Not good friends, but sworn friends.
小学生の頃はやけに記憶力がいいな、くらいにしか思わなかった。それだけでも十分に使えるし、何より真希の言うことなら何でも聞いたので、真希は美沙をずっと手元に置いていた。中学に入って、定期試験というものが始まった。点数は、いつも真希が美沙よりほんの少し上だった。あるとき、ほんの冗談で「1回くらい満点取ってみたら」と言った。
次の試験で、美沙の答案には100という数字が並んでいた。ある科目は作成者すら「失敗した」と言うほど難しく、真希は赤点すれすれだったというのに。美沙の異常性をはっきりと認識したのはその時だ。
真希の頼みごとなら、物理的に不可能でさえなければ大抵のことはこなしてしまう。出会ってから10年以上経つが、未だに真希は美沙の底が見えない。
「うーんと…ちょっと待ってね」
美沙は目を瞑る。時間が刻一刻と過ぎていく。もどかしい。でも、答えによっては大幅に捜索範囲を狭めることができる。動きだそうとする体を必死で抑える。
恐らくは1分と経っていなかっただろう。美沙は目を開けた。
「北が4件、南が13件で南側だね。どちらか分からないのが8件。…もっとも、私が知らないのもたくさんあるから、これが全てじゃないとは思うけど」
およそ1対3。75%なら、賭けてもいい数字だろう。
ここから東側の繁華街。通りの南側。
捜索範囲は決まった。
全ては蓋然性の積み重ねだ。1つ1つは90%だとしても4つ重ねれば確率は3分の2に下がる。だからとても希望的観測なんてできない。それでも、時間と空間と自分の体力の問題から、ある程度の可能性は切り捨てるしかないのだ。あとは、ひたすら体を動かすだけ。
走る。走る。走る。髪を振り乱して。周りには目もくれず。その形相に道行く人が振り返る。骨が軋む。全身に痛みが走る。それでも真希は地面を蹴る。麻利亜、あんた、どこにいるの。
散々走って、汗だくになって、あちこちを擦りむいて、それでも麻利亜を見つけることができたのは奇跡に近かった。人々の行き交う通りからたった1本離れただけの、細い路地裏で、麻利亜が男から何かを受け取っていた。
「麻利亜!」
その声に麻利亜が振り返る。その顔には驚きが刻まれていた。真希は肩で息をしながら2人を睨みつける。
「…あんた…何やってんの、バカじゃないの…あんたはそんな弱い女じゃないでしょ…ふざんけんなよ…私が助かろうが死のうが、関係ないだろ…私を困らせるようなことすんなよ!」
傍らの男がにこやかに進み出る。
「やあこんにちは、お友達かな? 君もどうだい、簡単に痩せられる――」
「うっせー消えろ」
男は一瞬むっとした表情になるが、すぐに柔和な仮面を取り戻す。
「元気なお友達だね。こんなものに興味ないって言いたそうだ。でもほら、君のお友達もちょっと前から始めてるんだ。友達だったら一緒にやってみたらいいんじゃないかな。今なら友達価格で安くしておいてあげるよ」
次第に真希の顔が朱に染まっていく。
「うっせえんだよ、バカの一つ覚えみたいに友達友達って。バカが人をバカにするんじゃねえ」
男の顔が歪む。腕が震える。怒りを辛うじて堪えているようだった。
「…何? じゃあ君はこの子の友達じゃないっていうのか? まさか、そんなに息を切らして探し回ったこの子が、友達じゃないワケないだろ?」
「友達なんかじゃねえよ」
真希はばっさりと切り捨てた。その言葉に男のみならず、麻利亜も驚く。
「…へえ? じゃあ君は友達でもないのに、人のやることにケチをつけるのかい? それこそどうなのかな。大きなお世話だと思うけど。ねえ?」
男は同意を求めるように麻利亜を見る。麻利亜は呆然とその場に立っていた。
友達なんかじゃない? 自分は真希の友人ではない?
