第一話 本家の十代目
毎年、お盆になると、私は先祖代々の墓参りに連れて行かれる。
祖父母が暮らすのは、冬になれば雪に深く埋もれる土地にある〝本家〟と呼ばれる古い家だ。
代々受け継がれている本家があるのにも関わらず、私の父は通勤の利便性を考え、そこから車で三十分ほど離れた市街地に新しい家を建ててしまった。
核家族化が進む現代では、珍しい話ではない。
私としても家が建ったばかりの頃は、自分の部屋ができたことが嬉しくて仕方なかった。
あれから十年。社会人になった今では、ふと考えてしまう。
祖父母が暮らす、あの広い家や田畑はどうなるのだろう。
いずれは父母が受け継ぎ、移り住むのだろうか。
父の次は、私の番だろうか。
だとしたら、私の次はどうするべきなのか。
考え始めると、きりがない。
そもそも、私はそんな未来を望んでいるのかどうかも分からない。
「瑞穂、今日はおばあちゃん家に行くからね。涼しい格好して行った方がいいよ」
母の声に、ぼんやりしていた意識が引き戻された。
八月も半ばだというのに、暑さは一向に和らぐ気配がない。私は適当に返事をしながら、出かける支度を整えた。
(今年の冬は、大雪かもなぁ……)
そんなことを考えつつ、車に乗り込む。
毎年繰り返される、いつもと変わらないお盆の始まりだった。
*
「ほら、みず。茶ぁ飲め」
祖父母の家に着くと、決まって祖母が熱いお茶を勧めてくる。
「ありがとう」
湯呑みを受け取りながら、私は少しだけ顔をしかめた。
この暑さの中で熱いお茶。しかも、これから墓参りに行くというのに。
(飲みすぎると、またトイレに行きたくなるんだよなぁ……)
そう思いつつも、祖母がせっかく淹れてくれたお茶を断ることはできなかった。
「今日、おじいちゃんはいないの?」
「町内会の集まりに行ったが。もう帰ぇるて」
祖母はそう言って、台所へと戻っていった。
それから十分ほど経った頃に、玄関の方から足音が聞こえてきた。
「みずちゃん、来てたか」
帰ってきた祖父の頬は、ほんのりと赤い。
「あれ、おじいちゃん、お酒飲んでるね」
「乾杯の音頭を頼まれてなぁ。断れんかったんよ」
祖父は照れくさそうに笑いながら、居間へと上がり込んだ。
祖父は現役時代、この辺りの会社で社長を務めながら田んぼも耕していた。いわゆる兼業農家というやつだ。
会社の付き合いも多かったらしく、町内の集まりや来客も珍しくなかったという。祖母が来客の気配を察すると、すぐさまお茶を用意するのも長年の習慣なのだろう。
「偉そうにして、いい気になってんじゃねぇて!」
「偉そうになんかしてねぇよ!」
祖父が腰を下ろした途端、祖母との小競り合いが始まった。
祖父のこの寛大な態度は、生まれつきの人柄でもあるだろうが、祖母がこうやって背筋を正してきたからなのだろうと察せるものがある。
「まったく、あんたは昔っから……」
「そういや、今年の田んぼはよぉ」
五秒後には、何事もなかったかのように別の話題で盛り上がっている。
(……仲がいいんだか、悪いんだか)
私は湯呑みを傾けながら、こっそり笑った。
小さい頃から、何度も見てきた光景だ。この家に来ると、いつも時間がゆっくり流れているような気がする。
市街地の家とは違う、古い木の匂い。
静かな空気。
裏庭の向こうに広がる緑一面の田んぼ。
何も変わらないように見えるこの場所も、いつかは変わってしまうのだろうか。
そんなことを考えていた、その時だった。
「ところで、みずちゃん」
祖父が、思い出したようにこちらを向いた。
「町内会で勧められたんだけどな。今度、会ってみんか?」
(げっ……!)
私は危うく、お茶を吹き出しそうになった。
「松下さんとこの次男坊かね。この間、家に来たっけねぇ」
祖母まで、当然のように話に加わる。
「はっきりして、いいせがれだったてぇ!」
「ハハ……」
私は引きつった笑みを浮かべた。
祖父母のことは好きだ。
幼い頃、両親が忙しいときにはよく預けられ、二人には大切に育ててもらった。そのことには、今でも感謝している。
けれどそれとこれとは、話が別だ!
「仕事が始まったばかりで忙しいからさぁ。ねぇ?」
私は母に助けを求めるように視線を向けた。
「今どき、お見合いなんてしないんじゃない?」
母が、すかさず口を挟んでくれた。
「まあ、社会人になったばかりだしね。瑞穂にも、これからいい出会いがあるでしょ」
ありがたい。さすがは母。
父とは高校の同級生で、自然な縁から結婚した人だ。きっと、自分の娘にも同じように、好きになった人と自然に出会い、恋をして、結婚してほしいと思っているのだろう。
……それに、母は男性アイドルが大好きだ。
(イケメンの〝息子〟がほしいと思ってるんだろうな……)
そんなことを考えていると、隣に座る父と目が合う。
父は何も言わない。昔からそうだ。
積極的に口を出すわけでもなく、かといって無関心なわけでもない。
成り行きを見守り、最後は本人に任せる。今回も、そういうことなのだろう。
結局、祖父母の勧めるお見合い話は、ひとまず保留ということになり、私は内心ほっと胸をなで下ろした。
こうした話は今回が初めてではない。
祖父母には会うたび、将来の結婚について聞かれるし、両親にも私が当然のように結婚して子供を産むものだと思われている。
それに悪気がないことは分かっている。むしろ、私の将来を心配し幸せを願ってくれている。
しかし、理由はそれだけではないだろう。
私は、この家の本家に生まれた一人娘だ。
代々受け継がれてきた家や土地、そして途切れることなく続いてきた名字を、次の世代へと繋ぐ役割があるのだという。
それが、周囲の人たちにとっては当たり前の未来なのだ。
けれど、私にはどうしても、その役割が当たり前だとは思えない。令和のこのご時世、そこまでして家を守らなければならないのだろうか。
一生、独身を貫く人だっているのに。
私はまだ、誰かと一生を共にしたいと思ったことがない。
それならば、無理に結婚する必要なんてないとも思える。
私の人生は自由であるべきだ!
そう考えているはずなのに。
祖父母の家を見渡すと、胸の奥に小さな引っかかりが残る。
代々続いてきたものを、自分の代で終わらせてもいいのだろうか。
答えは、まだ出ない。
*
その日の墓参りを終えた帰り道。
墓地へ続く道路を歩きながら、私はふと、さらにその先へと続く方に目を向けた。
墓地のある道路を少し奥へ進むと、木々の間から古びた鳥居が見える。
その先には、幼い頃から何度も参拝してきた神社があった。
大晦日の夜、年が明ける少し前。家族に連れられて、毎年のように足を運んできた場所だ。
石段の先に、雪が降り積もり白く染まった境内を思い出す。
あの神社は、いつからそこにあるのだろう。
誰が建てたのだろう。
そして、どうして私たちの家は毎年あそこへ参拝するのだろう。
今まで、一度も考えたことがなかった。
「……来週、行ってみようかな」
誰に聞かせるでもなく、私は小さく呟いた。
そのときはまだ、知らなかった。
あの神社に祀られている神様が、私の人生を大きく変えることになるなんて。




