第四話
「なぁ……そろそろ、良いだろう?」
「駄目だ。まだ、こうしていたい」
「がぁ……! 分かったから、力を籠めるな……! 背骨が……! 折れる……!」
離れの塔の一角。冷たい床の上で、二人の男女が絡み合っていた。
いや、捕縛されていた、という方が正しいだろうか。俺は微塵も身体を動かせぬまま、女から抱擁をされていた。
時折、ミシミシと骨が軋むほどの圧力を受け、俺はその度に身を捩る。しかし、女は決して力を緩めることはなかった。
「私とお前は同類だ。死しても理性を失わず、この狂った世界のことを正しく理解している。だから、お前は私と共にあるべきだ」
「いやいや……俺は君ほど強くないし、君が思うより軟弱だよ。死ぬのだって、もの凄く怖い」
彼女に抱き締められながら、俺は彼女のそれまでを聞いていた。
偽りの王として世界に身を捧げた最初の記憶。王としての責務を投げ、世界に終焉をもたらした二回目の記憶。絶望的な世界をやり直すため、世界の在り方を作り替えた三回目。
そして続く、終わりのない無限のループを。
銀髪の女は足掻いた。俺がしてきたことが塵芥に思えてしまうほどのことを、彼女は苦しみ、何度も死に、そして全うしてきた。
そんな彼女を待ち受けていたのは、一切を無に帰すやり直しだったのだ。今までの何もかもが元に戻され、彼女の苦労を嘲笑うかのように世界は銀髪の英雄を忘れてしまう。
「絶対に離さない……お前は、私のモノだ」
「………………」
得体の知れない感覚が、俺の胸中にはあった。
それは憐れみか、それとも己の不甲斐なさか。その正体は良く分からない。
確かだったことは、俺は理不尽なこの世界を呪っていた。何でもないことのように語られる少女のそれまでを聞く度に、正体不明のソレは膨れ上がっていった。
4
「出来たぞ。少し早いが昼食にしよう」
「ん……もうそんな時間か」
「ここ、ずっと日が高いから体内時計が狂うよな。襲われない分、フラメントよりマシだけどさ」
銀髪の女と出会ってから、数ヶ月が経った。
その間、俺は……何もせず、ただ不浄の神域で女と共にこんな世界に似合わぬ生活を送っていた。
銀髪の女はいつも表情を変えず、かといって俺の傍から離れることを極端に嫌った。それこそ、朝起きる時から夜眠る時まで、彼女は俺の傍に居ることを望んだ。
「……お前は暖かいな。作るモノも、その手も、全てが私のとは全く違う」
「大袈裟だな。この程度、誰だって作れるっての」
横に座って彼女は俺に体重を預け、ゆっくりと食事に手を付ける。
塩と野菜、それとナニカの肉をぶち込み、煮込んだだけのスープ。そしてナンのようなパンと、油と塩のみで味付けた野菜炒め。そんなあり合わせの品を、彼女は普段よりも柔らかい顔をして味わっていた。
「いつもありがとう。味の差異など私には分からないが、お前が手間をかけて作ってくれているのは、確かに分かる。だから、お前には感謝している」
「……俺が食いたいからやってるんだ。君の分はついでだよ」
本来、俺達のような適合者に栄養補給は必要ない。俺達を生かしているのは淀みの力であり、この世界に淀みが蔓延している以上、適合者は息をしているだけで生きることができる。
「それでもだ。お前にとって些末なことであろうとも、私にとってはそうではない。私はこの時間を、絶対に忘れないだろう」
「…………」
正直言って、この食事はあまり出来の良いモノではない。
何肉かも分からぬ肉は筋張っていて固く、ゴムのような食感だ。味付けも素材の味、と言えば聞こえの良いものの、単調で塩辛いだけとなっている。
スープも、野菜炒めも、パンも、現代のものと比べれば粗雑すぎる。料理と呼ぶのすらおこがましいモノだった。
そんな食事に、彼女はいつも深い感謝を贈るのだ。味など分からないと言うのに、いつだって銀髪の女は俺との食事を楽しんでいた。
「なら良かった。作った甲斐があるってもんだよ」
「あぁ……本当に、ありがとう」
銀髪の女と過ごして分かったことがいくつかある。確かに彼女はいつだって無愛想で、口調は固く、話し合いよりも単純な武力での解決を好む暴力大好きっ子だ。
けれども、彼女に感情が無い訳ではない。いや、むしろ表情があまり変わらないだけで、嬉しい時は僅かに頬が緩んだり、無意識に垂れ流す殺気が霧散したりする。
ここ最近は常にそうだった。穏やかに日を浴びて昼寝をする彼女の横顔は、この世界でも屈指の実力者であることをつい忘れてしまうほど普通だ。
