第7話 社交界デビューをふたりで
ドレス選びは、正直に言って好きだ。
布の重さ。色の深み。刺繍の光り方。
鏡の前で少し回るだけで、気分が変わる。
でも今日は――少しだけ意味が違った。
「……これで、どう?」
私は振り返って、マッティアを見る。
部屋には何着ものドレスが並んでいる。
侯爵家だから、値段を気にする必要はない。
仕立ても素材も、すべて一流。
けれど今日は、マッティアが用意すると言って聞かなかった。
両家の親たちからも勧められていたし、今回は彼に任せている。
もちろん、彼が私のために考えてくれた贈り物は、いつだって大切にしている。
でも、こうして何着も並べられると、少し落ち着かない。
「全部、買ってもいいよ」
控えめに、でも本気で言うマッティアに、私は首を振った。
「だめ」
「……だめ?」
「大切にしたいの。なんでも持つのは、違うわ」
彼は少し驚いた顔をしてから、いつものように真剣に考え込んだ。
「……そうなんだ」
否定しない。
理由を問い詰めたりもしない。
ただ、そのまま受け取る。
それがもう、好きだった。
しかも今の彼は、本気でどの一着にするか悩んでいる顔をしている。
……そんな顔、反則でしょう。
私は淡い色のドレスを一着手に取った。
可憐で、柔らかくて、確かに綺麗。
でも、少し装飾が多い。着ていたら疲れそうでもある。
私の色ではない気もした。
けれど、マッティアの隣に立つのは、こんな可憐なお姫様なのかもしれない――
そんなことを、少しだけ思ってしまう。
「じゃあ、これ。どう思う?」
マッティアは、じっと私を見る。
長い沈黙。
(……あれ?)
「似合わない?」
「いや」
即答だった。
「全部、似合う」
真顔で。
「だから、似合わないわけではないけれど……」
――ずるい。
そんな顔で、そんなこと言うのは反則だ。
真剣に考えて、カテリーナとドレスをみる。
思わず視線を逸らした。
胸の奥が、きゅっと鳴る。
「私、あなたに見てほしくて選んでるのに」
「見てる」
「そうじゃなくて……!」
言葉にしきれないもどかしさに、私は軽く唇を噛む。
マッティアは少し困ったように眉を下げて、それでも、はっきり言った。
「君が無理してる服は、分かる」
「……」
「それより、君が好きな、君らしいのがいい」
胸が、どくんと跳ねた。
この人は、私を飾りたいんじゃない。
私を見ている。
最終的に気に入った一着を選んだ。
深すぎない色合い。
肌なじみのよい質のある生地、でも品のある形。
「……これね」
「うん」
マッティアは、少しだけ息を吐いた。
「その色、君の瞳によく似合ってる」
真剣すぎて、褒めている自覚がまるでない。
思わず笑ってしまった。
「ねえ、今日のは、あなたのためなの」
「?」
「あなたと並んだとき、合う色にしたの」
そう言うと、彼は完全に固まった。
「……」
「ほら」
彼の服を指さす。
「同じ系統でしょう?」
リンクする色。
意識して合わせた。
意味を理解して、マッティアは沈黙する。
そして、次の瞬間マッティアは、そっと顔を覆った。
「……それは……」
「なに?」
「……心臓に、悪い」
「え?」
耳まで真っ赤だ。
「君は、時々……」
言葉を探して、でも結局、正面から言った。
「……かわいすぎる」
真顔で。完全に、不意打ちの告白だった。
「……」
今度は、こちらが固まる番だった。
(なに、それ。今までで一番、効いた……)
「……じゃあ」
わざと少しだけ近づいて言う。
「これ、着てよかった?」
マッティアは一瞬だけ目を閉じて、静かに、でもはっきり答えた。
「……よすぎる」
その日、心の中で確信した。
――この人、私のこと、好きすぎる。
しかも、自覚がほとんどない。
ふわふわと心が軽い。まるで、夢の中にいる。
こんな気持ち、初めてで、その日は寝るまで顔が緩むのを抑えきれなかった。
そういうわけで、2人で決めたドレスを着ることになった。
それは、念願だった――社交界デビューの日のドレスだ。
********
その日の朝、侯爵家は朝から慌ただしかった。
使用人たちが廊下を行き来し、侍女たちはドレスや宝石の最終確認をしている。
今日は――カテリーナの社交界デビューの日。
領地で隠居している祖父母からも、朝一番で贈り物が届いていた。
宝石箱。
絹のショール。
そして、祝福の手紙。
「まあ……お祖母様らしいわ」
カテリーナは微笑みながら、侍女に髪を整えられている。
鏡の前には、いくつもの宝石。
どれも侯爵家の令嬢にふさわしいものばかり。
けれど今日のドレスは――決まっている。
マッティアと一緒に選んだもの。
まったく同じ色ではない。まだ婚約者ではないから。毎日、ドレスを眺めて社交界の日を想像した。
よく見れば分かる。色の系統が、そっと揃えられている。きっと、並べば2人の気持ちがわかるだろう。
「……ふふ」
鏡の中の自分を見ながら、カテリーナは少しだけ笑った。
両親はもちろん気づいている。
それでも何も言わない。
娘が幸せそうにしているなら、それでいい。
カテリーナの強い意志を、曲げられる人などいないことも知っている。
夕方。
侯爵家の前に、伯爵家の馬車が到着した。
降りてきたのはマッティア。
正装の衣装に、少しだけ着られているような雰囲気。
けれど最近、体つきが少し変わってきている。
成長期なのだろう。
肩の線が以前よりしっかりしている。
剣はそれほど得意ではないが、弓はかなりの腕前だ。
大きな商会を手掛けるマッティアの家では行商のときには、食料を調達するために狩りもする。
見た目よりも、ずっと力もある。
ただ――
外から見れば分かりにくい。
圧倒的に美しい侯爵令嬢の隣に立つと、どうしても召使いか、よくて付き添いのように見えてしまう。
あまりにも見た目が違いすぎるから。
それでも今日は、カテリーナが彼をパートナーに指名していた。
(もう婚約者でいいじゃない!!!)
