Save me from my friends!
相川綾乃は偽善者だ。
弱いものを庇って正義面していやがる。
あんなやつがいるから、綿原みたいな弱い女がいなくならないんだ。
あんなやつがいるから、弱い女が世に蔓延るんだ。
あんなやつがいるから、女は弱い存在だと思われるんだ。
でも、それはどうしようもない。そんな奴は世の中に腐るほどいる。いちいち相手にしていたら切りがない。
真希が許せないのはそんなことではなかった。
あの日、真希らに配られた不幸の手紙。あれを出したのは、相川綾乃というクラスの長だった。少し意外ではあったが、真希らが虐めていた<とある女生徒>に明らかに肩入れしていたのでそれほど驚くことでもなかった。真希が目覚めた翌日、自分から名乗りを上げたという。
あいつは私たちを傷つけた。美沙に、麻利亜につらい思いをさせた。それでいて、今も平気な顔をして学校に通っている。確かに一度だけ教師の前で謝られたけれど、そんなことで帳消しにできる行いじゃない。
真希の怒りは収まらなかった。何とかこの赤い感情に拠り所を与えようとして、真希が思いついたのが裏サイトだった。先輩から譲り受けた簡素な掲示板。知っている人なんてごく一部ではあるけれど、その中では様々な黒い噂が流れていた。もちろん、そのほとんどは事実無根なのだが。
そこに、相川の話を書き込もう。
綾乃を傷つけようという強い欲求があるわけではなかった。ただ、自分のこのイライラを多くの人で共有したかった。それによって相川が間接的に不利益を被れば陰でほくそ笑んでやろう。かといってあまり大々的にやって警察に介入されるのは御免だ。その程度の気持ちだった。だからここに書き込んだことが世界中の人に知られる可能性があることなんて、綾乃本人がこれを見る可能性があることなんて、全く考慮していなかった。仮になったとしても真希はそれほど後悔はしなかっただろうが。
綾乃を誹謗中傷する記事を書き込んだ。美沙や麻利亜と一緒にふざけたコメントの応酬をした。人数が少ないとつまらなかったので、適当に他のサイトで見かけたハンドルでも書き込んでおいた。美沙でも麻利亜でもないコメントもいくつかついた。見返してみると下らない。それでも多少は気分が晴れた。もっとも、麻利亜はかなり本気にしていたようだが。
ふと、新しい記事が建っているのが目に付いた。最近誰かが建てたのだろう。
「南高の生徒が違法ドラッグに関わっていたっていう噂知ってる? 実はアレが誰のことか、私知ってるよ。興味ある人はこちらにメールプリーズ! まってまーす」
「…」
真希はそれを見て眉をひそめた。
一体誰だ、こんなことを書き込んだ奴は。どうしてこいつが知っているのか。情報というものはどこから漏れるのか分かったものではない。
管理者権限を使って記事を削除する。これは知られてはならない。正確に伝わることなど、まずあり得ないから。どんどんと尾ひれが付いて、私たちにとって驚異になるに違いないから。
麻利亜を失ってはならない。
*
長い眠りから覚めた翌日、無理矢理に退院して家に帰ってきた夜。麻利亜の母から電話がかかってきた。夕食後、様子を見に行くと麻利亜がいないというのだ。
それを聞いた美菜がポツリとこぼした。
「そういえば…あの時、繁華街で麻利亜さんに会った気がする」
「あの時? いつ?」
「4、5日前、お母さんと夕飯を食べに行ったとき。あの中華料理屋の中から外を見たときに一瞬だけ…でも、真っ黒な服装で、髪の長い女の人で、真っ赤なルージュが見えたから、多分麻利亜さんだと思う…って、お姉ちゃん!?」
真希は飛び出した。
悪い噂の絶えないあの地域で、夜遅く女子高生が徘徊しているかも知れない。それはどう考えても、いい方向には向かわなかった。
真っ先に思い浮かんだのは売春。まさか麻利亜が? すぐに打ち消す。麻利亜の性格を、思考パターンを考えれば、もっとありそうなものがある。
最近聞いた話だ。最近若者の間で麻薬が広まっていると。薬に溺れる麻利亜の姿が真希には容易に想像できた。
携帯を開いて時間を見る。午後11時。
麻利亜の居場所なんて分からない。でも、美菜が麻利亜を見かけたのは夕飯時だ。なら、今もその辺りにいるかもしれない。
と、着信履歴に気がついた。23件の不在着信。全て美沙からで、きっかり1時間おきにかけてきていた。真希が目覚めたというのを聞きつけたのだろう。少し考えて、電話をかける。1コール目が鳴り止む前に、美沙が出た。
「真希ちゃん? 真希ちゃんなの?」
「そうだよ。ちょっと来て」
「本当に真希ちゃんなんだね? 場所は?」
「5分後に四川飯店の前」
「分かった。3分で行くよ」
そう言いながらも、既に電話口の向こうは走り出しているようだった。
きっかり3分後に美沙はやってきた。肩で息をし、体中汗だくだ。それでも真希を見つけると、満面の笑みで駆け寄り真希に抱きつく。鬱陶しいので突き飛ばす。それでも美沙は笑顔のままだ。
真希は事情を話す。美沙は頷いた。
「麻利亜ちゃんを捜せばいいんだね?」
「そうだけど…」
真希は辺りを見渡す。
繁華街は東西に広く延びている。
どうする? 二手に分かれて北側と南側で探すか?
