中編
アルディアは、ルーンベック村とはまるで違う街だった。
高い石壁、朝から響く鐘の音、露店から漂う香辛料の匂い、鎧姿の探索者たち。
そして街の中心に口を開ける巨大迷宮――《グラン・ガルド迷宮》。
初めて見た時、私は圧倒された。
「……大きい」
思わず声が出た私に、隣でビリーが笑った。
「村の迷宮が井戸に見えるな」
「さすがに言いすぎよ」
ニコラが呆れたように返す。
マークは荷物を背負い直しながら、周囲を警戒していた。
「まずは宿を決めよう。ぼったくられる前に」
四人は探索者向けの宿をいくつか回り、最終的に南区画にある《銀枝亭》という宿に落ち着いた。
古いが清潔で、迷宮への距離も悪くない。部屋は狭かったが、村の暮らしを思えば十分だった。
それから決まった生活を始めた。四日迷宮に潜り、二日休む。その繰り返し。
探索者なんて荒れたやつらが多い。
そういうイメージだからこそ、周囲に「ちゃんとしたやつ」と思われるように励んだ。
アルディアの迷宮は村の迷宮とはまったく違った。
浅層でも採れる素材の質が良く、需要も高いため、価値が高い。
発光茸一束で村の二倍。小さな魔石でも驚くほどの値段がつく。
中層に無理して行かなくても、四人で十分食べていけた。
「うわ、本当にこんなにもらえるのか」
最初の報酬を受け取った時、ビリーは目を丸くした。
「街ってすごいね……」
ニコラも感心していた。
私は銀貨を見つめながら、妙な感覚を覚えていた。
村では、どれだけ頑張っても足りるということがなかった。
でもここでは、働けば働いただけ、ちゃんと自分に返ってくる。
自由に使えるお金が増え、以前は買えなかったものが買える。
来てから一月にも満たないのに、村にいた時よりずっといい生活をしている。
――でも、留まらず、滑り落ちていく。
そんな感覚がずっとあった。
―――――
休みの日も、私はほとんど遊ばなかった。
朝は薬草採取に出かけ、昼は図書館で迷宮の地図や薬草図鑑を読み漁り、夜は迷宮に潜る準備をした。
「真面目だよなぁ」
宿の食堂でビリーが言う。
「もう。たまには休めば?」
「休んでるよ」
「どこがだよ」
呆れたように笑われる。
でも私は落ち着かなかった。
遊んでいると、不安になる。なにも出来ないまま終わる。それがこわくて。
――私じゃなきゃ駄目って言って
私が必要だって言って。
絶対じゃない絶対の愛情を向けて。
何にも繋がれてない人が言って。
体内に同じものがなにひとつ流れていない人が言って。
そうじゃなきゃ私を認められない。
自分のいる意味は。ここにいていい理由は。
そんな気持ちが、いつも心のどこかにあって、私を焦らせる。
マークだけは、時々何か言いたそうな顔をしていた。
けれど何も言わなかった。
―――――
ある日の夕方。
薬草採取を終えた私は、市場近くの路地でうずくまる老婆を見つけた。
「大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄り声をかける。
老婆は顔色が悪く、呼吸が荒かった。
「少し……目眩がしてねぇ……」
私はすぐに荷物から水筒を取り出し、老婆に水を飲ませると脈を確認した。
熱は高くない。脱水と疲労だろう。
「立てますか?」
「悪いねぇ……」
私は老婆を支え、住所を聞いて家まで送った。
古い石造りの家だった。だが中に入った瞬間、私は驚いた。
棚一面に並ぶ薬瓶に乾燥薬草、すり鉢と蒸留器具。
「……薬師さん?」
老婆は少し笑った。
「おや、分かるかい」
老婆の名前はエルザ。アルディアでは腕利きの薬師として有名らしかった。
しかも、私が納品していた薬草の依頼主の一人だった。
「お前さんの薬草、質が良かったから覚えてるよ」
そう言われ、私は少し嬉しくなった。
それから何度か薬草を届けるうちに、私は自然と休みにはエルザの家に通うようになった。
エルザは一人暮らしだった。夫も子どもも、ずっと前に流行り病で亡くしたという。
その時のエルザは怪我の薬の専門で、病の薬にはうとかったみたいで、薬師なのに家族を助けるための薬も作れない。それが悔しくて、病の薬も作れるようになった結果、腕利きとなったそう。
無愛想だが、どこか温かい人だった。
「薬草を見る目があるね」
ある日、エルザは私が仕分けた薬草を見て言った。
「普通の採取屋は量を多く取ることしか考えないから何でも取ってきてしまう。
でもお前さん、育ち具合や香りで分けてるだろ」
「……なんとなく、だよ」
「なんとなくで出来るのは才能さ」
その日から、エルザは私に少しずつ薬作りを教え始めた。
毒草の見分け方、煎じ方、調合。
私は夢中になった。知らないことを学ぶのは楽しかった。
何より。
「上手いねぇ」
褒められることが、嬉しかった。
役に立つからではない。私自身を見て、認めてもらえることが。
