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第六話 課題



 その翌日。

 孤月は、祠の外をちらちらと気にしていた。


 朝日が山の稜線(りょうせん)から顔を出し、木々の隙間から光が差し込む。


 いつもなら、そろそろあの娘がやって来る頃だ。


 ……いや、別に待っているわけではない。


 ただ、毎朝あれほど騒がしい娘が来ないと、妙に静かに感じるだけだ。


 そう自分に言い聞かせていたところで、祠までの坂道を上ってくる足音が聞こえた。


「孤月様、おはようございます」


 千夜が姿を現した。

 孤月は、すかさず口を開く。


「昨日より三分遅いぞ」

「……はい?」


 千夜はきょとんとした。


「申し訳ありません」


 特に時刻を約束していたわけではないが、あまりにも当然のように指摘されたため、千夜は素直に頭を下げた。


 その様子に気をよくしたのか、孤月は小さく咳払いをして続ける。


「……まあ、よい」


 そして、いかにも寛大な神であるかのように胸を張った。


「俺も鬼ではない。連日のお前の参拝に、とうとう根負けしたのだ」

「と、申しますと……?」

「開墾を許してやってもよい、という心持ちになっている」

「本当ですか!?」


 千夜の顔がぱっと明るくなった。


 その反応を見て、孤月はなぜだか少しばかり得意な気分になったが、すぐに表情を引き締める。


「ただし、まだお前を信用しきったわけではない」

「……はい」

「俺が出す課題をこなしてもらう」


 千夜は一瞬驚いたものの、すぐに背筋を伸ばした。


「承知いたしました。どのような課題でしょうか」

「よい返事だ」


 孤月は満足げに頷いた。

 そして、金色の瞳を細め千夜を見据える。



 祠の周囲を、山から吹き下ろす風が通り抜けた。


「この土地を開けば、豊水の村は豊かになるのか。それとも、かえって滅びることになるのか」


 千夜は黙って耳を傾けた。


「五日で答えを出せ」

「五日……」

「六日目の朝に示してもらおう。できぬのなら、開墾の許しは与えん」


 孤月は、試すように千夜の顔を覗き込んだ。


 無理難題だと思ったのだろう。

 だが、千夜はひるまなかった。


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げる。


「必ず、お答えいたします」


 その迷いのない返事に、孤月はわずかに目を見開いた。



 (__こいつ、本当に分かっているのか?)


 土地を開墾することが、必ずしも村のためになるとは限らない。


 山の木々を失えば、水の流れが変わるかもしれない。田畑を増やしても、十分な水が得られなければ作物は育たない。人手や費用が足りなければ、かえって村を苦しめることにもなる。


