第十九話 助っ人
水路の工事に向けた準備を進めて十日ほどが経った頃、藩から派遣された八十名の人足が豊水村へ到着した。
その一団を率いる男は、千夜の姿を認めるなり鼻で笑った。
「田舎に追いやられたお前の手伝いに来ねばならんとは、俺もつくづく運が悪いことだ」
挨拶もそこそこに、随分な言い草である。
しかし、千夜は眉ひとつ動かさなかった。
「お久しぶりですね、金子殿」
「……ふん」
金子と呼ばれる男は不機嫌そうに鼻を鳴らし、千夜を睨んだかと思えば、今度は彼女の身体中に舐るような視線を送った。
千夜はそんな金子にも動じず、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、あれから手首の調子はいかがですか?」
「ぐぬっ……!!」
金子の顔が、苦虫を噛み潰したように歪んだ。
その様子を見ていた宗一は眉をひそめると、隣に立つ孤月へそっと耳打ちした。
「孤月様。なんなんですかね、この失礼な男」
声を抑えてはいるものの、金子を睨む目には不快感がありありと浮かんでいる。
孤月は、金子が彼女に送るジトリとした視線や、千夜が何気なく口にした「手首」という言葉を思い返し、すぐに事情を察した。
(なるほど。こいつが、千夜に触れようとして返り討ちに遭った奴か)
孤月は金子をじっと見つめ、口元を吊り上げた。
「ま、まあいい!」
金子は咳払いをひとつすると、居丈高に言い放った。
「御奉行が何と言おうと、この事業の第一責任者はお前だからな。俺たち派遣組は、適当にやらせてもらう。よろしくなぁ」
ひらひらと手を振り、さっさと立ち去ろうとする。
失敗しようが、自分たちには関係ない。初めから協力する気など、さらさらないらしい。
千夜はその背中を見送り、ふう、と小さく息を吐いた。
「まずは金子殿と話し合わねばなりませんね」
「待て」
孤月が、すかさず千夜を引き止めた。
「俺が間を取り持ってやる。穏便に話を済ませてくるから、お前は少しここで待っていろ」
「千夜さん、お茶でも飲んで休憩していてください」
宗一も、にこやかに続けた。
珍しく意見が一致した二人は、そろって千夜に笑顔を向ける。
千夜は少し考えたあと、素直に頷いた。
「そうですね。お二人にお任せした方が安心かもしれません。よろしくお願いします」
「任せておけ」
「ええ、任せてください」
二人は爽やかに笑った。
そして、千夜に背を向けた瞬間。
孤月の口元には、悪役もかくやという不敵な笑みが浮かんだ。
一方の宗一は、般若も逃げ出しそうな形相で拳を握り締めている。
「さて……」
「話し合い、でしたっけ?」
二人は顔を見合わせた。
「……ああ。穏便にな」
その後、何があったのか。
詳しいことは、誰も語ろうとしなかった。
ただ一つ確かなのは、しばらくして戻ってきた金子が、今にも泣き出しそうな顔をしていたことだ。
「……真面目に、やらせていただきます」
金子は千夜の前で、消え入りそうな声で宣言した。
「ありがとうございます、金子殿!」
千夜はぱっと顔を輝かせ、金子の手を取った。
「これから一緒に頑張りましょう!」
「は、はい……」
金子は、どうか早く手を離してくれ、と引きつった笑顔で頷いた。
その背後では、孤月と宗一が、じっと金子を見つめている。まるで、獲物を見定める蛇と鷹のように。
千夜は気づかないが、金子の指先が微かに震えている。
(蛇に睨まれた蛙……いや、鷹に狙われた雀か……)
金子は、千夜の背後で目を光らせる二人を見て心の中で悲鳴を上げた。
どうやら彼は、とんでもない場所へ派遣されてしまったらしい。
*
派遣された人足たちの気質は、大きく三つに分かれていた。
藩の命に従い、仕事に誇りを持って取り組む者。
