベットから崩れ落ちるようにして、母さんの手を握った。
もう脈はなかった。心臓の音も呼吸の音も聞こえなかった。
悪い夢でも見ているのかと思った。
けれども、夢は覚めなかった。
「あともう少し……かな」
ジル・キャットがすぐ近くに立っていた。
緩やかに巻かれた髪が、風に吹かれ揺れていた。
燃えるような紅い目を、地獄から来た悪魔のような目に見えた。
「どうして……」
小さな声がこぼれ出た。
「人を殺したい気分だったから、殺しただけ。
私のストレス発散の道具になれるなんて、あなたの母親だって幸せなのよ」
この少女は狂っている。
頭がおかしいとしか言いようがない。
「ねえ、ルーカス。まだ気が付いていなかったの?私があなたに呪いをかけたのよ。
あなたが早く死にますようにという呪い」
そして俺をバカにするように醜い笑顔を浮かべた。
「死にたくない、死にたくないと叫んでいるあなたは見物だったわ。あはははははははははははは。本当にバカみたいだった。私があなたにかけた呪いだとも知らないで、ネガティブで卑屈な感情に支配されていくあなたを見ていくことは本当におもしろかった。よく気が付かなかったわね。バカじゃないの」
少女は、続ける。
俺の何もかもを破壊するように美しくて醜い顔で、醜い言葉を吐き散らす。
「ねえ、大好きな母親を殺されてどんな気持ち?ママーとでも泣き叫べば?もうあなたのお母さんは二度と戻ってこないけれども。
人間の不幸は本当におもしろいわ。あなたの絶望と不幸は甘くて極上の味がした。
そして今の憎しみと、憎悪と絶望が入り混じっているその顔は本当に醜いわね」
俺は……この少女に何を期待していたのだろうか?
この少女が本当はいいやつかもしれないと想像したりしていて。
もしかしたら俺のことを少しくらいは好きなのかもしれないと期待したりしていて。
本当にバカみたいだ。
「俺は、お前なんか大嫌いだ!」
「これで終わりだわ」
少女の赤い唇からそんな小さな言葉がこぼれ出た。
次の瞬間、ジルの黒く不気味な指輪がパリンと割れた。
その途端、急に鉛のように重たかった体が軽くなった。
何だ俺は今まで病気ではなかったのか。ジルから呪いを受けていただけだったのか。
病気だったらこんなに簡単に治るはずがない。
ジルがかけた呪いが何かのはずみで解けたのだろうか?だったら、このチャンスを逃さない。
母さんの惨めな死骸が俺の憎悪に火をつける。
殺意に支配された俺は、リアの首に手を当てた。そして徐々に力を込めていく。
「死ね」
ジルは、最後にこんな言葉を絞り出した。
「ルーカス……。強く…なってね」
そして天使のように優しく微笑んだ。ジルは、こんな風に笑える人だったのか。
それじゃあまるで天使みたいじゃないか。その笑顔は、とても儚げで、優しげで、か弱そうで、温かかった。
パラ色に色づいているジルの頬。柔らかい孤を描く少女の唇。夜明けの空を溶かして瞳にはめ込んだように美しい暁の瞳。瞳は聖女のように優しい色を帯びていた。
その笑顔は何もかも満ち足りたものが浮かべる勝利の笑顔のようであり、なぜか大切なものが手に入らなかった切ない笑顔のようでもあった。
こんなもの知らない。
見たことがない。
だけど、初めて本当のジルを見た気がした。
今まで幾度となく会話を重ねてきた少女が、偽物であったような錯覚がした。
どうして彼女がそんな笑顔を浮かべたのかは永遠の謎である。
だって、腕の中の少女は冷たくなっていたのだから。
俺はジル・キャットを殺害した。
初めて人を殺した。
初めてここまで人を憎んだ。
大嫌いだった奴を殺した。
だから、悲しむ必要なんてない。
泣く必要なんて欠片もない。
後悔なんてする意味がない。