―――――
「また薬師のとこ?」
宿を出ようとした私に、ビリーが聞く。
「うん」
「最近入り浸りだな」
「だって面白いんだもん」
そう答える私を、マークは静かに見ていた。
ニコラが笑う。
「ジェシカ、最近ちょっと楽しそうだよね」
「そうかな」
「うん。前より顔が柔らかい」
私は少し照れくさくなった。
エルザの家は居心地が良かった。
無理をしなくていい。頑張りすぎなくていい。
時には泊まっていきな、と言われることもあった。
夜遅くまで薬を作り、そのまま眠る。朝、薬草茶の匂いで目が覚める。
そんな時間が好きになっていた。
―――――
一方で、探索者としての生活も順調だった。
時には自分たちより上位の探索者たちと組み、中層に潜ることもあった。
その中でも、《赤狼》というパーティは有名だった。
剣士のガルド、槍使い兼魔法使いのミレナ、神官のトウマ。
実力も経験も私たちよりずっと上で、一緒に潜ると学ぶことが多かった。
「ジェシカ、そっちの薬袋!」
「はい!」
中層で毒霧が発生した時、私の準備した解毒薬が役立った。
ミレナが感心したように言う。
「便利な子ねぇ」
ビリーが笑う。
「だろ?」
まるで自分の手柄みたいに言うので、私は苦笑した。
昔からそうだった。
ビリーは調子がいい。頼みごとも多い。
「ジェシカ、悪い、荷物持って」
「ジェシカ、飯作って」
「ジェシカ、これも頼める?」
自然に言われるから、私も自然に引き受けてしまう。
それが嫌だったわけじゃない。むしろ理由を与えられて喜んですらいた。
ずっと、村にいた頃から、明るくて、強くて、ビリーはムードメイカーだった。
みんなに必要とされる、みんなの中心にいるビリーがうらやましかった。
そんなビリーに頼られるのが嬉しかった。
たとえ都合よく使われていると分かっていても。
けれどマークは、それを見ていた。
ある夜、宿で私が一人、四人分の装備を手入れしていると、マークが隣に座った。
「……またやってる」
「放っとくとビリー適当なんだもん」
「お前、何でもやりすぎ」
「別にいいよ」
マークは少し黙った。
「よくない」
低い声だった。
私は笑って誤魔化した。
「お母さんみたいなこと言うね」
でもマークは笑わなかった。
―――――
ニコラは、優しい子だった。
私がうれしい時、苦しい時、たくさん話を聞いてくれた。村を出る時も、一緒についてきてくれた。
親友だと思っていた。
ただ、ニコラは時々、少しだけずるかった。
宿で料理を作った時、私が台所で何時間も煮込んだ料理を運んだのは、ニコラだった。
「えっ、ニコラが作ったの?」「すごーい!」
周囲の褒める声に、ニコラは笑って
「おいしそうでしょ、早く食べよう」
そういった。
でも私も何も言わなかった。
――別にいい。
そう思った。
またある日。
「ごめんジェシカ……ちょっと体調悪くて……」
そう言ってニコラは荷運びを休み、結局私が一人でやった。
けれど夜になると、ニコラは普通に笑っていた。
気づいているのはマークだけだった。
マークは時々、苦い顔をしていた。
でも私が何も言わないからか、マークも何も言わなかった。
―――――
夏が近づく頃、《赤狼》のリーダー、ガルドが言った。
「お前ら、王都行く気ないか?」
食堂が静まる。
「王都?」
ビリーが身を乗り出す。
「ああ。王都の大迷宮だ。そろそろ行こうと思って、実力のある若手を探してる」
ビリーの目が輝いた。ニコラも驚いている。
「俺たちが?」
「筋はいい。特にお前と嬢ちゃん」
ガルドはビリーとニコラを見る。
「どうだ?」
夢みたいな話だった。
王都、大迷宮、もっと大きな世界。
ビリーは完全に心を掴まれていた。
「行きたい……」
ぽつりと漏らす。
ニコラも迷っていた。
その夜、ビリーが私とマークに言った。
「一緒に行こうぜ。俺たち四人ならやれるって」
ニコラも頷く。
「せっかくここまで来たんだし」
私はすぐに返事ができなかった。
王都、とても魅力はある。でも。
エルザの家、薬の調合、静かな暮らし。
それを思い浮かべてしまった。
―――――
数日後、アルディアでは夏祭りが開かれていた。
おいしい匂いのする屋台が立ち並び、キレイなもの・珍しいものを売る露店が通りを埋める。
夜になってもキラキラと灯りが照らし、楽し気な音楽がそこかしこから聞こえる。
祭りの前日、マークが珍しく言った。
「ジェシカ、一緒に祭りに行かないか」
「二人で?」
「うん」
少し緊張した顔だった。
私は頷いた。
「行く!」
こういう時はいつも四人だったから、二人きりで歩く祭りは新鮮だった。
焼き菓子を食べ、細工飴を見て、大道芸に笑う。
「楽しいね!」
「だな」
人ごみの中、気づけば手をつながれていて、私はずっと笑っていた。
夜、二人で街外れの丘に座った。
