第二十二話 香り
夜、行灯の火が二人の影を壁に揺らしていた。
千夜はその明かりの下で、広げた紙に筆を走らせている。
「……まだ寝ないのか」
孤月が背後から声をかけた。
「……神社の外観を考えているのです。もう少し厳かな感じにしたいのですが、難しいですね」
千夜はここ数日、毎夜のように、開墾の許しを得た際に約束した神社の設計に取り組んでいた。今夜もまた筆を走らせているのが気になり、孤月は様子を見に来たのだった。
「どれどれ」
彼女の手元を覗き込むと、思っていたよりも華美な装飾の建物が描かれており思わず苦笑いした。
「……もっと質素でいいよ」
「そうでしたか?では、この辺をさっぱりさせて……」
千夜は、筆をサラサラと走らせた。
神社の〝条件〟を出したのは自分なのだが、特殊な建造物の設計も自身で行おうとしていることに孤月は驚いた。
「大工に設計も任せたらいいんじゃないか?」
「まぁ、そうなんですけど……っくしゅん!」
千夜は、言いかけてくしゃみをした。
冬の本番が近づき、朝夕だいぶ冷えるようになってきたところだった。
孤月は、部屋の隅に畳んであった毛布を引っ張り出し、そっと千夜の背中に掛けてやる。
「風邪ひくぞ」
「ありがとうございます」
千夜は礼を言うと、一旦筆を置き、毛布に包まり込んだ。
「……孤月様も入りますか?」
「うーん……」
孤月は少し考えたが、毛布に包まっていてもまだ千夜が寒そうにしているのを見て、とりあえず隣に腰掛けた。
「神社のことですが、来年の雪解けから建設を始めたいと思うのです」
「おう」
「本当は、開墾や村の手伝いと並行して年末までに完成させたかったのですが……」
「いや、それは詰め込みすぎだろ。いいよ、ゆっくりで」
孤月は、普段より優しい口調で千夜を宥めた。
それが伝わったのか千夜は嬉しそうに微笑む。
「私がやりたいのです、あなたのために」
千夜は鼻の頭を赤くして、孤月に言い切った。
その姿が、孤月の心臓を鷲掴み、どうしようもなく愛おしくなって、思わず千夜を抱き締めてしまった。
「……あ。すまん、つい」
一応、謝罪を入れたが、身体は千夜を抱き締めたまま離そうとはしなかった。
「ふふ、温かい、ありがとうございます」
千夜は、孤月の体温を感じて素直に身を預けており、ますます手を離したくなくなった。
「孤月様は、いい香りがいたしますね」
千夜は、孤月の首元に顔を寄せ、そっと息を吸い込んだ。
木々を思わせる清々しさの中に、ほのかな甘さがある。どこか懐かしく、心が安らぐような香りだった。
「……お前も、なんかいい匂いがする」
孤月は千夜の髪に鼻先が触れそうな距離で、ぼそりと答えた。
「ああ、それは宗一さんが香を焚いてくださったからでしょうか」
千夜の言葉に、孤月の動きがピタリと止まる。
「……宗一?」
孤月は千夜の身体をそっと引き離し、先ほどよりも低い声色で続けた。
「お前、今いい雰囲気だっただろうが」
「?……いい雰囲気とは、どんな雰囲気ですか?」
千夜は不思議そうな顔をしており、それがどうにも憎く感じた。
「こういう雰囲気だ」
孤月は千夜の顔を覗き込み、そのままそっと押し倒した。
「……あっ」
千夜は、いきなり視界が反転したので呆気に取られていた。
孤月は、その様子をじっと窺ってみる。
千夜は天井を見上げたまま、孤月とは目を合わせず、代わりにブワワッと赤くなっていった。
「す、すみません……夫婦の、ということですね……」
顔を真っ赤に、目をグルグルさせている千夜。
〝夫婦〟という言葉に、孤月の機嫌は少し戻った。
(宗一は、こういう千夜を知らないだろう)
そして、千夜を戸惑わせているのは自分かと思うと優越感にも浸ることができた。
やっと千夜と目線が合い、孤月はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「なんですか、その顔」
孤月は答えず、千夜の目をじっと見つめた。
やがて、その視線がゆっくりと彼女の唇へ落ちる。
「口づけていいか?」
「…………へっ!?」
孤月は、ニヤニヤ笑いながら千夜に近づいた。
本気でするつもりはないのだが、千夜の反応が可愛く、もう少し苛めてやろうと思ったのだ。
孤月は艶っぽい表情を見せて、千夜の口元を指でなぞった。
「あ、えっと……その……っ」
千夜は、特に抵抗することなく、池の鯉のように口をパクパクさせ身体を硬直してしまった。
その様子に、そろそろ観念してやろうと、孤月はいつもの調子に戻してやった。
「お前なぁ、嫌なら抵抗しろよ!」
千夜もゆっくりと動き出し、真っ赤な顔を毛布で隠した。
「……嫌ではないのですが、恥ずかしくて」
「…………」
孤月は、唖然とした。
__嫌、では、ない……???
この言葉が脳内を駆け巡った。
「え、お前、嫌ではないのか?」
「……ハイ」
再び顔を隠して、小さく頷く千夜。
今度は、孤月が真顔のまま硬直してしまった。
やがて、黙りこくる孤月を確認しようと、千夜は毛布の隙間から目元だけちらりと覗かせた。
「はぁ〜〜〜〜〜」
そして、孤月は長い溜め息を吐いたかと思えば、ゆっくり起き上がり、千夜も優しく起こしてやった。
「……孤月様?」
「お前の気持ちはよく分かった。明日も早いんだから、もう寝ろ。俺も寝るから」
「?……はい、おやすみ、なさい……?」
「おやすみ」
千夜は頭上に〝?〟を浮かべ、孤月を見送った。
一方、孤月は部屋を出た途端、その場にしゃがみ込んでしまった。
『……嫌ではないのですが、』
よく我慢できたと、自分を褒めてやりたかった。




