第十六話 酒饅頭
役所の門を出ると、堅苦しさから解放されたように千夜はぐぐっと両腕を伸ばした。
「いつも先輩方から、怪訝そうな視線を向けられるのです。もっと精進せねばなりませんね」
どうやら千夜は、周囲の視線には気づいているらしい。しかし、それが若い女であることへの偏見とは思わず、自分の未熟さ故だと考えているようだった。
その鈍感さには時に呆れてしまうのだが、まぁそんなところも彼女らしさか、と孤月は小さく微笑んだ。
「では、行きましょうか!」
千夜は、ひと仕事終えたと満足そうにすたすたと歩き始めた。
しかしながら、孤月は先の交渉で一点だけ危惧するところがある。
「そんな事より百名だとさ、半分だぞ。大丈夫なのか?」
颯爽と歩く千夜を横目に、孤月は眉をひそめながら聞いた。
すると千夜は、悪戯っぽく口角を上げる。
「百名も来てくださるなら、充分ですよ」
孤月の耳がぴくりと動く。
彼女のその顔を見て、孤月はすぐに察した。
最初から二百名全員が認められるとは思っていなかったのだろう。確実に必要な人数を確保するため、あえて多めの人数を提示したのだ。
(……こいつ)
孤月は、千夜の新たな一面を見つけた気がした。
普段は実直で、何事にも真っすぐな千夜。
だが、ただ真っすぐなだけでは、物事は成し遂げられない。相手の事情を考え、利益を示し、こちらの望む結果へと導く。
そんな一面も持ち合わせていたのだ。
「お前、なかなかやるな」
孤月が素直に感心すると、千夜は振り返って微笑んだ。
「孤月様のお陰ですよ」
「……俺の?」
思いがけない返答に、孤月は目を瞬かせた。
「ええ。孤月様が測量の問題を引き受けてくださったおかげで、工事の確実さを証明できましたもの」
千夜は何の含みもなく、そう言ってのけた。
孤月は、一瞬言葉に詰まる。
(……無意識だろうが、こりゃ都合よく使われたな)
そして、苦笑いした。
*
しばらく歩いていると、千夜が露店の前で足を止めた。
「さて、少し寄り道しましょうか!」
「寄り道するなと言ったのは、お前だぞ」
「今日の大仕事は終えたのですから、もうよいではありませんか」
千夜はいつもより弾んだ声で答えた。
孤月も、もとよりそのつもりだったので今さら否定する理由もなく素直についていく。
「私、これが買いたくて」
そこは、酒饅頭を売る店だった。
「甘いものが好きだもんな」
凛々しい顔立ちに似合わず、千夜は甘党だ。食事を共にするうちに、孤月もすっかり覚えていた。
「ええ。まあ、私が食べたいというのもありますが……孤月様にも召し上がっていただきたくて」
「……俺に?」
思いがけない言葉に、孤月は目を瞬かせた。
「お酒がお好きではありませんか。これなら、一緒に美味しく食べられるかと思いまして」
千夜は店主に酒饅頭を二つ注文し、代金を支払った。
そして、そのうちの一つを孤月に差し出す。
「どうぞ。いつも本当にありがとうございます」
「……おう」
孤月が受け取ったのを確認すると、千夜はさっそく自分の分を頬張り、満足そうに歩き出した。
「……」
孤月は、しばらくその場に立ち尽くした。
千夜にとっては、何気ない行動だったのだろうが、孤月にとっては特別なひと時に感じられてならなかった。
自分の好みを覚えていてくれた。
自分にも食べてほしいと、わざわざ買ってくれた。
たったそれだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
孤月は手の中の酒饅頭を同じように頬張った。
(……まったく、お前という女は)
こんなことで浮かれてしまう自分が、少しばかり情けない。
それでも、嬉しいものは嬉しいのだから仕方がなかった。