祭りの灯りが遠くに見える。風が涼しい。
マークが静かに口を開いた。
「……王都行ったらさ」
「うん」
「きっと楽しいと思う。……でも、多分変わらない」
「変わらない?」
「ビリーもニコラも、今みたいにお前に甘える」
私の胸が少し痛んだ。
「お前も、多分また無理する」
マークは続ける。
「それで、お前は何も言わずに笑ってる」
図星だった。
「……そんなこと」
「ある」
きっぱり言う。
そしてマークは、真っ直ぐ私を見て、少し震える声で言った。
「俺は、それ嫌なんだ。
鼓動が速くなる。
「ジェシカ。俺、お前が好きだ」
息が止まる。
「ずっと前から」
マークは視線を逸らさずに続けた。
「だから、王都じゃなくて、ここで一緒に暮らさないか」
私は何も言えなかった。
―――――
その夜は眠れなかった。
宿の天井を見つめながら、考える。
みんなで王都へ行く未来。
マークとここに残る未来。
四人でいるのが当たり前だった。でも。
――そういえば
四人じゃなく、二人だけの時間も多かったな。
実家の道具屋は村のはずれにあって、小さな頃は一人で遊んでた。
ある時、家の近くに遊びにきたマークに声をかけられて、それからよく遊びに来てくれるようになった。
そして、マークの家の隣に住むビリーや二コラも連れてきてくれて、二人と友だちになったのだ。
二コラとけんかをした時、私を追いかけてきたのはマークだった。
母が亡くなった時、何も考えられず呆然として外に座っていた私を、マークが無理やり川へ連れ出した。
「泣けよ」
そう言ってずっと隣に座ってくれた。
薬草採取に行く時、買い物に行く時、エルザの家に行く時、
いつの間にか隣にいた。
嬉しい時も。辛い時も。なんでもない時も。
気づけば、そこにマークがいた。
あまりにも“いつも”過ぎて、まったく意識したことがなかった。
胸の奥が熱くなる。
――ああ……私は。
理由がないとだめだと思って。
だからずっと理由を探して。
けど、理由なんてなくても。
そうしたいと思うのなら。
私にいてほしいと思ってくれるのなら。
静かに理解した瞬間、村を出てからずっとあった焦燥感が消え心が落ち着いた。
そして未来を想像する。
薬草を摘み、薬を作り、時々迷宮に潜る。
その隣にはマークがいる。
その未来は、とても温かかった。
そして、きっと幸せだと思った。
―――――
「……そっか、来ないんだな」
翌日、ビリーは少し寂しそうに笑った。
私とマークは並んで立っていた。
「うん」
私は頭を下げる。
「ごめん」
ニコラも複雑そうな顔をした。
「でも、ジェシカらしいかも」
利用されたことも、傷ついたこともあった。でも、それ以上に、楽しかったこと、一緒にいてよかったことがたくさんあった。村を出ていくときにも、当然のように一緒に来てくれた。
全部まとめて大切な時間だった。
だから私は何も言わなかった。
「一緒に行けない。でも、王都で頑張って。応援してる。」
そう言って、小さな手帳を手渡した。
「おう。お前もな」
ビリーは笑った。
「元気でね」
ニコラは最後に私を抱きしめた。
「ニコラも」
その別れは、穏やかだった。
―――――
それから、マークと私は恋人になった。
最初は少し照れくさかった。
でも、一緒にいる時間は“いつも通り”で自然だった。
エルザに報告すると、老婆は目を細めた。
「やっとかい」
「気づいてたの?」
「見てりゃ分かるよ」
そして私は言った。
「私、いつか薬師になりたいの」
エルザは長く黙っていた。
やがて静かに頷く。
「なら、私の娘になりな」
私は泣いた。
―――――
その後、私は正式にエルザの養女となり、店を継ぐことになった。
エルザが元気なうちは二人で薬を作り、時々マークと迷宮へ潜る。
三人で囲む夕飯は温かかった。
そしてマークと私は結婚した。
式はしなかったけど、アルディアの友人たちや探索者仲間が集まって祝ってくれた。
エルザが仕立ててくれた晴れ着を着て、マークとともにみんなの前に立つ。
「綺麗だな」
照れながら言うマークに、私は笑った。
「ありがとう」
その1年後には子どもも生まれた。
薬草の匂いがする家、笑い声、優しい時間。
かつて、自分は役に立たなければ、愛されないと思っていた。
でも違った。
何も背負いすぎなくてもいい。一人で耐えなくてもいい。
私はようやく知った。
幸せとは、誰かのために自分を削ることではなく
大切な人と、穏やかな日々を積み重ねることなのだと。
アルディアでの迷宮探索、日常、幼馴染たちとのあれこれは、もっと長くて数話あったけど
書いていたらだらだらしてて嫌だったのでバッサリ割愛。
書きたいところだけ残したら会話メイン小説というより脚本みたいになってしまった。
あとチャッピーの書くビリーと二コラが想定より感じ悪くなってしまった。
うまく直せなかった。




