第十二話 宗一
開墾作業がひと段落つき、暦は六月を迎えた。
土地を切り拓いたからといって、村人たちが開墾だけに専念していられるわけではない。今年の米を育てなければ冬を越すことはできないのだ。
村長の指示のもと、村人たちは田植えの準備に取りかかった。
開墾作業に追われたため、例年よりも遅い始まりではあったが、今年は幸いにも梅雨入りが遅れていた。
雨に作業を妨げられることもなく、順調に進められそうだった。
田植えにはまず、苗が必要である。
雪解けした三月下旬頃、村人たちは今年の稲作のために苗代を整え、種籾を蒔いていた。
四、五月にかけて苗を育て、田植えをする時期には綺麗な緑の苗が出来上がっている。
「私にも手伝わせてください」
千夜は、苗代で育った苗を田まで運ぶと、それだけでは物足りず、苗束を手に自ら田に入った。
裾をまくり上げ、膝下まで泥に沈む。
足を取られながらも、村人たちと一緒に苗を植えていった。
泥が跳ねても気にしない。
腰に負担のかかる中腰の姿勢で、千夜は一つ一つ丁寧に苗を植えていった。
腰の曲がった年配の村人がいれば手を貸し、作業に飽きた子供たちには笑顔を向ける。
その姿を少し離れた場所から見守る者が二人いた。
一人は、土地神である孤月。
そしてもう一人は、村の農家の息子、宗一だった。
「宗一、ぼーっとしてねぇで運べ!」
「…………あぁ、うん」
田の中で働く千夜の姿は美しく、目を奪われていた。
美しいからというだけではない。
自分の故郷でもない、たまたま訪れたに過ぎない豊水村の暮らしを守るため、誰よりも懸命に働いている。
役人という立場にありながら、村人たちと同じように泥にまみれ、誰に対しても分け隔てなく接している。
その姿が、宗一の心を打った。
*
昼時。
田植えの手を休め、村人たちがそれぞれ腹ごしらえを始めた頃だった。
宗一は握り飯を手に、少し緊張しながら千夜の元へ歩み寄った。
「あの、千夜さん。よかったら、どうぞ」
「ありがとうございます。ちょうどお腹が空いていたところです」
千夜は笑顔で受け取り、さっそく一口頬張る。
その気取らない様子に、宗一の緊張も少しだけ和らいだ。
「僕、宗一と言います。今年二十一になります」
「私の二個上ですね。宗一さん、よろしくお願いいたします」
しっかりした芯のある女性だと思っていたが、歳下だったとは。今まで会った女性の誰とも違う、そのことが宗一にはひどく新鮮に感じた。
そして、ずっと不思議に思っていたことを千夜に尋ねた。
「あの……千夜さんは、どうしてそこまでしてくださるんですか?」
「はい?」
「役人のお仕事だけでも大変でしょう。それなのに田植えまで……。どうして、そこまで村のために働いてくださるのかと思いまして」
宗一は真剣な面持ちで、千夜の横顔を覗き込んだ。
千夜は一度、手元の握り飯に目を落とす。
そして、何でもないことのように答えた。
「皆さんが暮らしていくためでしょう?私一人が楽をするわけにはいきません」
「……!」
宗一は息を呑んだ。
千夜にとっては、当たり前のことなのだろう。けれど、宗一にはその言葉がまぶしく感じられた。
自分たちの暮らしを守るために働く。そのためなら立場も体裁も気にしない。
そんな千夜の姿に、宗一の胸は熱くなった。
もっと話してみたい。
もっと、この人のことを知りたい。
そう思ったときには、すでに宗一の心は千夜に惹かれ始めていた。
「おい、千夜」
そこへ、二人の間に割って入るように孤月がヌッと現れた。
その表情はもちろん、不機嫌である。
「そいつにばかり構うな」
「構う?宗一さんは、私に握り飯をくださっただけですが?」
「そういうことを言っているのではない!」
「では、どういうことでしょう?」
孤月は口を開きかけ、結局何も言えなくなった。何を言えばいいのか、自分でも分からなかったのだ。
ただ、千夜と宗一が隣で話しているのが気に入らない。たったそれだけのことなのに、胸の内が妙にざわついて仕方がない。
孤月は眉間にしわを寄せた。
(……また、何か気に障ることをしてしまったのだろうか)
孤月の不機嫌そうな顔を見て、千夜はひそかに思案した。
お腹が空いているのだろうか。握り飯を食べたいのだろうか。自分が食べる前に、先に握り飯を渡した方がよかっただろうか。
千夜は、おずおずと口を開く。
「孤月様も、召し上がりますか?」
「違う!!」
まったくもって的外れである。
鈍いというか何というか。
頭の回転は速く、物事の道理を見抜くことにも長けている。
その一方で、人の心の機微を察するという、これまた大切な能力が、どうにも乏しい娘であった。




