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爆美女悪役令嬢は処刑されたので、2度目の人生は幼なじみの伯爵令息と幸せになります  作者: 杜咲凜


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第9話 当たり前の優しさが、心を溶かす

 それは、ほんの小さな出来事だった。


 特別な舞踏会でも、重要な式典でもない。

 ただの、短い旅の帰り道。


 今回はマッティアの実家が行う行商の旅に同行させてもらった。

 比較的安全なルートとはいえ、彼の家が抱える傭兵は屈強揃いだ。


 馬車を降りたとき、彼はいつも通り、私より半歩前に立っていた。


 人の流れをさりげなく避け、裾を踏まれない位置を選ぶ。


 それはもう、癖のようなものだった。


「疲れてない?」


 そう聞かれて、私は首を振る。


「平気よ」


 本当は、少しだけ疲れていた。


 でも、それを言うほどではない。

 ――そう思っていたはずだった。


 屋敷に戻る直前、彼が思い出したように言う。


「そうだ」


 懐から、小さな包みを取り出した。


「これ、君に」


「……なに?」


 包みを開くと、淡い色のリボンで結ばれた小さな焼き菓子。


 有名店のものでも、高価なものでもない。

 けれど、見ただけで分かる。

 私の好みだ。


「道中で見つけたんだ。

 素朴な包みだけど……君、見てたから。

 あそこの店、おいしいって聞いて。

 疲れてるときは甘いものがいいって」


 胸の奥で、なにかが――ひび割れた。

 前も、贈り物はたくさんもらった。


 でもそれらはいつも、


 “似合うから”

 “立場にふさわしいから”

 “周囲に見せるため”


 結局、自分は飾りだった。

 見た目が良ければ、隣に並ぶ価値が上がる。


 でも――こんな素朴な贈り物は、なかった。


「……どうしたの?」


 彼が少し不安そうに覗き込む。

 私は慌てて首を振った。


「なんでもないわ」


 嘘だった。

 胸が締め付けられ、視界がにじむ。

 気づかれないよう、そっと目元を押さえた。


 その夜、食後に菓子を口にした。

 控えめな甘さ。ほんの少しの柑橘の爽やかさ。


 思わず目を閉じる。


(……優しい、味)


 侍女がそっとお茶を差し出してくれる。

 彼女はずっと私のそばにいる。


 何気ない贈り物を一緒に喜び、一緒に菓子を食べることもある。

 毎回届く、小さな気遣い。


 意味のあるものも、ないものも。

 特別な日も、そうでない日も。


 でもいつも、私を見て、考えて、選んでくれる。

 それを当たり前のように贈る。

 なんて、優しいの。

 再び涙が滲みそうになり、慌ててお茶を飲み干した。



 ――――翌朝。


 馬車の中で、手習いの延長として刺繍をしたハンカチーフを渡す。


「これ……よかったら」


 完璧な出来ではない。

 練習のつもりだった。

 それでも彼は、まるで宝物のように受け取った。


 それから数日後。

 街を歩いていると、彼が立ち止まる。


「ちょっと待ってて」


 戻ってきた彼の手には、小さな花束。


「この前の……お礼、みたいなものかな」


「……意味が分からないわ」


「? そう?」


 何が“そう?”なの。

 あれはお菓子の御礼で、しかも練習みたいなものだったのに。


(――御礼の御礼なんて。)


 花束を両手で包む。

 でも彼は、本当に不思議そうな顔をしている。


「きれいだったから。

 君にあげたいって思っただけだよ。

 旅の途中だから、大きな花束は無理だけど」


 ……それだけ。



 旅の間、彼はずっと隣にいた。

 同じ時間をながく過ごすことで、さらにマッティアの優しさを痛感した。

 私の心は耐えきれないほど胸が痛くなり、しかしその苦しさも心地よかった。


 前のときは、何度も思った。


 どうして、愛してほしい人は、こういうことをしてくれないのだろう。

 どうして条件は完璧なのに、心はこんなに寒いのだろう。


 ――そして今。

 隣にいるこの人は、自覚もなく、欲しかったものを差し出している。


「……ねえ」


 思わず口を開く。


「もし、私が……」


 言葉が止まる。


 もし、私があなたを選んだら。

 もし、ずっと隣に立ってほしいと言ったら。

 ――あなたはどうする?


 でも、その問いは飲み込んだ。


 ……怖い。


 この穏やかな時間が壊れるのが……。


「どうした?」


「……なんでもない」


 私は笑う。

 彼も、安心したように微笑む。


 距離は近いのに、越えてはいけない一線がある。

 でも、はっきり理解した。


 前にあれだけ欲しかったものは奪い合い、うらやまれる椅子を守ることでもなかった。


 自然に気遣われ、当たり前のように愛する人の隣にいること。そこには、争いも妬みもない。

 互いに思いあって、寄り添う。

 ――それだけだった。


(……もう、戻れない)


 この優しさを知ってしまった以上、あの孤独な戦場には戻れない。

 胸の奥で、静かに、でも確実に何かが決まる。


 ……恋心なんて、そんな生やさしいものじゃない。


 私は、この人を――失いたくない。

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