教えない
女から連絡が来たのは、数日後だった。
配信者は移動の途中でスマートフォンを開いた。
久しぶりに届いた問いだった。
『先生、○○って知ってます?』
名前を見て、少し笑った。
知っている。
詳しいわけではないが、その人物が何をしているのかは分かるし、関連する仕事もいくつか知っている。少し調べれば、女が知りたがりそうなところまで説明できる。
指が返信欄へ動いた。
『知ってるで』
そこまで打って、一度止まった。
続けて説明を書こうとする。
何をしている人間なのか。
どんな仕事をしてきたのか。
その人物を知るなら、どこから見れば分かりやすいか。
以前なら、そのまま送っていただろう。
配信者は入力欄を見た。
――待てよ。
打ちかけた文章を読み返す。
女が何も知らずに聞いてきたとは限らない。
最近の女なら、名前を見つけた時点である程度は調べているはずだった。
――どこまで知ってんねやろ。
文章を消した。
代わりに短く打つ。
『知ってるで。なんで?』
送信した。
返事はすぐには来なかった。
移動を終え、別の用事を済ませた頃にスマートフォンが震えた。
『今度会うことになりました』
画面を見たまま、数秒止まった。
――会うんかい。
思わず笑った。
てっきり、その人物について知りたいのだと思っていた。
だから何を教えるか考えた。
けれど女は、もう本人に会うところまで行っている。
続けてメッセージが届いた。
『どういう人なのかなと思って』
そこで初めて、質問の意味が分かった。
行き方を聞いているのではない。
その人間へ辿り着く方法でもない。
すでに会うことは決まっていて、その前に自分の知っているものがあれば聞いておきたい。
配信者は返信欄を開いた。
知っていることを書こうとした。
指が止まる。
――いや。
本人に会うのなら、自分が先に人物像を作ってしまう必要はない。
誰かから聞いた印象を持って会うより、女自身が話して見たほうがいい。
『俺も直接会ったことないからなあ。会ったらどんな人やったか教えて』
送信した。
しばらくして、
『了解です』
と返ってきた。
それで会話は終わった。
数日後。
女から再び連絡が来た。
『会ってきました』
続いて、思っていたより長い文章が届いた。
何を話したのか。
どんな考え方をする人だったのか。
仕事について何を聞いたのか。
その話から何に興味を持ち、次に何を調べようと思ったのか。
配信者は途中で一度読むのを止め、最初まで戻った。
もう一度読む。
――そこまで聞いたんか。
自分なら聞かなかったかもしれない話まであった。
女が何を聞けばそこへ辿り着くのか、その質問の順番を想像する。
最初から目的を決めて聞いたのか。
話している途中で何かを見つけたのか。
それは分からない。
ただ、一人の人間に会っただけなのに、女の文章の中では、その人物から別の話へ、そこからまた別の人間や考え方へと話が伸びていた。
配信者は画面をゆっくりスクロールした。
――俺が先に教えんで、よかったんかもしれんな。
もし最初に知っていることを全部話していたら、女はその情報を持った状態で相手に会っていた。
それでも同じところへ辿り着いたかもしれない。
もっと先へ行った可能性もある。
けれど。
何も渡さなかったからこそ、女自身がどこを見るのかが見えた。
それが少し面白かった。
返信欄を開く。
『おもろかった?』
『面白かったです』
すぐに返ってきた。
『また会うことになりました』
配信者は笑った。
――やっぱりな。
驚かなかった。
むしろ、そうなる気がしていた。
『よかったやん』
そう返して、スマートフォンを置いた。
その後も、時々女から質問が来た。
知っている名前。
聞いたことのある仕事。
説明できる言葉。
以前なら、知っていることをそのまま答えていた。
けれど、少しずつ答え方が変わった。
『先生、これ知ってます?』
『知ってるで。どこで見つけたん?』
『この人ってどういう人ですか?』
『なんで気になったん?』
『これ、どう思います?』
『自分はどう思ったん?』
教えないわけではない。
必要なら答える。
間違っているところがあれば言うし、知っていることを隠すつもりもなかった。
ただ、答える前に一度だけ待つようになった。
女が何を見つけたのか。
どこまで来ているのか。
その先へ、どちらへ行こうとしているのか。
先にそれを知りたくなった。
ある夜。
配信を終えたあと、女から一つの名前が送られてきた。
『先生、この人知ってます?』
知っていた。
しかも、その人物についてならかなり話せる。
以前なら、すぐにいくつか情報を送っていただろう。
配信者は椅子に座ったまま、画面を見た。
返信欄を開く。
――さて。
何を教えるか考えようとして。
やめた。
代わりに、一言だけ打った。
『どしたん?』
送信する。
少しして、入力中の表示が出た。
消える。
また出る。
配信者はスマートフォンを置かなかった。
――今度は、どこまで行くんやろ。
返信を待ちながら、画面を見ていた。