 ただ山を切り拓けばよい、という話ではないのだ。

 それを、あの娘は五日で見極めると言った。


 孤月は、千夜の背中を見送った。


「……さて、どこまでやれるものか」


 そう呟いた口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。



*



 村へ戻った千夜は、さっそく紙と筆、算盤を取り出した。


 まずは、豊水村の人口と食糧の必要量を計算する。


 収穫した米のすべてを村人が食べられるわけではない。年貢として納める分に加え、不作に備えて蓄えておく分も考えなければならなかった。


 既存の田から得られる収穫量を踏まえ、不足分を補うために必要な田の広さを割り出していく。


 あくまで、豊水村の暮らしを支えるための目標である。


 導き出した答えは、約四町歩。



 次に千夜は、高台へと登り山々を見渡した。


 どこを切り拓けばよいのか。

 どこに水路を引き、どの森を残すべきなのか。


 村の未来を思い描きながら、開墾予定地の目星をつけていく。


 日中は予定地をくまなく歩き回り、土の深さや石の多さ、水の流れ、川からの距離を調べた。


 木々が生い茂る土地もあれば、雑草が背丈ほどに伸びた土地もある。


 草木がよく育っているからといって、稲作に適しているとは限らない。千夜は土を掘り返し、表面だけでなく、その下の土の状態も確かめた。


 土砂崩れの危険がある斜面にも目を配り、開墾に適さない場所を見極めていく。


 陽が落ちれば、昼間に集めた情報を地図へと書き起こした。


 開墾する場所と、森林として残す場所。


 その境界を明確にし、村人たちが安全に暮らしていける土地の形を設計する。


 調査開始から三日目には、役所へ足を運び、過去の新田開発に関する資料を漁る姿も見られた。


 その熱心な働きぶりに、村人たちも少しずつ心を動かされていく。


 何とか千夜の力になれないものか。


 そう考えた村人たちは、以前、自分たちで作成した開墾予定地の地図を彼女に差し出した。


「以前に儂らが作成した地図じゃ。なんの役にも立たんかもしれんが……」

「……これは」

「ん?」

「いえ、何でもございません。有り難く頂戴いたします」


 千夜は地図を受け取り、深々と頭を下げた。


 村人たちの地図には、開墾できそうな土地が広く描かれていた。それは、村を豊かにしたいという彼らの願いでもある。


 しかし、地形や水源への影響、土砂崩れの危険まで考慮されているわけではない。


 千夜はその地図も参考にしながら、自分の計画を練り直していった。


 こうして五日間、千夜は寸暇(すんか)を惜しんで調査と計算を重ねた。



*



 六日目の朝。


 千夜は自作の地図と、いくつもの資料を抱え、再び孤月の祠へと向かった。


「……久しぶりだな」


 祠に着くなり、孤月が口を開いた。


「はい?五日ぶりですけど?」


 千夜は眉をひそめた。


 五日会わなかっただけで、久しぶりとは大げさではないだろうか。もっとも、そんなことを指摘していては話が進まない。


 千夜は抱えていた資料を下ろした。


「孤月様。こちらの内容をご確認いただけないでしょうか」


 そう言って広げたのは、丁寧に描かれた開墾予定地の地図だった。


 地形や川の位置、土壌の状態、開墾する区域と森林として残す区域。それぞれの場所には、調査で分かったことや、今後確認すべきことが細かく書き添えられている。


 孤月は地図を覗き込み、しばらく黙って目を走らせた。


 やがて、口を開く。


「……四町歩とは、何を根拠に出した数字だ?」

「村人五十名の食糧を賄うために必要な面積です。収穫した米のすべてを村人が食べられるわけではありません。年貢として納める分や不作に備えて蓄える分も考慮しております」


「川から水を引くつもりか。下流に影響は出ないのか?」

「現時点では十分な水量が確保できるか、まだ断言できません。水路を造る前に、季節ごとの水量を調べる必要があります。もう一つの川から水を引く方法も検討しております」


「ここの斜面はどうだ。大雨が降れば土砂が崩れるんじゃないか?」

「その可能性があります。ですので、この一帯は開墾せず森林として残す予定です。その麓に広がる平坦な土地を中心に考えております」


「土は十分に肥えているのか?」

「草木がよく育っておりますし、土の状態も悪くありません。ただ、実際に田として使う前に、もう少し深く掘って確かめる必要があります」


 孤月は次々と問いを投げかけた。


 千夜は一つ一つ、落ち着いて答えていく。


 分からないことを無理に取り繕うこともなければ、根拠のない自信で押し通すこともない。


 調査が足りない部分については、正直にそう伝えたうえで今後どのように調べるつもりなのかを説明した。


 やがて千夜は、持参した資料の一つを広げた。


「こちらは、近年、新田開発が行われた土地の資料です」

「ほう?」

「開墾前の地形や土壌の状態、開墾後に生じた問題などが記録されています。これらを参考に、開墾した後も村人が安心して暮らせる土地にしていきたいと考えております」


 成功した事例だけではない。


 開墾後に水不足が起きた土地。

 土砂崩れに悩まされた土地。

 田畑を増やしたものの、維持する人手が足りず、かえって村人を苦しめた土地。


 千夜は、そうした失敗からも学ぼうとしていたのだ。


 孤月は、再び地図へ目を落とした。


 (__なるほど)


 彼は、千夜が持参した地図と、以前に村人たちが作成した地図を思い浮かべていた。


 以前の地図には、村の人口に対してあまりにも広大な開墾予定地が描かれていた。


 山の地形も、土砂崩れの危険も、周辺の水源への影響も、ほとんど考慮されていなかった。


 ただ山を切り拓き、田畑を増やせばよい。そんな考えで作られた計画だった。

 これでは、開墾を許すわけにはいかない。

 土地神として、村人の暮らしを守るためにも__。



「……現実的だな」


 孤月は、ぽつりと呟く。


 千夜は、ほっとしたような顔をした。


「村人たちは、あなた様を誤解しているようです」

「……何?」

「ただ偉そうで、子供の姿をした生意気な神様だとでも思っているのでしょう」

「おい。今、なんと言った?」


 千夜はくすりと笑った。


「ですが、私はそうは思いません」


 孤月が口を閉ざす。

 千夜は、まっすぐ彼を見つめた。


「この土地を守るお方として、当然のことをなさっているのだと思います。村人たちの暮らしだけでなく、近隣の村や自然のことまで考えておられるのですから」


 そして、あの柔らかな笑顔を浮かべた。


「さすが、この地を守るお方ですね」


 孤月の心臓が、またしても跳ねた。


 __また、これだ。

 あの笑顔を向けられると、どうにも調子が狂う。


 孤月は思わず顔を背けた。


「……ふん。これくらい、神ならば当然だ」

「はい。頼もしい限りです」

「……っ!」


 千夜は、何事もなかったかのように資料を片づけ始めた。


 その様子を横目で見ながら、孤月は自分の胸元をそっと押さえた。


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