いや駄目だ。どれくらいこの道から外れたところにいるのかも分からないのに、そもそもいるかどうかすら怪しいのに、それはあまりにも不毛だ。危険が潜んでいるかもしれないのに女子高生が1人になるのも危ない。そう考えるくらいには冷静だった。
どちらに行くべきか? 麻利亜の家はここからだと北、どちらかというと東側に位置する。横切ったのを美菜が見たということは南西か? いや、短絡的過ぎる。家からここまでまっすぐ道が延びているわけでもない。麻利亜がどの道を通ってどこへ向かったのか、そんなこと分かりようがない。
真希は舌打ちする。手がかりが少なすぎる。不確定情報が多すぎる。何しろ麻利亜が家にいないという事実以外、美菜から聞いた話しか持ち合わせていないのだ。それだけじゃあどうしようもない。
…待てよ。
本当にどうしようもないのか? 自分は手持ちの情報からじゃ何も分からないと早合点してはいないか?
真希は考え込む。美菜の話だけで、ある程度絞り込めるんじゃないか。この店より東か西かくらいは。
美菜は言っていた。真っ黒な服と真っ赤なルージュの人を見たと。ルージュが見えた。つまり、美菜は麻利亜の顔を見たのだ。それもある程度詳細に。
「美沙、美菜は右利き?」
「そうだね。って、それは真希ちゃんの方が詳しいんじゃないの?」
知ったことか。妹のことなんて、真希は全然分からない。
真希は四川飯店の扉を見つめる。美菜が麻利亜を見かけたときに行った店だ。美菜の話を頭の中で再現する。
母と美菜が並んで歩いている。扉を開けたのは母だろう。美菜が後ろに続く。そして?
扉は左開きの引き戸。曇りガラスになっていて、中は見えない。
「…クソッタレ」
当たり前すぎた。当たり前すぎて、気づかなかった。
飲食店は得てして食事の光景を通行人から見えないよう、配慮がされている。この店も例に漏れず、窓の下の方は帯や細かい装飾に覆われている。そして扉も不透明。だから店内の美菜が路上の麻利亜を見たのなら、それは閉まりかけた扉の隙間からしか有り得ない。席から入り口が見えるはずもないから、美菜が見たのは店に入った直後だ。つまり、母が開けた扉を閉めるとき。その時、美菜はどちらを向くだろう。
戸を閉めるとき、よほど立て付けが悪かったりさえしなければ、真正面から向き合って閉めたりはしないだろう。普通は後ろ手に閉める。戸は左に開く。だからそれを閉めるときは右にスライドさせる。それをもし左手でやったのなら、体は斜め左を向くことになる。そうなると戸は曇りガラスなのだから、麻利亜を視認することはできないはずだ。
右手で閉めようとすれば体は斜め右を向き、視界の右隅に外が見えるだろう。その時に麻利亜を見つけたのだとしたら。
美菜は店に向かって右側を向いていた。そして麻利亜の顔が見えた。ということは、麻利亜は左側を向いていたのだ。美菜が目撃したのが夕飯時。麻利亜がいないことが発覚したのが11時。いつも同じくらいの時間に家を抜け出していたのだとすると、それは帰りではなく行きだろう。
つまり、麻利亜が向かっていたのはこの店より左側。すなわち、東。
幸いなことにこの店は繁華街の中心より東側にある。探すべき場所は半分以下に絞られた。
…いや、まだ絞れるはずだ。せっかく美沙を連れてきたのだ。使わない手はない。
「美沙、<思い出して欲しいことがある>んだけど」
「久しぶりに真希ちゃんのお願いだね。仰せのままに」
真希は一瞬だけ考えて、質問を言葉にする。
「ここ1年で見聞きした範囲で、この通りの北側と南側、どっちが麻薬関連の事件や噂が多かった? 件数と、その比率を教えて」
――余計なお世話――




