第二話 孤月
墓参りを終えた翌週のこと。
瑞穂は車を走らせ、祖父母の家の近くにある神社へと向かった。
毎年、大晦日の夜には必ず訪れている場所だが、夏に来るのは初めてだった。
鳥居をくぐり、石段をゆっくりと登っていく。
大晦日に訪れるときは、雪で足元が滑らないよう下ばかり見て歩いていたため、こうして周囲を眺めながら登るのは初めてのような気がする。
頭上には、眩しいほどの深緑が広がっていた。
木々の葉が風に揺れ、さわさわと音を立てている。
石段の途中には木陰ができており、吹き抜ける風が心地よかった。
(へえ……夏の神社って、こんなに気持ちいいんだ)
思わず深呼吸をする。
大晦日の雪に覆われた景色も嫌いではない。けれど、夏のこの場所にはまた違った趣があった。
やがて、石段を登りきると目の前に境内が広がる。
「……誰もいないなぁ」
静かな様子に、思わず独り言が漏れてしまった。
大晦日に来るときは遠くで除夜の鐘が響き、もっと人で賑わっている。
境内の前では、不要になる破魔の矢などがお焚き上げされたり、神社の中へ入ると御神酒やスルメを振る舞ってもらったり、そうして年の瀬の挨拶を交わすのだ。
家に着く頃には、いつの間にか年が明けているという毎年の恒例行事だった。
考えてみれば、瑞穂はあれが何という行事なのかもよく分かっていない。
初詣とは少し違う。
かといって、ほかに何と呼べばいいのかも知らない。
(まあ、いっか)
今さら気にしても仕方がない。せっかくここまで来たのだから、お参りだけして帰ろう。
賽銭箱の前に立ち、小銭を投げ入れた。
ガラガラ、と鈴を鳴らす。
二礼、二拍手。
そして、目を閉じて手を合わせた。
……さて。
何をお願いしよう。
仕事のこと?
健康のこと?
それとも、恋愛?
しばらく考えたものの、これといって具体的な願いは浮かばなかった。
瑞穂は、今のところ結婚するつもりはないが、一生独身でいたいと決めているわけでもない。
ただ、とりあえず楽しい人生を送りたい。
それだけだった。
(結婚しても、独身でいても、楽しい人生を送れますように)
心の中でそう願い、瑞穂は目を開けた。
「……よし」
お参りも済んだことだし、帰ろう。
そう思って境内に背を向けた、その時だった。
「お前、稲守家の娘か」
不意に、声がした。
「……え?」
瑞穂は、思わず立ち止まった。
聞き間違いではない。確かに、誰かが話しかけた。
声のした方へ顔を向ける。
すると、
「…………えっ?」
瑞穂は思わず、目を見開いた。
鳥居の上に、人影が見える。人が一人、鳥居の上に腰掛けているのだ。
(いや、待って)
危ないなんてもんじゃない。いったい、どうやってあんなところに登ったのだろう。
逆光になっているせいで、顔まではよく見えなかった。
「……何で、私の名字を知ってるんですか?」
危ないですよ、と声をかけようとしたものの、そんな言葉はすっかり頭から抜け落ちてしまった。
初対面のはずなのに、なぜ瑞穂の名字を知っているのだろう。
それに〝稲守家の娘〟と言った。
瑞穂個人ではなく、家のことを知っているような口ぶりだった。
「眉間の辺りがそっくりだ」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
(眉間?何それ、意味が分からない……)
瑞穂が眉間にしわを寄せた、その瞬間。
鳥居の上にいた人影が、ひらりと飛び降りた。
「えっ、ちょっ……!」
普通なら、着地したときに大きな音がするはずだ。けれど、その人物は、まるで地面に吸い寄せられるように音もなく降り立った。
そして、何事もなかったかのように、こちらへ歩いてくる。
(……近いんだけど)
思っていたより、ずっと若い。
いや、若いというより。
(……少年?)
目の前に立ったのは、息を呑むほど綺麗な顔立ちの少年だった。
年齢は、十六歳くらいだろうか。
透き通るような白い肌に、すっと通った鼻筋。整った顔立ちに、どこか人を食ったような笑みが浮かんでいる。
そして、何より目を引いたのは、その髪と瞳だった。
どちらも、鮮やかな金色。
日の光を受けた髪は、まるで本物の金糸のように輝いていた。
身にまとっているのは、現代ではまず見かけない和服。
それだけなら、何かの撮影か、変わった趣味の人なのだと思ったかもしれない。
けれど、
「…………」
瑞穂は、少年の頭を見た。
ふさり、と揺れるものがある。
狐の耳だった。
視線を下げる。
着物の後ろから、ふわふわとした金色の尻尾が覗いていた。
(え?ええ??ちょっと待って。狐の耳?尻尾?………ああ、コスプレか。いや、でも、さっき鳥居から飛び降りたよね?しかも、音もしなかったよね?)
頭の中で、いくつもの疑問が渦巻く。
瑞穂が言葉を失っていると、少年はそれを見透かしたかのように口元を吊り上げた。
「俺は、この神社の神。孤月だ」
「…………」
瑞穂は固まったまま、少年__孤月を見つめた。
「どうした。神に会うのは初めてか?」
(……いや)
初めてに決まっている。
そもそも、神様って本当にいるのか。
狐の耳と尻尾が生えた、金髪の美少年が。
しかも、自分から神様だと名乗っている。
「…………」
瑞穂は、そっと一歩、後ずさった。
「おい。何故、離れる」
「いや……だって」
「だって、何だ」
「……警察、呼んだ方がいいのかなって」
「けいさつ?」
孤月は、きょとんとした。
そして、次の瞬間。
「はははははっ!」
境内に、少年の豪快な笑い声が響き渡った。
「なるほど!お前、なかなか面白い女だな!」
「え、何?何が面白いの?」
「神を見て、警察を呼ぼうとする人間がどこにいる!」
「ここにいるけど!?」
瑞穂が思わず言い返すと、孤月はますます楽しそうに笑った。
(……何なの、この人。いや、人なのか?)
改めて、目の前の少年を見上げた。
金色の髪、金色の瞳、狐の耳に、尻尾。
そして、自分を神だと言い張る、奇妙な少年。
「……お前、下の名は何という?」
孤月が、ふいに尋ねた。
「瑞穂ですけど……」
「瑞穂か」
孤月は、まるで遠い昔の誰かを思い出すように瑞穂の顔をじっと見つめた。
「なるほど。確かに、よく似ている」
「……誰に?」
尋ねると、孤月は意味ありげに笑った。
「お前の先祖だ」
その一言に、瑞穂は思わず眉をひそめた。
「……先祖?」
「ああ。初代の千夜にな」
孤月は、懐かしむように目を細めた。




