第12話 学園でも変わらない空気
学園に無事入学して、しばらくが経った。
婚約はしたものの、生活はほとんど変わらない。
むしろマッティアは、以前よりさらに丁寧に――
まるで従僕のように、カテリーナに尽くしていた。
カテリーナとしては、婚約者なのだからもう少し遠慮なく接してほしいと思っている。
……しかし。
「そんなの……できないよ」
恥ずかしそうに言われてしまえば、強く言えない。
マッティアはカテリーナに弱いが、カテリーナもまた、マッティアに弱いのである。
そして、そんな風に学園生活にも慣れてきた。
短い休み時間はクラスメイトと過ごすが、昼休みはマッティアと過ごすのが日課になっている。
そんなある日。
カテリーナは、考え込んでいるマッティアに気づいた。
「……やっぱり、少しは身なりを気にした方がいいのかと」
昼休みの中庭。
木陰のベンチに座りながら、マッティアは珍しく落ち着かない様子だった。
「最近、その……付き人みたいに見られることが多くて。さすがに婚約者として、ふさわしくないのではと考えて」
言いづらそうに視線を泳がせる。
カテリーナは一瞬きょとんとしてから、彼をじっと見た。
きちんと切り揃えられた髪。
清潔な服装。
背は、いつの間にか見上げるほどに伸びている。
学園に入ってから、さらに背が伸びた気がする。
一時はカテリーナの方が背が高くなった時期もあったが、
今ではまた抜かされてしまい、見上げるのが当たり前になった。
「問題ないわ」
即答。
マッティアは目を瞬かせる。
「え?」
「ちゃんと清潔だし、だらしなくないし。十分よ」
そう言ってから、少し考える。
……むしろ。
(これ以上、目立ってほしくない)
喉元まで出かかった本音を、カテリーナは飲み込んだ。
「でも……かっこよくなるには、どうしたら……」
真剣に悩む顔。
胸がきゅっとする。
彼は知らない。
新興貴族で実務能力が高く、
当たりが柔らかく、
何より女性に優しいことが――
どれほど価値があるのか。
学園を出たら、間違いなく良物件になる。
それに――
(脱いだら、結構すごいのに)
鍛えられた身体。
訓練を欠かさないのも知っている。
争いが苦手なだけで、体力も忍耐力もある。
だからこそ。
(誰にも、気づかれたくない)
カテリーナは、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
「……そのままのあなたが、好きよ」
マッティアの動きが止まる。
「もし、身なりを整えるなら――」
一歩近づいて。
「私と、二人の時間だけにしてくださる?」
にっこり。
数秒の沈黙。
そして――。
「っ……!」
マッティアは、みるみる真っ赤になった。
耳まで、首筋まで。
「……わ、わかりました」
小さく、でも即答。
深く頷く。
(――ああ)
……可愛い。
独り占めしたくなるのも、無理はない。
カテリーナは満足して、そっと彼の袖を引いた。
「じゃあ、帰りは一緒にお茶にしましょう」
「……はい」
まだ赤いまま、でもとても嬉しそうに答えるマッティアを見て、カテリーナは心の中で静かに勝利を宣言した。
(この人は、私のもの)
(かっこいいところも、全部私だけに見せてくれればいい)
――これからも、ずっと。
和やかな昼休みが過ぎていった。
*******
学園に通うようになってから、カテリーナははっきり自覚するようになった。社交界で分かってはいたが、学園生活でさらに感じる。
――自分は、かなり目立つ。
一度目の人生でも、自覚はあった。
目立つように行動していたから当たり前だ。
だが、今は愛する婚約者がいるため、むやみに着飾る必要もない。だが、そう変わりはない。
目立ちすぎるのも考えものだ。
廊下を歩けば視線が集まり、講義のあとには遠巻きのため息。
社交の場では、露骨な誘いは少ないものの、声をかけられない日はない。
「カテリーナ嬢」
振り返ると、上級生がいた。
家柄もよく、見目も整っている。
ただ、高位の貴族らしい自信があふれ、傲慢さもにじむ。
「少し、お時間をいただけませんか」
前世の自分なら、反射的に微笑んでいた。
打算で。
値踏みする目で。
――でも今は違う。
「申し訳ありません」
カテリーナは礼儀正しく頭を下げる。
「すでに、想っている方がいますの」
曖昧にしない。
それだけで、多くの相手は引き下がる。
問題は、そうでない場合だった。
「……ふぅん?」
公爵家の次男。
女遊びが激しいと噂の人物だ。
「結婚してやってもいいが……」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、すっと冷えた。
「君みたいな極上の女性には、あんな男より僕の方がふさわしい」
――ふ、ん。
前の自分なら、揺れたかもしれない。
肩書き。
権力。
将来性。
――でも今は。
「……お言葉ですが」
カテリーナは、にこりともせずに言った。
「視界に入ることすら、おぞましいですわ」
空気が凍る。
「私の相手は、たったお一人」
淡々と告げる。
「それ以外は――はっきり言って、羽虫のようなものですの」
相手の顔が怒りで歪む。
何か言われたが、カテリーナはもう興味を失っていた。何か背後でわめいていたかもしれないが、知らない。
背を向け、歩き出す。
(無駄な時間だったわ)
……ただそれだけ。
(こういうとき、マッティアに会いたくなる)
(あの笑顔に、癒されたい)
廊下の先に、見慣れた背中があった。
少し猫背で、本を抱えた伯爵令息。
……マッティア。
視線が合うと、彼は驚いた顔をしてから、いつものようにほっとした笑みを浮かべた。
それだけで、十分だった。
(……恋しいってこんな気持ちなのかしら…)
カテリーナは確信する。
前に、選び間違えたもの。
今、選び続けているもの。
その差は、あまりにも明確だった。
「マッティア、また先生に本を運ぶのを頼まれたの?」
「カ、カテリーナ!大丈夫だから!」
カテリーナは本を奪う。
「いいから貸しなさい」
並んで歩く。
それだけで、幸せなのだから。
休日の予定を話しながら、二人はゆっくりと歩いていった。




