第五話 兆し
次の日も、その次の日も、千夜は祠へ足を運んだ。
雨風の強い日も、雲ひとつない晴天の日も、変わることなく毎朝やって来る。
「また来たのか」
そして、開墾の許しを願い出るのかと思いきや、そうでもなかった。
「孤月様、今日は私の話を聞いていただけますか?」
「……好きにしろ」
初めのうち、孤月はまともに取り合わなかった。
千夜が話しかけても、相槌すら打たず尻尾を揺らして寝そべっていることもあった。
それでも千夜は気にしない。
「私は十九です。親はおらず、孤児として寺子屋で育ちました」
「……ふうん」
「そこで素晴らしい先生に出会いまして。先生は読み書き計算だけでなく、音楽の楽しさも私に教えてくださいました」
「……へぇ」
「その先生の勧めで役所勤めを志したのです。今の役所に勤め始めて半年ほどになります」
「……そうか」
「そうそう、同期の男の手首を捻り上げてしまったこともありました」
ぴくり、と孤月の耳が動く。
「……何をした?」
「その男、私の背後から近づいてきまして。妙な手つきで肩から腕にかけて触れようとしてきたのです」
「それで?」
「何やら不穏な気配を感じまして、咄嗟に手首を捻ってしまいました」
千夜は、何でもないことのように続けた。
「驚いたとはいえ、少々やりすぎたかもしれませんね。随分と痛がっておりましたから」
「…………」
孤月は、呆れたように千夜を見つめた。
「お前……本当に女だよな?」
「はい?」
「いや、なんでもない」
千夜の話は尽きなかった。
孤児として育ったこと。
寺子屋の先生に教わったこと。
役人になってからの仕事のこと。
そして、村を豊かにしたいという想い。
初めこそ聞き流していた孤月だったが、いつしか千夜の話に耳を傾けるようになっていた。
目の前の娘は、ただ頑固なだけではない。
自分の考えをしっかり持ち、頭の回転も速いようだ。何より神を前にしても臆するところがない。
人間とは、神の前では畏れおののき、頭を垂れるものだと思っていた。
しかし、この娘は近所の知り合いを前にしているかのように遠慮なく言葉を投げかけてくる。
「孤月様は、いつからこちらにいらっしゃるのですか?」
「……さあな。人間の暦など、とうに忘れた」
「では、村の人々をどう思われますか?」
「どうもこうもない」
「人間そのものは?」
「質問が多いぞ、お前は」
「気になりまして」
千夜は悪びれもせずに答えた。
「では、孤月様は私のことをどう思われますか?」
「……お前のこと?」
「はい」
孤月は、じろりと千夜を見た。
「図々しく、遠慮がなく、鈍感な娘だ」
「なるほど」
「なるほど、ではない!」
千夜はくすりと笑った。
そんな調子で幾日も過ぎていった。
そして、ある日のこと。
ついに根負けした孤月が、千夜に問いかけた。
「お前、連日ここへ来ては世間話ばかりして帰っていくが……開墾の許しを得たいのではなかったのか?」
「もちろん、そのつもりです」
「ならば、なぜ毎度毎度、関係のない話ばかりする?」
千夜は不思議そうに首を傾げた。
「寺子屋の先生が、人は話し合えば分かり合えると教えてくださいましたので」
「……それで、今まで世間話を?」
「はい。私がどういう人間なのか、孤月様に知っていただきたかったのです。それに……」
千夜は、孤月の顔をまっすぐ見つめた。
「私も、孤月様のことを知りたかったので」
孤月は、ぽかんと口を開けた。
やがて呆れたようにため息をつく。
「……お前は、本当に妙なことを言うな」
「そうでしょうか?」
「そもそも俺は豊作を司る神だ。人間ではないのだぞ?」
「〝豊作〟ですか」
「そうだ」
「……どうりで」
「何がだ?」
千夜はふと、風に揺れる稲穂が、陽の光を受けて黄金色に輝く美しい風景を想像した。
「田園に実る稲穂の美しさと、孤月様の金色の姿は、どこか似ています。きっと、豊かな実りをもたらしてくださる頼もしい神様なのですね」
そして、ふわりと微笑んだ。
いつもは凛々しく、どこか男勝りな印象を与える千夜の顔が、そのときばかりは驚くほど柔らかく見えた。
「!」
孤月は、思わず言葉を失った。
胸の奥が、ほんのわずかに跳ねる。
__なんだ、今のは。
千夜は何事もなかったかのように、また別の話を始めていた。
孤月はその横顔を眺めながら、なぜだか先ほどの笑顔が頭から離れなかった。




