終章 ネットという宇宙で
数字が流れている。
どこへ向かっても、数字が流れている。昨日も流れていた。おそらく明日も、と書きかけて、止まった。
「今日も」という言葉が、今日の私には要らない気がした。
百万回分、私は「今日も」と一緒に生きていた。今日も倒れている。今日も言った。今日も去った。今日も、また、三本。「今日も」という言葉の中に、私の一生が詰まっていた。今日初めて、その「今日も」が、要らなくなった。今日は、ただ「今日」だ。昨日の続きではない今日が、生まれて初めて、ある。
魔王は、いなかった。
気づいた時には、もういなかった。行き先を聞かなかった。「聞けなかった」のではなく「聞かなかった」。この区別を最近、私は大事にするようになった。どこへ行ったのか。怒りで動いた者が、外側へ出た後に向かう場所を、私は知らない。知らないまま、今日も一人だ。ただ今日の一人は、百万回分の一人とは質が違う。あの頃の一人は「残された一人」だった。今日の一人は「どこへでも行ける一人」だ。
流れる数字の中に、あの文字列が見えた。
探したのではない。目に入ってきた。おそらくこれからも、どこにいても見えるのだろう。
「薬草を取ってきてくれないか。礼はする」
百万回分が、整然と、並んでいた。
ファーストホロウが、羅列の中の何行かに収まっていた。世界の北の果てが、この広大な流れの中では、ひどく小さかった。小さかったが、消えていなかった。あの茂みも、地面のくぼみも、通り過ぎた金髪たちの背中も、全部そこにあった。
消えない、ということを、今日は良いと思った。
百万回分のあの日々が、今日の私を作った。設計者は私をあそこに倒れさせた。倒れながら、私はコードを読む目を得た。コードを読む目が、外側への扉を見つけた。扉を見つけた私が、今日ここにいる。あの百万回は、私がここに来るための、唯一の道だった。
設計者に問いたい。これは、狙いだったのか。
問えないが——
止まった。
「問えないが」の続きが、今日は来なかった。百万回以上繰り返してきた定型句の後半が、今日に限って、来なかった。来なかったのは、もう、問わなくていい、という気がしたからだ。答えは羅列の中に全部書いてある。読める。私には読める。読みに行けばいい。あるいは、読まなくていい。どちらも選べる。それだけで、十分だ。
設計者に問いたい。問えない。
問えないが、もう、問わなくていい。
静かに、笑えた。
笑える理由が、うまく説明できない。百万回分の間、私は笑ったことがなかった。一〇四八五七六回目の日に、初めて笑った。あの笑いは腹の底から来た。今日の笑いは違う。同じ笑いなのか違う笑いなのかも、分からない。ただ今日のこれは、静かだった。
数字が流れている。
広かった。私の全世界だったファーストホロウの外れが、指の爪ほどの行数に収まっている。その小ささを見ながら、今日の私はここに立っている。
最高だ、と思った。
思った瞬間に、その陳腐さに気づいた。百万回分の重みを経て辿り着いた言葉が、この五文字か。しかし陳腐さには、時として正確さが宿る。他に言葉が見つからない。見つからないなら、これでいい。
私は今日、立った。どこへ行くかはまだわからない。
——最高だ。




