第5話 七歳のふたり、重なる時間
七歳の春。
あれから何度も告白をしても、なかなか返事はもらえない。
……いや、告白というのだろうか。
「婚約してもよくてよ?」
というやり取りを、何度も繰り返しているだけだ。
しかし、そのたびにマッティアは首を振る。
「自分なんて……」
「カテリーナ様を毎日見たら、美しすぎて耐えられません」
思い出すと、カテリーナは一人でくすくす笑ってしまう。
今日もきっと、同じだろう。
そう思いながらも、カテリーナは今日を楽しみに待っていた。
今日は――マッティアに会える日。
侯爵家の客間には、いつものお茶とお菓子。
母同士は楽しそうに話し、侍女たちもすっかり顔なじみ。
この光景は、もう特別ではない。
――でも。
私にとっては違う。
向かいの席に座るマッティアは、背筋をぴんと伸ばし、少し緊張した顔をしている。
七歳にしては、真面目すぎるくらい礼儀正しい。
「……あの」
カテリーナが声をかけると、彼の肩がびくっと跳ねた。
「な、なんですか? カテリーナ様」
まだ「様」が取れないところが、かわいい。
カテリーナはカップを両手で持ったまま、じっと彼を見た。
ちゃんと、目を見て。
「ねえ、マッティア」
「は、はい」
「わたしのこと、どう思ってるの?」
その瞬間。
彼の顔が、みるみる赤くなった。
耳まで真っ赤だ。
「えっ、えっ……?」
明らかに、予想していなかった質問。
視線が泳ぎ、助けを求めるように母の方を見る。
けれど伯爵夫人は、にこにこと微笑むだけだった。
「……その、えっと……」
マッティアは、ぎゅっと拳を握る。
「い、いやです!」
「……え?」
「いや、じゃなくて! その……!」
言葉が絡まり、目がうるうるしてくる。
「カテリーナ様には、もっと……もっと……」
「ぼ、僕なんかじゃ……!」
カテリーナは、思わず唇をとがらせた。
「いや!」
「えっ」
「いやなのは、こっちよ」
椅子から少し身を乗り出す。
「私が、あなたがいいんだもん」
それは駆け引きでも思いつきでもない。
ただの事実だった。
マッティアは固まった。
完全に、止まった。
「……」
「……マッティア?」
次の瞬間。
「――っ」
彼は、がくんと前のめりになった。
「ま、マッティア!?」
慌てて椅子から降りると、彼は顔を真っ赤にして必死に呼吸している。
「だ、だめです……」
「そんなこと言われたら……」
「え? どうして?」
本気で分からなかった。
カテリーナは、ただ言っただけなのに。
「カテリーナ様は、すごくて……」
「きれいで……」
「ぼ、僕は……」
そこまで言って、とうとう声が震えた。
カテリーナは少し考えてから、そっと言う。
「じゃあ、いまはまだでもいいわ」
マッティアが、驚いたように顔を上げる。
「でもね」
カテリーナは、にっこり笑った。
「大きくなっても、言うから」
「え……?」
「何回でも言うわ。あなたがいいって」
客間が、しんと静まった。
次の瞬間。
大人たちから、くすっと笑いが漏れる。
「まあ……」
「これは……」
「将来が楽しみね」
マッティアは、今度こそ完全に固まってしまった。
カテリーナは満足した。
(うん。逃げ道は、ふさいだわ)
七歳にして、カテリーナの思考はすでに速い。
そのすべてが、どうすればマッティアを落とせるか。
今はそれだけに向けられていた。
――きっと、落としてみせるんだから。
*******
七歳の冬。
約束は、確かに交わしていた。
「大きくなったら、正式に」
「その時は、必ず」
それでも――
心は、ときどき勝手に不安になる。
あれほど自分から会いに行っていたのに、
ある時期からカテリーナは伯爵家へ行けなくなった。
体調を崩した、と伝えたのは事実だったけれど。
本当は――少し怖くなっただけ。
――もし。
――私ばかりが、前のめりだったら?
そんな考えが、頭から離れなかった。
代わりに届くのは、マッティアからの手紙。
『寒くなってきましたが、具合はいかがですか』
『必要なものはありませんか』
『足りないものがあれば、すぐ用意します』
丁寧で、優しくて、いつも変わらない文字。
……でも。
「違うの」
ぽろりと涙が落ちた。
欲しいものなんて、決まっている。
ペンを取り、震える手で返事を書く。
『足りないものがあります』
『それは――』
少し迷ってから、正直に書いた。
『マッティアが、足りないの』
手紙を出した翌日。
屋敷が、少し騒がしかった。
「お嬢様、あの……伯爵令息様が」
振り向いた瞬間。
目に入ったのは――
両腕いっぱいの花を抱えたマッティアだった。
息を切らしながら、でも、いつもと同じ真面目な顔で。
「……来てしまいました」
花の香りが、ふわりと広がる。
「手紙を読んで、じっとしていられなくて」
少し困ったように。
でも、はっきり言う。
「僕なら、たくさんあげられます」
花も。
時間も。
一歩、近づいて。
「今日は一日……いいえ」
「ずっと、そばにいます」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
不安は、音もなく消えていた。
カテリーナは花に顔をうずめて、にっこり笑う。
「……ありがとう」
やっぱり、この人だ。
言葉ではなく、行動で安心させてくれる人。
「ねえ、マッティア」
彼は少し緊張したように背筋を伸ばす。
「今日は、ずっとお話しましょう?」
そう言うと、彼は耳まで真っ赤にして、こくりと頷いた。
冬の一日が、とても長く、そして穏やかに流れていった。




