第三話
「んん~? おやおやおやおや……どうにも珍しいねぇ。君が一個人に肩入れするとは」
「何のことでしょうグレイビードさん。私はただ、職務を全うしているだけです」
煤が舞う石造りの舞台。その場所に『淀みの巫女』と適合者の男、そんな二人を興味深そうに眺める紫紺色の帽子を被った女は居た。
口元は濃い黒布で隠されているものの、その声色からニヤついているのが容易に察せられる。姿も言動も、全てが胡散臭かった。
「新たな適合者君か……裸族の彼女から次が早かったねぇ」
「偽りの王となる人が増えるのは良いことです」
「……偽りの王、ねぇ。果たしてそんな不名誉な役割、何の意味があるのやら」
紫紺の魔女にとって、現状は全てが非合理に見えていた。
対処療法ばかりで根本的な解決には至らぬ、偽りの王という世界の延命。適合者という有能かつ無限の可能性を持つ人材を使い潰す、王の試練。
何もかもが気に入らない。不愉快だった。
「君はその子に何を見ているんだい? 今までここを訪れたどんな適合者と比べても、彼の力は貧弱だ」
「……そうですね。この人はきっと、一人では王にはなれないでしょう」
『淀みの巫女』は優しく、自らの膝の上で眠る男の頭を撫でた。今まで見たことのないそんな彼女の様子に、紫紺の魔女の興味をそそった。
「――ですから、王になどならなくて良いのです」
「ほう……? さっきと言っていることが違うじゃないか」
「この人を偽りの王として世界の生け贄に捧げる……あぁなんと忌々しいことでしょうか。考えたくもありません」
「ふぅん……? 君がそれほど他人に執着するとはね。惚れたのかい?」
「…………そんなに綺麗な感情じゃないですよ、この想いは」
紫紺の魔女には、彼女が何を考えているのかは分からなかった。ただ、『淀みの巫女』は男の髪を撫でながら、その口元を緩めていた。
まるで、恋する乙女のように。
「私は『淀みの巫女』……『淀み』の深淵に立ち、そして蓄えるもの。そんな私に、この人は触れてくれたのです。綺麗な手だと言って、躊躇いもせずにそうしてくれたのです」
「私だって、君が穢らわしいと思ったことはないよぉ?」
「貴女のソレは実験のためでしょう……」
男は違った。打算も憐れみもなく、無垢な子供のようにその手を取ってくれた。それだけでなく、彼はこんな自分に巫女ちゃんと、可愛らしいあだ名を付けてくれた。
彼を想う理由なんて、それで十分だった。
「ただ、私の傍に居てくれるだけで良い。それだけが……私の望みです」
「そうかいそうかい……まっ、応援す――っ!?」
その時、空気が変わった。周囲の全てが重さを持ったように、ずっしりと肩が沈んでいく。身の毛もよだつような殺気が、すぐ近くにやってきていた。
「その男に、用がある」
「ほう……? 此処に顔を出すなんて、珍しいじゃないかい。半裸ちゃん」
「……うるさい、し――じゃなくて、紫紺の魔女」
腰まで伸びた美しい銀髪。人形を思わせるような、完璧な造形。それらを隠しもせずに明け透けにする、気狂いとも言える異様な精神。
銀髪の適合者――この世界の主人公である女が、殺気立ちながら現れた。
5
「何度言ったら分かるんだ? ソイツを離せ、巫女」
「……申し訳ありません、適合者様。彼が目覚めるまでは傍を離れられませんので」
「ふ、ふふ……! アハハ……!!!」
巫女ちゃんとこの世界に似合わぬ安らぎ体験をしてしまったからだろうか。そんな俺に対する罰に違いない。
寝たふりをした俺の前で三人。巫女ちゃん、それと秘技の師匠となってくれる紫紺の魔女、グレイビード……あと、ラスボスもかくやという殺気を放つ、銀髪の半裸女。
そのうち、巫女ちゃんと半裸女は何故か言い争い、ギスギスとした雰囲気を醸し出していた。聞いている限り、俺の身柄を巡ってだ。
な、なんで……?