だからこそ、時折現実を思い出したかのように悲痛な顔をするのが嫌でも分かった。
それは、眠りから目覚めるときや俺から離れた瞬間、巫女ちゃんやグレイビードの姿を見掛けた時などに見られる仕草だった。
「ふーん……君は覚えが本当に悪いねぇ」
「め、面目ないっす……」
その証拠に、俺がグレイビードへ秘技を教わりに行くと、彼女は少々不満な顔をするものの、付いてくることはなかった。よほど紫紺の魔女に会いたくないのだろう。
「そう悲観することはないよ。大天才である私と君の習得速度に乖離があるのは当然だ。君は君の歩みで秘技の探求に勤しめば良いのだよ」
この数ヶ月の間、俺は銀髪の彼女や巫女ちゃんとの交流と同じくらい、この紫紺の魔女との勉強会を大切にしていた。
それこそ、才能がないと真っ先に切り捨てた秘術の修行を、もう一度真面目に行う程度には手間をかけて。
「……なら、もうちょっと分かり易く教えてくださいよ」
「『ルーンの輝き』のコツぅ……? そんなの、パッとやってタンタンッだよ」
「この天才共め……!!!」
ちなみに、銀髪の彼女も同じことを言っていた。彼女もきっと、いつかの周回でグレイビードに師事したのだろう。だから、彼女は紫紺の魔女に会うことを良しとしない。
彼女の末路は……あまりに凄惨で救いのないものだったから。
5
武技というものが武器に宿る力であるならば、秘技というものは知識に宿る力である。
『ゼディメント』において魔法としての立ち位置であるその技は、近接を主体とする武技とは反対に、基本的な戦術は中・遠距離を主戦場とするスタイルだ。
そんな秘技は初期から覚えられるものもいくつかあるが、それ以降の発展系を習得するにはとある人物の協力が欠かせない。それこそ、紫紺の魔女グレイビードである。
彼女から秘技を学ぶ代わりに、フィールド上に散らばる秘技のスクロールや手記を提供するという契約の元、グレイビードとの交流は始まる。
「それで? 新しい資料は無いのかい? ……そう。じゃあ用はないよ」
最初期の彼女は新たな秘技の解析と研究にしか興味がなく、プレイヤーに素っ気ない態度を取ることが殆どだ。しかし、各地を探索し秘技の修得を一定数行うと、彼女の好感度は段々と上がっていく。
「私の目的はね、この世界そのものを再構築することにあるんだよ」
そして……内に秘めた計画を共に為すことになる。彼女は偽りの王によってもたらされる一時の安寧に疑問を抱いており、恒久的な世界の存続のために秘技の力を利用しようとするのだ。
計画は順調だった。偽りの王の亡骸から『淀み』の根源を解析し、そして世界各地に彼女が作った楔を打ち込み、分解と再構築を行う。
だが、この作業にはとある問題があった。『淀み』を知るということは、常人にとってはあまりに負荷のかかる作業だった。それは紫紺の魔女、グレイビードであろうとも避けられぬリスクだ。
次第に彼女は正気を失い始め、しかしたった一人の弟子のことだけは忘れずにいた。記憶の混濁が起き、日毎にやつれていっても、彼女はプレイヤーの前では気丈に振る舞ってみせた。
だが、この世界に救いは存在しない。その結末は、世界を想った賢き魔女にとって最も屈辱とも言える最期だった。
「ぁ……ぅぁ…………」
『淀み』の根源に触れ、そして世界そのものを暴いた彼女の最期は、その知識により自我を崩壊させ、世界を再構築させるための醜い材料となることだった。
麗しい美貌はピンク色の塊へと変貌し、生涯に渡って研鑽した知恵は消え失せ、死ぬこともできずに矮小な存在に成り下がる。
銀髪の彼女もまた、グレイビードのそんな終わり方を見たのだろう。人に関心がないように見えて、その実入れ込む質の彼女には堪えたはずだ。
だから、彼女は紫紺の魔女と関わらない。そうまでしても世界は、結局元に戻ってしまうから。
「師匠。秘技の訓練とは別に、お願いがあるんですが」
「んん~? なんだい急に? 半裸ちゃんとの仲人をしろ、とかならお断り――」
「世界の再構築について、俺も協力させてくれませんか?」
「…………ん? んん? んんんっ???」
あぁ知っているとも。彼女の優しさも、紫紺の魔女の救いの無い結末も、何も変わらなかった世界のことも、知っている。
その上で、俺は彼女の意向を無視することにする。この行動が彼女の逆鱗に触れることを知りながら、あえてその地雷を踏み抜くのだ。
全ては心優しきあの子を、この世界から救い出すために。




