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第十五話 交渉



 翌日、孤月と千夜は夜明けとともに豊水村を発った。


 村から役所まで六里半ほど。城下に着いたのは昼八つを過ぎた頃だった。

 思いがけず、二人で出掛けることになり孤月は少々浮ついた気持ちもあった。


 城下の通りには様々な店が軒を連ねている。

 野菜を並べた店先では商人の声が飛び交い、道の傍らでは団子を焼く香ばしい匂いが漂っている。


 行き交う人々の着物も、豊水村で見かけるものとはどこか違っていた。


「……すごいな」


 城下に出ることが初めての孤月は、人々が賑わう珍しい景色に足を止めた。


「孤月様、あまり寄り道しないでくださいね」

「……わかっている」


 露店を眺めながら、孤月は小さく息を吐いた。


 まったく、色気のない女だ。


 せっかく二人きりで出掛けているというのに、千夜の頭の中は仕事のことでいっぱいらしい。


 そんなことを考えているうちに、二人は役所の門前へと辿り着いた。


「孤月様、ここです」

「おう」


 木造の門をくぐると、敷地の奥には役人たちが出入りする武家屋敷が見える。

 一歩、敷地内に足を踏み入れると、二人はたちまち周囲の役人たちから物珍しげな視線を向けられた。


「ここで、しばらく待っておれ」


 取次の者に用件を告げると、二人はその場で待たされることになった。


 やがて奥の座敷へ通されるまでの間も、役人たちの視線が二人から離れることはなかった。


 若い娘と、それよりさらに若く見える少年。


 中年から年配の役人たちにとって、二人の姿はひどく場違いに映ったことだろう。


 孤月は周囲から向けられる視線を気にも留めず、ふと千夜の方へ目を向けた。


 (ふうん……。千夜が一人で村にやって来たのは、こういう事情もあったのか)


 若い女が役人として働くことへの偏見。若さゆえに実力を疑われることもあるのだろう。


 孤月は、千夜が日頃どのような目で見られているのかを感じ取った。




「郡奉行(こおりぶぎょう)がお見えになりました」


 孤月が思いを巡らす中、やがて案内人から声がかかり郡奉行が入室する。


「お待たせいたしました」


 現れたのは、五十過ぎの男だった。ただの人間にしては威厳があり、長年人の上に立ってきた者特有の風格がある。


 千夜は立ち上がり、背筋を伸ばして一礼する。


「お初にお目にかかります。豊水村の新田開発を承っております、千夜と申します。本日はお目通りのお許しをいただき恐悦至極に存じます」


「ご苦労。事前に文を受け取っておる。……そちらにおられるのが、土地神様ですな」


 男は孤月へと視線を移し、丁寧に頭を下げた。


「私は郡奉行の山城兵右衛門(やましろひょうえもん)と申します」


 (……千夜の奴、なんか俺のときより礼儀正しくないか?)


 兵右衛門の挨拶をよそに、孤月は腑に落ちない表情をした。


「立ち話もなんだ、座りなさい」

「……恐れ入ります」


 千夜は座布団へ静かに着席し、一方で孤月は足を投げ出す形でどっかりと腰を下ろした。


「君の話は周囲からよく聞いていてね、一目置いていたよ。若くして入所した才女だと、ね」


 郡奉行からの思いがけない声かけに、千夜は目を丸くした。

 兵右衛門の表情を見ると、目尻が下がり、軽やかなものに変わっている。

 その様子に、孤月は老獪(ろうかい)さを感じた。


「ありがとうございます」

「早速だが、新田開発に関する儀があるとこことだったね。申してみなさい」

「はい」


 千夜は話を切り出した。


「単刀直入に申し上げます。新たな水路を造るにあたり、人手を二百名ほどお貸しいただけないでしょうか」


「何!?二百名!?」


 郡奉行は思わず目を見開いた。


「それはまた、大層な人数ではないか」


 冗談ではないかと疑うような顔つきで、兵右衛門は続けた。


「一つの土地にそれほどの人数を集めるのが難しいことは、お主にもわかるだろう。それに、水を流すには高低差が必要だ。測量は済んでいるのかね?」


「それは俺がやるから問題ないだろう」


 孤月がすかさず口を挟んだ。


 兵右衛門は一瞬、孤月へ目を向けた。


「……なるほど。土地神様のお力添えがあれば正確でしょうな」


 千夜への態度や質問を見るに、さすがにその辺の平役人とは違うらしい。人手を集める難しさも、水路を造るうえでの技術的な問題も、きちんと把握している。

 孤月は、目の前の狸親父を少しだけ見直した。


「とはいえ、二百名か……」


 兵右衛門が唸る。


 すると千夜は、算盤と、昨夜熱心に書き込んでいた書付を取り出した。


「兵右衛門様。では、こちらをご覧ください。藩にとっても、決して悪い話ではないかと……」


 千夜は地図を広げ、水路の経路を示しながら説明を始めた。


「水路が完成すれば、周辺の土地もさらに開墾できます。新田が増えれば米の収穫量が増し、藩の租税収入も増えるでしょう」


 千夜は地図の上を指でなぞった。


「それだけではありません。収穫が安定すれば、余剰米を酒造りに回すこともできます。米だけでなく、酒の生産や取引も盛んになるはずです」

「ふむ……」

「こちらをご覧ください。新田による増収分を見込んで計算すると……」


 千夜は一つ一つ、算盤で計算した数字を示しながら淀みなく説明していく。


「む!?……んん!」


 話を聞くうちに、先ほどまで難色を示していた兵右衛門の顔が、いつしか商人のような算段をする顔つきへと変わっている。


 やがて、兵右衛門の目が地図から千夜へと移った。


「なるほど……。お主の申すことは、よくわかった」


 兵右衛門は口元に笑みを浮かべた。どうやら、労に見合うだけの利益はあると踏んだらしい。

 なんとも現金な狸親父だ。

 孤月は内心、呆れながら二人のやり取りを見守った。


「とはいえ、二百名は多すぎる。人員の手配は私の一存では決めかねるのだ。せいぜい百名と思っていてくれ」


 千夜は少しも動じなかった。


「承知いたしました」


 そして、深々と頭を下げる。


「ご検討いただき、ありがとうございます」


 話を終え、千夜が退出しようとした、そのときだった。


「そうだ。土地神様におかれましても、千夜殿をどうかよろしくお頼み申し上げます」


 兵右衛門は思い出したように、にこりと孤月へ声を掛けた。


「……ああ」


 短く答えながら、孤月は思う。


 (……最後まで、抜かりのない狸親父だ)


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