第三話 千夜
瑞穂には、目の前の少年が本当に神様なのか、俄かには信じがたかった。
しかし、
(九尾?玉藻前?そんな妖怪がいたような……)
瑞穂は、立ち尽くして頭の中の記憶を探った。
霊感なんてものは皆無だったが、実は幼い頃から妖怪の類いが大好きだったのだ。
そう思うと、戸惑いよりも好奇心の方がむくむくと湧き上がってくる。
瑞穂は孤月と名乗った少年を、頭のてっぺんから足元まで、もう一度まじまじと眺めた。
(……お母ちゃんは、こういう顔の人と結婚してほしいんだろうな)
整った顔立ちに、金色の髪と瞳。
和服もよく似合っている。
顔は、文句なしに美しい。
(でも、ちょっとチビかも……)
「おい」
「……はい?」
「お前、今、失礼なことを考えただろ」
「えっ!?いや、別にっ!」
思わず声が裏返った。まさか、心を読まれたのだろうか。
瑞穂がぎくりとしていると、孤月はますます不機嫌そうに眉を寄せた。
「……まあいい。ほら、これを見てみろ」
そう言って、境内の一角を指差す。
そこには、古びた石碑が祀られていた。
瑞穂は首を傾げながら近づき、表面に刻まれた文字を目で追った。長い年月のせいか、文字はひどく読みづらいがどうにか判読できる。
『延享……三年……豊水……開墾…之…祖……』
「開墾の祖……?」
その横には、複数の人名が刻まれている。
何気なく目を滑らせた瑞穂は、先頭に記された名前に、はっと息をのんだ。
『稲守……千夜』
「……えっ。稲守、千夜……!?」
「稲守家の初代。お前の先祖だ」
孤月は、さも当然というように答えた。
「こ、こんなところに、どうしてうちの先祖の名前が……?」
「お前、本家の跡取りのくせに、何も知らないんだな」
孤月は呆れたように鼻を鳴らした。
確かに、祖父から本家の歴史について詳しく聞いたことはない。けれど、まさか自分の先祖の名前が、こんな古い石碑に刻まれているなんて。
瑞穂は改めて石碑を見つめた。
「……私のご先祖様って、何をした人なんですか?」
訝しげに眉をひそめる瑞穂を見て、孤月は突然、愉快そうに笑い出した。
「ふはははっ!先ほどからその顔、千夜にそっくりだ!」
「……そればっかりですね」
「事実だからな」
孤月は笑いを収めると、金色の瞳で瑞穂を見下ろした。
「教えてやってもいい」
その言葉に、瑞穂の心が躍った。
ただの農家だったはずの自分の家が、どうして十代も続いているのか。
先祖は、どんな人だったのか。
そして、この石碑と目の前の神様には、どんな関係があるのか。
聞きたいことは、いくらでもあった。
瑞穂は少し迷ったあと、こくりと頷いた。
「……聞かせてください」
孤月は満足そうに口元を緩めた。
そして、遠い昔を懐かしむように、静かに目を細めた。
「……あれは、今から何百年も昔のことだ」
先ほどまでのからかうような声とは違う、穏やかな響きだった。
*
延享三年、江戸時代中期。
幕府の統治のもと、各地の藩が領内の土地や租税を管理していた時代。
人々の暮らしが安定していく一方で、人口の増加に伴い、各地で食糧不足が問題となり始めていた。
〝豊水村〟も例外ではなかった。
村の人口は年々増え、既存の田畑だけでは、村人たちの食糧を賄いきれなくなっていた。
そして、追い打ちをかけるように不作や冷害が続いた。村に蓄えていた米も底をつきかけている。
「このままでは村が飢饉に陥る。そうなれば食糧を求めて近隣の村と争いが起きるやもしれぬ」
藩は、豊水村から救済を求められたものの、各地で起こる食糧不足に十分な援助を行うほどの余剰米はなく頭を悩ませていた。
そこで打ち出されたのが〝新田開発〟だった。
既存の土地だけに頼らず、山林を開墾して耕作地を増やす。それが、窮状を打開するための策であった。
そして、豊水村の責任者に任命されたのは一人の若い女性だった。
「千夜。お主を豊水村の新田開発責任者に任命する」
「はい。謹んでお受けいたします」
千夜は迷いなく返事をすると、藩の役人たちに一礼した。
その眼差しには、これから始まる仕事への意気込みが満ちていた。
千夜、齢十九。
女性にしては凛々しい顔立ちで、男顔負けの根性を持つ。
頭の回転が速く、責任感も強い。
その才覚を認められ、若くして役人に取り立てられた異例の存在であった。
しかし、男ばかりの藩の中で、若い娘が自分たちと同じ立場にいることを快く思わない者も少なくなかった。
女のくせに生意気だ。
若いくせに偉そうだ。
そんな陰口を叩く者たちは、千夜の優秀さを認めるどころか、どうにかして彼女を遠ざけようと考えていた。
そして、ようやく見つけた口実が新田開発である。
人手も資金も十分でないのは元より、土地神が開墾を許さないという厄介な土地。
成功の見込みが薄い仕事を、若い千夜に一任する。
失敗すれば、やはり女には務まらなかったと笑えばいい。
そんな思惑があったのだが、この若き娘が、やがて豊水村の未来を大きく変えることになるとは彼らは知る由もなかった。
*
豊水村に到着した千夜は、村人たちを前に一礼し、意思の強い瞳を向けた。
「私が藩より任命された、千夜です。此度の新田開発を任されました。よろしく頼みます」
きっぱりとした口調に、集まった村人たちは目を丸くした。
若い娘が来るとは聞いていたが、まさかこれほど堂々とした人物だとは思っていなかったのだ。
やがて、村人たちの中から一人の老人が歩み出た。豊水村の村長である。
「これはこれは、千夜さん。遠いところをよう来てくれたねぇ。あんたさんと一緒に、この土地を豊かにできたら儂らも安心じゃ」
「ええ。必ずや、皆が安心して暮らせる村にしてみせます」
千夜は力強く答えた。
「それでは早速、開墾の手順について相談したいと思うのですが、よろしいですか?」
すると、村長は途端に困ったような顔をした。
「……千夜さん。実は、その前に一つ、厄介な問題がありましてな」
「厄介な問題?」
「この土地の神様のことなんじゃ」
千夜は、きょとんと目を瞬かせた。
「土地神?」
「そう。儂らも何度かお願いに行ったんじゃが、どうにも首を縦に振ってくださらん」
村長は、山の方へと目を向けた。
深い木々に覆われた山の奥には、古くから村人たちが信仰してきた神社がある。
「あの神様に開墾を許していただかんことには、話が進まんのです」
「なるほど。つまり、その神様に許しをいただけばよいのですね?」
「ま、まあ……そういうことになりますな」
村長は歯切れ悪く答えた。
何度頼んでも聞き入れてもらえなかった相手だ。そう簡単に話が通るとは思えない。
しかし、千夜は少しもひるまなかった。
「分かりました。では、まずはその神様にお会いしてきます」
そう言うと、さっそく神社へ向かおうとする。
「千夜さん、あの神様は一筋縄ではいかんお方で……」
「大丈夫です。話せば分かってくださるでしょう」
村長の心配をよそに、千夜は晴れやかな笑顔を浮かべた。
こうして彼女は、豊水村の行く末を左右する土地神のもとへと向かうことになった。




