蛙は土にいる
退魔師の娘が百鬼夜行と夜行さんを呪符に変えたものを全て持ち去った。
あれを然るべき手段で処分すれば、近隣の地は負の念が消えた清々しい空気に包まれることになるだろう。
人々はこの空気に触れるだけで、心の中の鬱屈したものが晴れ晴れと溶けていくのを感じることだろう。
それで問題が消えるわけではないが、前向きな解決に向けて動き出すきっかけになることもあるだろう。
あるいは悔いを振り捨てて前へと進みだす勇気を与えてくれるだろう。
しばらくは。
「そうなるだけでは、もったいないよなぁ」
額の角を使って土を崩して、悪角の長老は運動場の地面から姿を見せた。
引き結ばれた蛙の口には一枚の呪符がある。
周囲に散らばっていた一枚を、隙を見て確保していたのだ。
「この程度で終わってはおもしろうない。因縁やら呪いやら……そんなものがない世はおもしろうない。人というのは恨み辛みで動き回るからおもしろいことをしてくれるのだから」
たとえば、そう……この学校でもいままさに進行しているではないか。
あれをこんな空気で消し去ってしまうのはもったいない。
この呪符は……そしてひょんなことから手に入れたアレがあれば、きっともっとおもしろいことをしてくれるだろう。
「ひょっひょ」
笑いながら跳ね、長老は件の人物のところに向かう。
件の人物……悪角の長老が見初めた少年は自室の中央で呆然としていた。
夜行さんは封印が解けたときから、あの青年に憑依して周辺地域の呪力を集めていた。
退魔師の小娘が来てからはその勢いが弱まっていたとはいえ、完全に止まっていたわけではない。
調べればこの近辺ではかつてないほど事件・事故が増えていたはずだ。
少年はその呪力の影響を受けた結果として藁人形の呪いを実行していた。
そういう意味ではこの少年もまた被害者であるのかもしれない。
だが、《《つい》》実行してしまう者は、実行する前段階までの心づもりができているから行えてしまえるのだとも言える。
そしていま、少年は呪力が晴れたことが原因で自分がやってしまったことに気付き、呆然としている。
「僕はなんてことを……いやでも、あれはあいつが悪いから……そうだよな。僕は悪くない。あいつが悪いからやっただけだ。僕は悪くない」
そんなことを繰り返し呟き、足元に散らばった作りかけの藁人形や、その素材である藁や釘を見下ろしている。
いまの時代はこんなものでも『ネット通販』とやらいうもので手に入るというのだから、便利なものだ。
まぁ、その材料を売ることで同胞たちが小銭を稼いでいるというのもよく聞く話なのだが。
そして、悪角の長老は、こういう小狡い人間こそが大好きだった。
「こんなところで終わってはつまらんじゃろう?」
「なっ、誰だ⁉︎」
いきなり話しかけられて動揺する少年をもっとびっくりさせるために、悪角の長老は部屋の明かりを消した。
自身は机の上に移動し、蛙の目を赤く光らせて少年の心に妖力を忍ばせる。
「ひっ⁉︎」
机の上の光に気付いた少年が悲鳴を漏らす。
「こんな不完全な終わりが望みか? なにも手に入らず、そして失うかもしれない恐怖に怯えながらこれからを過ごすのか望みか?」
「な、なんだ、お前⁉︎」
「どうせならやりきってしまった方がおもしろいとは思わんか? そんな偽物の藁人形に頼らず。本物の呪いを実行してみたいとは思わんか? この世の暗い裏側を覗き見て、その力を自分のために使ってみたいとは思わんか?」
「え? 偽物……これ?」
「どうだ? 本物を知りたいとは思わんか?」
「し、知りたい‼︎」
簡単に食いついた。
こんなものだ。
自分に届かぬ物に手を伸ばそうとする。
一見すれば美しい行為のように人は語るが、それを続けられる者は少ない。
あの藁人形とて、本物の執念があれば本物の呪いを持った藁人形になり得た。
だが、薄っぺらな自尊心と見栄しかない者にはあんな藁クズさえも本物にはできない。
そして、そんな奴ほど、簡単な力に飛びつく。
蛙よりも蛙らしく跳んでくる。
まったく、楽しいったらありゃしない。
「では、口を開け」
少年は言われるがままに口を開く。
そしてそこに、悪角の長老は自らの腹に隠しておいた百鬼夜行の呪符と《《乾いた肉の切れ端》》を取り出し、一つにまとめて少年の口に放り込んだ。
「んがっ! ぐっ!」
少し大きかったか?
塊は少年の喉に詰まったようだ。
「苦しいか? まぁ我慢せよ。なぁに、死ねば死んだで、それはそれでおもしろいことになるさ、きっとな」
悪角の長老は少年がどうなるかを見届けることなく、その場を離れた。
「ひょっひょっひょっ、楽しいのう」
笑いながら悪角の長老は屋根から屋根を跳ねて渡っていく。
人を騙すのは気持ちいい。
人を陥れるのは心地いい。
騙された者が間違った踊りを踊って、周りに被害を広げていく姿は痛快だ。
悪角の長老はずっとそういうものを眺めるために生きてきた。
「ちょっと口から入れるにはデカかったようだが、なぁに息が詰まる前に体に馴染むじゃろ。昔、儂が体に入って操った時よりは小さいものな。それよりひょひょ、どうなるかのう」
これから起こることを想像し、機嫌よく跳ねていく。
「ひょ?」
その蛙の顔が固まった。
「ひょぉぉぉぉっ!」
そして、足元がいきなり光ったことに驚き、叫ぶ。
いや、叫んだつもりだったが……叫べていなかった。
(この儂が金縛りじゃと⁉︎)
足元の屋根に術が仕込まれていた。
それによって悪角の長老は動きを縛られたのだ。
「こんばんは、蛙のご老人。少しよろしいかしら?」
(だ、誰じゃ?)
「名乗ることができないのはお許しください。あなた方と縁を繋ぎたいわけではないもので」
(……では、なぜ儂の前に来た?)
「質問があるのです。それに答えてくだされば解放いたしますよ。罠にかかった獲物を逃すなんて、私はなんていい猟師なのでしょう」
(ふん、恩を押し売りして、貸し借りなしか。妖物の扱いを心得ているな)
こちらの考えていることが読まれている。
そのことに気付いて、悪角の長老は動けないまま内心で鼻を鳴らす。
目を動かすこともできないので、見えているのは相手の足だけだ。
「質問は簡単です。あの肉の切れ端はどこで手に入れました? 落ちていたというようなものではないはずですが?」
(……やはりそれじゃろうな)
こうなったときから、なんとなくだが質問の内容に心当たりはあった。
あんな面白いもの、誰の目にも留まらないはずがないのだから。
「お答えいただけます?」
(世の中には手に入れた宝を飾っておきたい者と、使ってみたい者がいる。儂はその後者と出くわしただけじゃ)
「では、それはどなたですか?」
(一つの恩には一つの答えじゃ)
「……まぁいいでしょう」
そう呟くと、目の前から女の足が消え、同時に金縛りもなくなった。
「怖いのう」
動くようになった口を動かして、悪角の長老はそう漏らす。
「あれはきっと加茂家の術師じゃな。怖い怖い。金棒奮っとった暴れ者とは大違いじゃな」
迂闊な呟きをしたかもしれないと思った悪角の長老は、身を震わせると地面に降りて、そのまま土の下へと逃げ込んだ。
よろしければ、励みになりますので評価・ブックマークでの応援をお願いします。
下の☆☆☆☆☆での評価が継続の力となります。
カクヨムで先行連載していますので、よろしければそちらの応援もお願いします。