あの時のこと。小学生だった頃のこと。人を避けるようになったきっかけ。心を抉った出来事。
それが再び目の前で起きているようで、麻利亜は眩暈がした。悲しくて悔しくて、苦しい。
「わ、私は…」
でも、諦めきれなかった。
「私は…あなたのこと、友達だと思ってたのに…」
あの時は言えなかった。次第にお互いを避けるようになって、今はどこの高校なのかも知らない。やっと掴んだものを、麻利亜は手放したくなかった。真希はそれを聞いて、ため息をつく。
「…だから、何回も言わせんなって。友達なんかじゃない」
「わたしは、麻利亜ちゃんのこと、友達だって思ってるよ」
「…美沙、あんたは黙ってて」
美沙は素直に口をつぐんだ。真希はしかめっ面で髪を弄る。
「友達だあ? そんな馴れ合いがしたいだけだったら、こんなめんどくさい事しなくていいじゃん。クスリをキメようが廃人になろうが、知ったことか。壊れたら捨てて、飽きたらとっ換えるさ。そうじゃないんだ。麻利亜、あんたは――」
真希は一瞬躊躇する。躊躇して、一気に吐き出す。
「――あたしたちの仲間だ」
「ク、ククク…」
腹に手をあて、男は笑い出す。
「くっせぇー! 超クッセー! 仲間だって! よくそんな臭い台詞吐けるもんだ! だははははは! もう臭すぎ! 超クッセー!」
ひとしきり笑うと、男はやってられないとでも言うように頭をかいた。
「あー、もういいわ。何か気が削がれた。もう今日は終わりにしてやるから、さっさとおうちに帰れよ」
麻利亜を見つけて、いいカモだと思った。いかにも狩ってくださいと言わんばかりの表情と風体。搾り取れるだけ搾り取って、後は捨ててしまおうと。
真希と美沙がやってきて、ヤバいと思うと同時にチャンスだとも思った。金づるが3人。うまく巻き上げて、あわよくば1人くらいホテルにでも連れ込んでやろう。そうでなくても真希の言動にはイラついたから、気晴らしに一発顔面に食らわせるくらいはしよう。そう思っていた。
でも、もうどうでもいい。あまりにも馬鹿馬鹿しい。こんなお子様相手の「商売」など、しているつもりはない。
男は背を向けた。麻利亜をちらりと見やって、捨て台詞を残して。
「…まあ、これで終わりにできれば、の話だがな」
別に羨ましいとは思わなかった。ただ、勿体ないとは思った。せっかく気にかけてくれる仲間がいるのに、あの子は薬に手を出してしまった。
もう、駄目だろうな。
男は姿を消した。真希はすぐに麻利亜に詰め寄る。
「捨てろ」
「え? でも――」
「いいから捨てろ。どれだけ飲んだのか知らないけど、まだ遅くないでしょ」
麻利亜は首を傾げたがすぐに合点がいったようで、いたずらっぽく笑った。
「イヤよ。もったいないじゃない」
「はあ? 何言ってんの、飲めば飲むほどどんどん深みにハマるだけじゃない。そんなの、あんたが一番よく知ってるでしょ!?」
「そうね。だからこそ、高く売れるわ」
「…は?」
真希の怪訝そうな顔を楽しそうに眺める。
「私は飲んでないわよ。至って健康だわ。みんな私を薬漬けにしようとタダ同然でくれるから、毎回初めてのフリをしてもらってるだけ。意外と簡単に手に入るものね。演技の才能があるのかしら」
麻利亜は饒舌だ。まるで最高のおもちゃを手に入れたかのように。
「ねえ真希、あなた、こういうのを売りさばくルート知らない? 売る相手によっては、かなりいいお小遣い稼ぎになると思うんだけど」
「…捨てろ」
真希はそう言い捨てた。麻利亜はきょとんとする。
「え?」
「美沙」
「ごめんね、麻利亜ちゃん」
美沙は麻利亜から袋をひったくると、中身を地面に落とした。転がった錠剤を1つ1つ、楽しそうに踏みつぶす。麻利亜はそれを憮然とした表情で眺めていた。