「ソイツはようやく見つけた同類だ。私は……その男を手に入れなければならない」
「手に入れて、どうするのですか?」
「無論、話を聞く。彼ならば私を分かってくれるはずだからな」
「……自分勝手ですね、貴女は。だとすれば、私のすることは一つです」
ふわりと、俺の身体が持ち上げられる。鼻腔をくすぐるのは花の芳香。優しい香りと、柔らかな感触が顔の前面に伝わっていく。
巫女ちゃんの手が背中に回され、ぎゅっと抱きしめられたのだ。ドクドクと、彼女の少し早い心音が、やけに耳へ伝わっていた。
「貴女には渡しません。この人は、私のです」
「……はぁ? 何を言っている? 何が、誰のだって?」
「おや、難聴ですか? この人は、私のですと、そう言ったのです」
「…………まさか、お前がそんなことを言うとはな」
「うひひ……! あぁ、お腹痛い……!」
「「………………!!!」」
無言の睨み合いは数分に渡って繰り広げられた。互いに引かず、かといって言葉を交わすこともなく、ただ続いた。
紫紺の魔女の爆笑だけが続く中、ようやくその均衡に亀裂が走る。巫女ちゃんは溜め息をついて、俺の身体から手をゆっくりと離した。
「適合者様。すみませんがこちらの方がお話したいそうです。もう寝たふりはしなくてよろしいですよ」
「……き、気付いてたんだ」
「えぇ。ですが貴方様が目覚めたくないと、そうお思いでしたので。少々はしたない真似をしてしまいました」
なんという癒やし力だろうか。先ほどまで、破壊の権化のような女とバチバチに睨み合っていた少女とは思えなかった。
だが、そんな時間も終わりを迎える。巫女ちゃんの手が離れると同時に、俺の身体は無理矢理後方へ引っ張られていった。
「用は済んだな。なら、次は私だ」
「あちょ、首! 首締まってる! 死んじゃうから!」
その細腕からは想像もできない万力の如き力が、俺を襲う。俺は心配そうに手を振る巫女ちゃんと、未だ地面を転げ回って笑う紫紺の魔女に別れを告げ、そして暗闇へと引きずり込まれた。
6
「さて、と……此処なら、誰にも邪魔はされないだろう」
「は、はは……鍵、持ってるんすね」
この不浄の神域には、いくつかのフロアがある。
まず、大体の人間があつまるのは大広間だ。円形の闘技場のような形をした場所で、適合者の大半は此処に集まるであろう場所である。
そして、鍛冶台や秘術の陣が敷かれた地下。紫紺の魔女や武器を強化してくれる鍛冶職人などはこの場所に居ることが多い。
他にも小部屋や牢などその他様々な場所があるが、俺達二人が訪れたのは離れの塔だった。
そこは特殊な鍵がなければ開かず、中にはイベントアイテムと強化アイテムがあるだけの空間だ。それ故、NPCなどは存在せず、どんなイベントを起こそうとも此処へ誰かが来るイベントは無い。
それを分かっていて彼女は此処へ来たのだろう。明らかに既プレイの動きだ。
「……お前は一度死んだ。それは確かだ。だというのに、お前は生きている。これは明らかな異常だ」
「適合者が死なないのは、当たり前のことでは……?」
「そうだな。だが、死というものを乗り越えられる適合者は、そう居ない。生き返ったソレは、もはや元の者とは思えぬ姿に変わるのだ」
そういった銀髪の女の顔は、酷く悲痛だった。何度も何度も、その末路を見せられたかのように、精巧な顔は悲しみに歪んでいた。
「なぁ、俺からも一つ聞いて良いか?」
「……まぁ良い。言ってみろ」
それは確信だった。状況証拠のみであったものは、彼女の口ぶりや行動から確定的なものへと変貌した。だからこそ、俺は確かめなければならない。
彼女がこの世界で、どれほど足掻いたのかを。
「君は、何回この世界を繰り返しているんだ?」
「―――――そう、か。お前は、知っているんだな。この世界が、終わりのない無間地獄であることを」
その言葉を聞いた時、彼女の今まで微細だった表情が大きく動いた。
瞳から大粒の涙が溢れ、とめどなく流れ出ていた。無意識のうちに垂れ流していた殺気は完全に失せ、女はフラフラとこちらへ向かってきていた。
銀髪の女は俺の方へその身体を崩した。張り詰めていた糸が切れたように、彼女の身体は弛緩していた。
俺が女を支えると、彼女は泣きながら俺の頭を包んだ。乱暴で、強引で、巫女ちゃんの優しい抱擁とは真反対のソレを、しかし俺は拒むことができなかった。
「やっと……やっと、分かってくれる人が、来たのだな……!!!」
「……あぁ。知ってる。君が頑張ってきたことを、俺は知ってる」
「そう、か……私の旅路は、無駄などではなかったんだな……!」
何度も傷付き、何度も死に、何度も繰り返す。理解されることのない苦しみと、解放されることのない絶望。想像するだけでも恐ろしいことだ。
俺達がリセットボタン一つで終われることを、彼女はずっと、無意味とも言える周回で終わらそうとしていたのだ。痛みも死も全てが本物のこの世界で、一人でずっと。
「君は凄い人だ。この世界の誰も覚えていなくても、俺はその功績を知っている。たとえ他の誰が妄言と謗ろうと、俺は君の偉業を知っている」
「う、うぅ……! あ”ぁぁぁぁあぁあぁぁ……!!!」
「良く頑張った。君は凄い人だ」
その場に居るだけで殺気を振りまき、存在しているだけで畏怖される半裸の狂人。
彼女がそうなってしまうまでに、一体どれほどの苦行を積んできたのだろうか。察することはできても、到底理解などできないだろう。
けれど……この世界で彼女の苦しみを理解できるのは、俺だけなのだ。彼女の言葉を信じられるのは、俺だけなのだ。
難しいことかもしれない。不可能なことかもしれない。それでも……
俺は、彼女の傷に寄り添いたいと、そう思ってしまった。




