第15話 剣大会と弓大会3
そして弓大会が、剣大会の翌日に行われた。
前日に続く晴天。
貴族たちは再び闘技場へ詰めかけていた。
しかし空気は、昨日とは少し違う。
今日は弓大会。
剣ほど派手ではないが、貴族の嗜みとして重要な競技だ。
的は三種類。
固定標的。
移動標的。
そして連射。
最後は総合得点で順位が決まる。
観客席では、昨日の試合の話がまだ続いていた。
「昨日の伯爵令息、弓にも出るらしい」
「剣はあれだったのに?」
「準々決勝であそこまでやられたろ」
「今日は早く終わるんじゃないか?」
くすくすと笑う声まで聞こえる。
カテリーナは、それを聞いても何も言わなかった。
ただ静かに闘技場を見つめる。
視線の先、マッティアは弓を受け取っていた。
その瞬間、カテリーナは気づいた。
空気が変わる。昨日とは違う。
肩の力が抜けている。
呼吸は静かだ。
そして視線は――的だけを見ていた。
(――大丈夫、持ち直してる)
カテリーナは思う。
(……いつもの顔)
弓を持つときのマッティアは、まるで別人のようだった。
昨日のような緊張はない。
観客も、歓声も、今はない。
あるのは――的だけ。
(あなたなら、きっと大丈夫)
カテリーナは静かに息を吐く。
(あなたは、負けないから)
第一種目は固定標的。
開始の合図が響く。
マッティアは静かに弓を引いた。
動きは派手ではない。
大きな構えでもない。
ただ――無駄がない。
何百回いや、何万回、彼は引いたか。
放たれた矢が、まっすぐ飛ぶ。
――ドン。ど真ん中。
観客席がざわめく。
「……お?」
「今、中心じゃなかったか?」
二射目。
また中心。
「またか?」
「偶然だろ」
三射目。
中心。
四射目。
中心。
「……え?」
ざわめきが広がる。
「全部真ん中じゃないか?」
「そんなことあるか?」
ただ、淡々と中心に当て続ける。
まるで、そこ以外が存在しないかのように。
審判が結果を読み上げる。
「全射、中心」
会場がどよめいた。
カテリーナは、静かに微笑む。
(ほら、みなさい)
第二種目は移動標的。
回転する的。
左右に揺れる。
風も出る。
だから、難易度が一気に上がる。
他の選手たちは、ここで精度を落とす。
「惜しい!」
「今のは風だ!」
「やっぱり難しいな」
そんな声が続く。
そして、マッティアの番。
弓を構える。
風が加わる。
そして、動く的。
それでも、彼は観客を見ない。
歓声も彼には届いていないように。
ただ――的だけを見る。
一射目。
少し外側。
「外した!」
「ほらやっぱり」
観客がざわつく。
その瞬間。
マッティアは小さく息を吐いた。
視線を静かに的に集中させる。
そして次の矢。静かに引いた。
――中心。
「え?」
三射目。
中心。
四射目。
中心。
観客席がふたたびざわめく。
「修正してる」
「今、風読んだぞ」
「一瞬で?」
休みなくすぐ矢を放つ。
中心。
中心。
中心。
カテリーナは思う。
(――やっぱり、この人弓を持つと怖いくらい静かになる)
第三種目は連射。
最後の競技だ。
連続して矢を放つ。
速度と正確さの両方が求められる。
多くの選手が、ここで精度を落とす難所である。
先程より結果は荒れる。
「速さだけじゃ当たらないぞ」
「焦ると外れる」
しかし、マッティアは違った。
矢をつがえる。
引く。
放つ。
速い。
でも、弓を引く動きは小さい。無駄がない。
そして、矢が飛ぶ。
中心。
「……は?」
次。
中心。
――また中心。
「全部真ん中じゃないか?」
観客席がどよめく。
「昨日の剣のやつだろ?」
「同じ人か?」
「別人じゃないのか?」
それでもマッティアは変わらない。
淡々と、呼吸も乱れない。
