トラウマ
「……え? ええ、はい」
突然の言葉に戸惑ったけれど、イーズの瞳があまりにも真剣で冗談や軽口で言ったわけでないことがわかる。
大人しくドレスを脱ぐと、イーズは息を吐いた。
「やはり首元が腫れておりますね」
「……、あ」
その言葉で、リボンを引っ張られたときのことを思い出した。
「湯浴みの前に手当をーーアオリ様!?」
手が、震える。冷酷で蔑むような黄金色の瞳が脳裏をよぎった。苦しくて顔を歪めても、やめてくれない。弁明なんて一つも聞いてくれなかった。一方的に、番を騙った、台無しにしようとしたと言われてーー。
「っは……は、は」
呼吸ってどうやってしていたんだっけ。
息を吸ってーー、吸うってなに? どうやったら息が吸えるの。
「アオリ様、落ち着いて、ーー落ち着いてください」
イーズが何かを言っている。耳鳴りがひどくて聞こえない。
苦しい。
やだ。
怖い。
「……っ……ぅ」
そうだ、この感覚。私はこの感覚を知っている。
カーペットに染み込んでいく鮮やかな血。
伸ばした手も届かず、かろうじて出した声も拾われず。
ただ、終わりを待つだけのーー、
「ーー!!!」
見たくない。何も知りたくない。悲鳴をあげる。確かに喉を震わせているのに、その悲鳴すらも自分には聞こえない。
私は、……わたし、は?
私は誰だっけ?
私はアオリ。ウィルソン家どころか、国を追放されてしまったけれど……。
本当に? そんなはずはない。あの人が私を手放してくれるはずない。
頭の中で意味不明な言葉が浮かぶ。
私なのに、私じゃないみたいな声。
怖い、聞きたくない。
「ーー!!」
ーーだって、私は……。
その続きを聞く前に、逃げたいとそう強く願ったのを最後に、意識が途切れた。
◆
(ルカニア視点)
「ルカニア殿下!」
シュバルツとも別れ、今日起こった出来事を整理していると、侍従が走ってやってきた。
「どうしたんだ?」
「お寛ぎのところ、申し訳ございません。イーズより、火急の言付けが」
イーズは元々が騎士だったこともあり、腕も立つ。それに先祖が王家直属の占い師だったこともあるのか、第六感のようなものも鋭い。
そのイーズが火急というとは、よっぽどのことだ。
「わかった。聞こう」
「申し上げます。『アオリ様が倒れられました。体の外傷というよりは、なんらかの心的外傷を刺激してしまったものと思われます』」
アオリ嬢が?
思い出すのは、緊張しながらも真っ直ぐに俺を見つめてくれた黄色がかった青の瞳。
あの意志が宿った瞳を曇らせる何かがチェムターにある。
胸の中で歯がゆい気持ちを抑えながら、侍従の続きに耳を傾ける。
「『それからーー婚約式を急がれた方がよろしいかと。できれば今夜中、遅くとも、翌朝に』とのことですが……」
「婚約式を、と言ったのか?」
「はい。詳しい理由は分かりませんが……」
この国の婚約式とは、婚約者をお披露目する式だ。といっても、その力の入れようは、結婚式に並ぶ。
それだけ、リーフでは婚約というものを重んじているからだ。
だから、婚約式は、当然、時間をかけて準備をして行うつもりだった。
ありがたいことに、アオリ嬢はこの国で守り手になると決意してくれた。
婚約という大事なことを、過程をすっ飛ばして決めることになったからこそ、式の前にお互いを知ることを重んじたい。……そう思っていたのだが。
「ロイド」
「はっ」
「婚約式の準備を進めてくれ。それと同時に、父上と母上への面会の調整を。俺は、ひとまずイーズの真意とアオリ嬢の様子を見てくる」
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