カテリーナは何度もそう思っている。
でも最近は婚約を急くのを我慢している。
せかしすぎて嫌われたら嫌だから。
――でも。
(絶対、私のこと好きよね?)
そう思いながら、カテリーナは馬車に乗り込んだ。
馬車がゆっくりと城へ向かう。
向かいに座るマッティアは、少し緊張しているようだった。
カテリーナはくすっと笑う。
「そんなに緊張してるの?」
「……してる」
正直だった。
「今日は君のデビューだから」
少し視線を逸らしてから、彼は続ける。
「……すごく、きれいだ」
カテリーナは瞬きをした。
「ドレスのこと?」
「……カテリーナがだよ」
真顔だった。
「その色、すごく似合ってる」
「あなたと一緒だと、もっと似合うでしょ?」
さらっと言う。
マッティアは一瞬固まった。
「……そういうこと、平気で言うの、やめて」
「どうして?」
「心臓が……」
言葉を探してから、小さく言う。
「……もたない」
カテリーナは笑った。
城に到着すると、すでに多くの貴族が集まっていた。
まずは王族への挨拶。
王太子もそこにいる。
やり直し前では、この瞬間がすべてだった。
王太子の隣を手に入れるために、
どの令嬢より美しく
どの令嬢より魅力的に
どの令嬢より印象に残るように
計算していた。でも今は違う。
王太子は相変わらず人気者で、令嬢たちに囲まれている。
それを見ても、カテリーナの心はまったく揺れなかった。
夜会が始まる。
ファーストダンス。
カテリーナの相手は、マッティアだった。
会場の視線が少し集まる。
けれどカテリーナは、気にしない。
音楽が流れる。
マッティアの動きは、少しだけ硬い。
「……大丈夫?」
「君が近いと、大丈夫じゃない」
「それは困ったわね」
「……でも」
彼は小さく笑う。
「うれしい」
ダンスが終わると、父とのダンス。
それから、父やマッティアの知人たちと数曲踊る。
マッティアにも友人がいた。
カテリーナがダンスを申し込むと、
彼らはみんな恐縮してしまう。
「こ、侯爵令嬢様となんて……」
「無理です無理です」
けれど話してみると、皆とても穏やかで優しかった。
控えめで、真面目で。
そして――
話題はすぐに、マッティアになる。
「いやあ、聞いてくださいよ」
「こいつ、いっつもカテリーナ様の話ばっかりで」
「朝も昼も夜も!」
「カテリーナ様がですねって!」
「やめろ!」
慌てて止めるマッティア。
カテリーナは目を丸くした。
「あら、そうなの?」
にこりと笑う。
「マッティア。ご友人が嘘を言っているのかしら?」
「……いえ」
観念したように答える。
「全部、本当です」
「じゃあいいじゃない?」
カテリーナは楽しそうに笑った。
マッティアは顔を覆い、友人たちは大笑いしている。
その夜。
社交界デビューは、カテリーナにとって、とても楽しい思い出になった。
前は、王太子の隣を得るための戦いだった。
計算して、作って、
一度も心から笑ったことはなかった。
でも今は違う。
帰宅してからも、カテリーナはずっと笑顔だった。
「それでね!」
弟に夜会の話をしながら、楽しそうに語り続けた。
社交界は――
こんなにも楽しい場所だったのだと、初めて知った夜だった。




