第四話 出逢い
その頃の孤月は、まだ立派な神社を持つほどの存在ではなかった。
村の外れにある小さな祠に棲まい、土地神として細々と信仰されているにすぎない。
それでも、村人たちにとっては大切な神様である。
土地神には、作物がよく実るよう天候を司り、災害から土地を守る不思議な力が宿るとされていた。
ゆえに、神の許しなく山を切り拓けば、土地神の機嫌を損ねることになりかねない。
せっかく汗水垂らして田畑を増やしたところで、神が臍を曲げ、作物が実らなくなってしまえば元も子もないということだ。
新田開発を進めるには、まず土地神の許しを得ることが鉄則であった。
「くれぐれも失礼のないように頼みますぞ」
村長に念を押された千夜は、身支度を整えると神の祠へと向かった。
*
祠は、集落の外れにあった。
人々が行き交い、土が固く踏みしめられた道の突き当たり。一メートルほどの斜面を登ると、木々に囲まれた小さな平地に出る。
その中央に、ぽつんと佇む古びた祠があった。
高さは三十センチほどだろうか。大人が膝をつけば、ちょうど目線が合うほどの大きさだった。
長い年月を経た木肌は黒ずみ、屋根を覆う薄い苔が生えている。木々の間から差し込む木漏れ日が、祠を神秘的に照らしていた。
辺りは静けさに満ちており、木々が揺れる音や鳥の鳴き声が聞こえるばかりだった。
「初めてお目にかかります。千夜と申します。此度の新田開発につき、許しをいただきたく参上いたしました」
千夜は祠の前で膝をつき、丁寧に頭を下げた。
すると、祠の奥から不機嫌そうな声が返ってくる。
「何度来ようと、俺の答えは変わらんぞ」
千夜は頭を下げたまま、黙っていた。
「………」
「まったく、あの村長め。今度は若い娘を寄越したか」
声の主は、面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「ほれ、顔を見せてみろ」
千夜は顔を上げた。
祠の上に腰掛けていたのは、金色の髪と瞳を持つ少年。
辺りに人の気配などなかったはずなのに、いつの間に現れたのか、千夜はわずかに目を見開いた。
頭には狐の耳が生え、背後ではふさふさとした尻尾が揺れている。神々しいというより、どこか生意気そうな顔つきであった。
千夜はしばらく、その姿をじっと見つめた。
「……」
「なんだ?」
「……いえ」
「言いたいことがあるなら言え」
偉そうな孤月を前に千夜は少しだけ考えた。
そして、あっさりと口を開く。
「随分、小さいな、と」
「…………は?」
孤月の笑みがぴたりと止まり、口角を上げたままヒクついた。
小、さ、い……???
脳内に、その一言が駆け巡る。
ほんの数秒の間に、孤月は遠い昔の記憶を呼び起こしていた。
まだ神として祀られる前、妖怪と呼ばれていた頃のことだ。
鴉天狗に雪女、エトセトラ……それらの妖怪たちに幾度となく浴びせられた言葉だった。
『ホホホ、なんと小さく愛らしい小狐だ』
神格化されてからというもの、馬鹿にした態度を取る奴らは随分少なくなってきた。
それなのに、久々に言い渡されたその言葉はどうにも聞き捨てならない。
しかも、相手は人間である。
「ハッ……!」
孤月の意識が、ようやく現実に戻ってきた。
目の前には、涼しい顔をした娘が一人。
「……」
次の瞬間、孤月は額にピキリと青筋を立て、その頬はみるみる赤く染まっていった。
「な、なんと不敬な娘だ!貴様、この俺に向かって……!」
「言いたいことがあるなら言え、と仰ったので」
千夜は、地雷を踏んだことに気づいていない。
「事実を申し上げたまでですが?」
孤月はわなわなと震えた。
孤月の見た目は、せいぜい十六ほど。
普段、年配の役人たちを相手にしている千夜には、あまりにも幼く映ったのである。
つい、思ったことが口をついて出てしまった。
「貴様、自分が誰に向かって口を利いているのか分かっているのか!」
「神様ですよね?」
悪びれる様子もない。
その落ち着き払った態度が、孤月の怒りにますます火をつけた。
「気分を害した!帰れ!」
「承知いたしました」
千夜はすっと立ち上がり、衣服の裾を払った。
そして、祠に向かって一礼する。
「では、また明日参ります」
「……は?」
「明日も、その次の日も。許しをいただけるまで参りますので」
「待て!誰が来てよいと言った!」
孤月の怒声を背に、千夜は帰路へと歩き出した。
残された孤月は、しばらく呆然とその背中を見送っていたが、不意に千夜が振り返る。
「孤月様」
「なんだ!」
「背は、これから伸びるかもしれませんよ」
「貴様ぁぁぁっ!!」
静かな山の中に、神様の怒鳴り声が響き渡った。