マッティアは完全にゾーンに入っている。
矢は吸い込まれるように中心へ飛ぶ。
中心。
中心。
中心。
カテリーナの胸が、静かに高鳴る。
(……ね。やっぱり、あなたはすごい)
最後の一射。
放たれた矢は――ど真ん中。
静まり返る会場。
そして――
「優勝――マッティア」
歓声が爆発した。
****
弓大会が終わっても、闘技場のざわめきはなかなか収まらなかった。
「全部中心だったぞ」
「ありえないだろ」
「修正の速さもおかしい」
「昨日の剣大会と同じ人か?」
そんな声があちこちから聞こえる。
マッティアは、少し困ったように立っていた。
歓声。そして、拍手。
彼に注がれる視線。
いつもと違う周囲に、マッティアはどうしていいかわからない。
「……カテリーナ」
助けを求めるように視線を向ける。
カテリーナは、ゆっくり歩いてきた。
優雅に、堂々と、まるで当然の結果を見に来たかのように。
「おめでとう」
一言カテリーナが微笑むと、マッティアは照れたように頭をかく。
「……たまたまだよ」
――その瞬間、近くにいた女子生徒たちがざわついた。
「マッティア様、すごかったです」
「弓を引く姿、とても素敵でした」
「先ほどの修正、本当に見事で……」
次々と声がかかる。
マッティアは完全に困っていた。
「え、あの、その……」
どう返していいかわからない。
そのとき、カテリーナが一歩前に出た。
マッティアの腕を、すっと取る自然な動き。
しかし、しっかりとマッティアを逃さない。
「ありがとうございます」
にっこり微笑む。
「ですが」
少しだけ首を傾げて言う。
「この方は、私の婚約者ですの」
空気が、ぴたりと止まる。
女子たちが固まる、が、カテリーナは続けた。
「弓の腕前を褒めていただけるのは嬉しいですわ」
ほんの少しだけ腕を引き寄せる。
「格好いい姿は、私だけが見れば十分」
にっこり、完全に宣言だった。爆美女の凄みのある笑顔がこんなときは役に立つ。
マッティアの顔が一瞬で赤くなる。
「か、カテリーナ……!」
しかしカテリーナは平然としている。
むしろ満足そうだった。
女子たちは、顔を見合わせる。
「……仲がいいのね」
「婚約者だものね」
「そうよね……」
さすがにそれ以上近づく者はいなかった。
人が少しずつ散っていく。
ようやく落ち着いたところで、マッティアが小さく言った。
「……あの」
「なに?」
「さっきの……」
……耳まで赤い。
「ちょっと……恥ずかしい」
カテリーナは、きょとんとした。もちろんわざとである。
知らないふり、彼が恥ずかしがるなどわかっている。
いつもより密着がある。
「どうして?」
「どうしてって……」
言葉に詰まる。
カテリーナは不思議そうに言った。
「事実でしょう?あなたは私の婚約者」
「――それとも」
少しだけ顔を近づけて、マッティアの耳元に唇を寄せた。
「違うの?」
マッティアは慌てて首を振る。
「ち、違わない!」
「ならいいじゃない」
カテリーナは満足そうに微笑んだ。
これ以上は、マッティアも限界そうだったので、カテリーナはそっと顔を離す。
そして、ぽん、と彼の腕を叩く。
「週末はお祝いね」
「え?」
「弓大会優勝ですもの」
マッティアから離れ、一歩二歩歩いてから、くるりと振り向く。
「街に行きましょう。お茶と、お菓子をたべましょう?それから――」
少しだけ楽しそうに笑う。
「今日の話を、たくさん聞かせて」
マッティアは、ほっとしたように笑った。
「……うん」
マッティアがカテリーナに近づき、並んで歩き出す。
観客席の喧騒から離れて、静かな中庭へ向かう二人の背中は、誰が見ても、仲のいい婚約者そのものだった。