俺は、自分の選んだ道を言い訳じみた言葉で肯定した。
それでも胸にこびりついた何かは離れてくれなかった。
やがてそれは俺を徐々に蝕んでいく。
そして強い強迫観念になって俺を追い詰めていく。
大した夢も希望もなく、未来がないと告げられたまま生きていた俺は、与えられた未来に対して困惑した。
どうやって生きればいいかわからない。
どんな夢を描いたらいいかわからない。
いきなり、出口の見えない迷路に放り出された気がした。
『強くなって』という言葉とジルの笑顔がこびりついてどうしても頭から離れない。
俺は、少女の言葉にしがみつくように、呪いでもかけられたかのようにひたすら上だけを目指した。誰よりも強くならないといけないという妙な強迫観念に取りつかれていた。
俺が強かったら母さんはあんな風に死ななかった。
弱かった俺は強くなることに憧れもあった。
ただ生き場のない孤独や焦燥感、かすかな罪悪感を押し殺すように強くなることを目指した。強くない自分に何の価値も認められなかった。
よくほとんどの人は俺をチートキャラだと言う。
だけど、それは違う。血がにじむほど、毎日ぶっ倒れてしまうほど努力した結果、勇者になれたのだ。
負けることを恐れすぎていたのだろうか。弱かったころからの自分が忘れらなかったのだろうか。
壮絶な生き方をしたジルが頭から離れなかったからだろうか。
ストレスのあまりか髪の毛が大量に抜けた。
毎日、毎日抜けていく髪の毛を見ているとゾッとした。
このままだと俺は禿げてしまう。
そう深刻に心配した俺は、自分の髪の毛を全部切り、カツラを被るようにした。
やがて、精神は徐々に安定してきてカツラを被る必要はなくなった。
勇者パーティーを置き去りにして一人で魔王を倒しに行ったのは、誰も傷ついて欲しくなかったからだ。
エリザベス姫については何も心配していなかった。
だって、城にいた魔物は全部倒した後だったのだから。
本当は、俺は本音を言うことが苦手な不器用な少年だった。
けれども自分の弱さを見せることを嫌っていた。
20歳になった時、俺は魔女がいるという噂を聞いた。
魔女という存在が大嫌いだった俺は、そいつを殺すことにした。
しかし、その少女はただの人間だった。魔力の欠片すら感じられない。
「あなたは私を殺しに来たの?」
黒い髪が風に揺れてサラサラと流れる。
赤い目をした顔立ちの整った少女リア・ローレンスがそこにいた。
間違えた。
殺すべき相手じゃなかった。
魔女じゃなかった。
ジルじゃなかった。
そうだ。ジルはもう俺が殺した。
なぜか、紅い目から目が反らせない。
ジルの記憶が脳裏に蘇る。
少女はジルと同じ紅い目をしていた。ジルのように完璧に整った顔立ちというわけではなかったけれども、かわいい容姿をしていた。
少しふざけてからかってみた。そうすると、まともなツッコミをいれてくれた。
……ああ、ジルじゃないな。
ジルじゃないからこそもっと一緒にいたいと思った。
ジルじゃないなら一緒にいることを望むことが許される気がした。
俺は、この少女と仲良くなることでジルとやり直すことを夢見ていたのかもしれない。
後悔していた過去を塗り替えたかったのかもしれない。
ジルとは似ても似つかない少女の側は、とても居心地がよかった。
口はちょっと冷たいけれども、優しい性格をしていた。
だから、信じていた。
疑ったことなんてなかった。
リアには、ジルと違って裏切られることがないだろうと。
暴言を吐きつつも、こんなダメで面倒くさい俺の居場所を作ってくれると。
嘘を吐き、甘い言葉で俺をごまかし、迷惑そうな顔をしても、俺を裏切ることだけはないだろうと。
リアを愛した俺をいつかは愛してくれると夢を見ていた。
ぜひ次も読んでほしいです。