給金が出る以上、それに見合う仕事はきちんとこなす者。
そして、金子のように、そもそもこの事業を侮っている者。
前者の者たちには豊水村に到着するまでに、ある噂が耳に入っていた。
『水路の工事に向けた準備は、わずか十人ほどの男手で進められていた』
『それなのに、作業を始めてから十日ほどで、水路の予定地を示す杭の打ち込みが終わっているらしい』
村に到着してみれば、簡単なものとはいえ手書きの詳細な地図が作成されており、どうやら噂は本当らしいと驚く様子が見られた。
さらに、村人たちは千夜を慕い、彼女の指示に喜んで従っている。
実際にその様子を目の当たりにすると、千夜がただ藩から押しつけられた仕事をこなしているだけの役人ではないと気づき始める者が増えた。
こうして、三分の二ほどの人足たちは千夜の指示に素直に従い、真面目に働いた。
問題は、残る三分の一である。
金子と同じように、女の指図など受けられるかと考えている者も少なくなかった。
仕事の手を抜こうとしたり、休憩時間でもないのに腰を下ろしたりする者が、ちらほらと現れ始めた。
そんな彼らに、金子は小声で忠告した。
「お前ら……真面目にやった方がいいぞ」
「はあ?なんだよ、急に」
「いいから。俺の言うことを聞いておけ……」
金子は青ざめた顔で、少し離れた場所に立つ二人を見やった。
一人は、金色の瞳を細めて人足たちを見渡す孤月。
もう一人は、穏やかな顔で土を運び続ける宗一。
その二人こそ、金子にとって何よりも恐ろしい存在となっていた。
まず、孤月。
彼は指先ひとつで烏を操り、怠け者を見つけては容赦なく頭をつつかせた。少し離れた場所で休もうとしても、どこからともなく烏が飛んでくる。
「いてっ!こら、やめろ!」
「カァーッ!」
「な、なんで俺のところばかり来るんだ!」
そんな抗議も、烏には通じない。
このままでは、神通力で何をされるか分かったものではない。
そう考えた人足たちは、孤月の目につかないようにするどころか、いつしか烏に見張られながら、せっせと働くようになっていた。
そして、もう一人。
宗一もまた、別の意味で恐れられていた。
彼は、土を詰めた籠を軽々と持ち上げ、次々と運んでいく。その重さは、優に十七貫はあろうかという代物だった。
それを肩に担ぎ、息ひとつ乱さずに運ぶのだから、周囲の人足たちも目を丸くする。
「……あいつ、本当に人間か?」
「俺たちが二人がかりで運ぶような土を、一人で持っていきやがった……」
宗一はそんな声など気に留める様子もなく、次の籠を持ち上げた。
やがて、仕事の手を止めていた男を見つけると、にこやかに声をかける。
「……休憩には、まだ早いですよね」
「い、いや、これは、その……」
「そうですか。では、こちらも運んでもらえますか?」
宗一は、男の前に土の詰まった籠を置いた。
どすん、と鈍い音が響く。
男は籠を見つめ、宗一を見上げた。
「……あ、ああ。すぐにやります」
慌てて鍬を手に取る男を見て、宗一は満足そうに頷いた。
「ええ。よろしくお願いします」
終始、穏やかな笑顔だった。
それがかえって恐ろしい。
こうして、孤月は烏を使い、宗一はその怪力と穏やかな圧で人足たちを働かせた。
二人の監視のもと、大所帯はどうにかまとまりを見せ始める。
*
やがて、本水路の工事は金子を中心に進められることになった。
もちろん、金子のそばには、目を光らせる烏たちがいる。
一方、千夜と村人たちは支線水路の工事に集中できるようになった。
「これで、工事もずいぶん進みそうですね!」
状況が好転したことを喜ぶ千夜。
その背後では、孤月と宗一が顔を見合わせていた。
「……なかなか使える奴らだな」
「ええ。思ったよりも、頼もしい味方でしたね」
二人は満足そうに頷いた。