「…意外ね。あなたなら喜んでくれると思ったんだけど。どうして? 法に触れるから?」
「馬鹿言うな」
「そうよね。じゃあ何故?」
「…別に」
真希は忌々しげに顔を歪める。
「金なんかに命をかける価値はない、そんだけ」
「ふーん?」
「保管するにしろ、売りさばくにしろ、ドジ踏んだら一生が台無しだ。警察だけじゃなくてさっきのみたいな奴を相手にするなら女子高生にはリスクが大きすぎるだろ。私らの手に負えるもんじゃ――」
言い終わる前に、どさりと体が崩れ落ちる。緊張が解けて思い出したように体中が痛み出す。
「真希ちゃん!?」
「ちょ、ちょっと、真希!?」
慌てて駆け寄る美沙と麻利亜。助け起こすと、酷い熱だった。
「…あー、またあの藪医者に怒られるな…」
「…無理し過ぎよ。救急車呼ぶ?」
「…癪だけど、もう立てる気はしないね…悪い、頼む」
「美沙、ここの住所調べてもらえる?」
「はーい!」
美沙は駆けだした。…そういえば、美沙もまだ骨折は治っていないのではなかっただろうか。そう思いながら麻利亜は携帯を取り出す。真希が小さく呟く。
「あんたに助けられるのは、これで2回目だね」
「何言ってんの。これは私が招いたことなんだから、ノーカンよ」
1、1、9。向こうが出る。状況を伝える。ちょうど美沙が戻ってきたので、住所を言ってもらう。用件が済んで、携帯をしまう。美沙を救急車の誘導に向かわせた。肩の力が抜けて、麻利亜も真希の脇に腰を下ろした。
喧騒がすぐ近くに聞こえるのに、この辺りの空気は冷たい。もう秋だ。出会ってから半年。この半年で友達はできなかった。でも、呪いは解けたような気がする。
真希は小さく口の端を上げた。麻利亜も、顔をそむけて笑った。
「…ありがとう」
そう呟いたのは、一体どちらだっただろう。
*
真希はパソコンのファンの音で目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。
あの後、麻利亜の家に保管されていたいくつもの錠剤を、3人で手分けして処分した。粉にし、水に溶かし、可能な限り希釈して、裏山に撒いた。水に溶けないものは廃油と混ぜ、固めて燃えるゴミに。環境に配慮したわけじゃない。何かのきっかけで高濃度の薬物が検出されたらマズいからだ。処分の際にもゴーグルと濡れたマスクを装備し、揮発した薬物を吸い込まないように注意した。3人とも、妙にテンションが上がっていたことを憶えている。微量の薬物を摂取してしまったという可能性も否定しきれない。でも、真希はこう考えていた。
――仲間と一緒に何かをするなら、これくらい楽しくなけりゃだめだ――
画面に目をやる。と、もう一つ別の記事が立ち上がっていたのに気づいた。
「TITLE:※注意!
もし仮に何か事件になって警察が調べたら、
誰が何を書いたのとか全部分かっちゃうんだぜ?
匿名性を当てにしないほうがいいぜ?
from:通りすがりの親切な人」
「…」
真希はそれを読み終えると、口の端を歪めて笑った。しかししばらくの間考え込み、掲示板の編集ページにログインする。
それもそうだ。別に言われたからするわけでもないが、麻利亜のことが万が一学校や警察に知れたら面倒だ。そしてそうなれば、他の中傷記事も調べられるかも知れない。自分たちが中傷的なコメントを書き込んでいたと知られるのはあまり望ましいことではない。元々暇つぶしに遊んでいただけだ。思い入れなどあるはずもない。
真希はその日のうちに、掲示板の全ての記事を削除した。
――良き友なんかじゃない、私たちは同志だ――




