第4話 三歳の私、人生をやり直します
目を開けた瞬間、それは見覚えのある天井だった。
ずっと遠い過去のように感じるのに、なぜかすべてが大きく見える。
天井の位置が、違う?
いや……と、手のひらを見つめる。
小さい。
丸くて、柔らかくて、指が短い。
爪も小さい。
絹の袖口から覗く腕は、どう見ても幼児のものだった。
「……え?」
声を出して、さらに驚く。
声まで、幼い。
混乱する頭の中に、処刑台の光景が鮮明に蘇る。
騒ぐ民衆。
中央に鎮座する処刑台。
彼の笑顔。
振り下ろされる剣。
胸が、ぎゅっと縮んだ。
――あれは、現実だったはず。
あの寒い塔の石壁。人の冷たさ。孤独。
あれが夢だなんて、思えない。
けれど今もまた、現実のようだった。
いったん、冷静になる。
……もしかして。
私は、人生をやり直している?
周囲を見回す。
侯爵家の自室。
見覚えのある調度品。
淡い色のカーテン。
そして
三歳の誕生日にもらった、うさぎのぬいぐるみ。
ピンクのフリルの服を着た、お気に入り。
私は三歳。
人生でいちばん幸せで、誰とも競わず、ただ愛されていた頃。
……でも、このまま進めば、私はまた争う。
勝利を渇望し、誰かを蹴落とし、そして――失う。
(そんな人生、絶対に嫌だ。)
がんばっても、がんばっても。
最後に欲しかったものは、そこにはなかった。
ベッドの上で、小さな拳を握る。
もう、間違えない。
誰かに勝つことは、幸せじゃなかった。
地位を守ることも、満たしてはくれなかった。
条件で人を選ばない。
勝ち負けで未来を決めない。
そして――
見返りのない優しさが怖いからといって、
愛を切り捨てない。
今度は最初から、私から選びにいく。
そのとき、乳母が部屋に入ってきた。
「お嬢様、今日はお庭に出られますよ。伯爵家のご子息もいらっしゃっています」
その言葉に、心臓が跳ねる。
――伯爵家。
私は、まだ幼い足で庭へ向かった。
芝生は柔らかく、日差しは眩しい。
そして、そこに。彼がいた。
まだ少年とも言えない、小さな男の子。
派手さはない、目立たない色の服。
でも、立ち姿だけで分かった。
ああ。この人だ。
私が最後に欲しかった人。
彼は少し緊張した様子で、ぺこりと頭を下げた。
「……はじめまして」
声も、まだ高い。
胸が苦しくなるほど愛おしい。
この子が、あの人になる。
私のために命を差し出し、死の瞬間まで、私の幸せを願った人に。
考えるより先に、体が動いていた。
とてとてと歩いて、彼の前に立つ。
そして――
「わたし、あなたのおよめさんになるわ」
庭の空気が止まった。
乳母が息を呑む。
侍女が固まる。
当の伯爵令息は。
「……え?」
数秒固まり。
そのまま、へたりと座り込んだ。
「!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
彼は顔を真っ赤にして、ぶるぶる首を振る。
「む、無理です……!」
「え?」
「む、無理というか……あの……」
立ち上がろうとして、またよろける。
「ぼ、僕は伯爵家で……お嬢様は侯爵家で……」
三歳とは思えないほど真剣な顔。
「そ、それに……」
ぎゅっと拳を握る。
「ぼ、僕なんかが……!」
……ああ。
この人だ。
この自己評価の低さ。
この、最初から身を引く優しさ。
前世と、何も変わらない。
私は思わず笑った。
「だいじょうぶよ」
三歳の声で。
でも心は、もう決まっている。
「まだ、きめるのは、ずっとさきだもの」
彼はきょとんとする。
「でもね」
私はまっすぐ彼を見る。
「わたしは、あなたがいいの」
意味を全部は分かっていないだろう。
でも、視線だけは届いたはずだ。
三歳でも、自分の美しさは自覚してる。
彼はさらに真っ赤になり、今度こそ完全に腰を抜かした。
周囲は大混乱。
「お嬢様!?」
「そんなことどこで覚えたんですか!?」
「伯爵家のご子息が倒れます!!」
私はその騒ぎを、少し遠くに感じながら思う。
――大丈夫。
今度は時間がある。
私は、あなたのそばにいる。
どれだけ自分を過小評価しても、
何度でも、あなたを選び続ける。
私はもう、決めている。
彼を、愛する。
そして――
愛されることから、逃げない。




