消えた第二王女⑤
マリアに気付いたルリが、ぱっと振り向いた。
「あ!巨乳のお姉さんお帰り!」
ゴンッ!
「いてっ!」
「こら!失礼な呼び方をするんじゃない!」
ゴンゾの拳骨がルリの頭に落ちる。
ルリが頭を押さえてうずくまる。
その隙に、下敷きになっていたカズトがようやく顔を上げた。
「マリアさん、お帰りなさい……」
床の上からの挨拶だった。
「……ただいま戻りました」
マリアは苦笑しながら尋ねる。
「いったい何があったのですか?」
カズトはゆっくり体を起こしながら説明する。
「いや、午後からルリと型を守った組み手をすることになりまして」
「体格差もあるのでハンデとして、俺は魔力なし、ルリは魔力ありでやってたんですよ」
「そしたら――」
カズトは小さくため息をつく。
「普通に負けました」
魔力の有無。
それは、この世界では決定的な差になる。
それでもカズトとしては、かなり悔しいらしい。
するとルリが胸を張る。
「ふははは!負けたカズトは我にひれ伏せー!」
いつの間にか、王女ネタを完全に気に入っている様子だった。
カズトは呆れ顔で言う。
「……すっかり王女の設定を受け入れてるな」
「当たり前だ!」
ルリは得意げに腕を組んだ。
そんなやり取りを見ながら、ゴンゾがマリアに声をかける。
「それで……どうでしたか?」
マリアは表情を引き締めて答える。
「今夜、セレナ様が直接会いに来ることになりました。
もちろん、隠密で」
ゴンゾがゆっくり頷いた。
「そうか……」
マリアは続ける。
「そこで、今後の方針も話し合われることになるでしょう」
夕陽が道場の床を赤く染めていた。
この小さな道場で、王家の運命を左右する会談が行われようとしていた。
〜
その日の夜
「失礼します」
小さな声とともに、道場の戸が静かに開く。
姿は見えない。
しかし、気配だけがゆっくりと中へ入ってくる。
隠蔽魔法で姿を消したまま、セレナ達が道場へと足を踏み入れたのだ。
「お待ちしておりました。セレナ王女殿下」
ゴンゾが、いつになく丁寧な口調で頭を下げる。
その隣で、ルリはじっと前を見つめていた。
やがて空間が揺らぎ、隠蔽魔法が解ける。
そこに現れたのは、長い金髪を揺らす一人の女性。
王国第一王女セレナ。
ルリは、少しだけ戸惑いながら口を開いた。
「……あなたが、私の……お姉ちゃん?」
その言葉を聞いた瞬間。
セレナの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
「……っ」
堪えていた感情が、溢れ出す。
セレナはゆっくりと歩み寄り、ルリの前で膝をつくと、そのまま強く抱きしめた。
「初めまして……」
震える声で、優しく告げる。
「セレナです。あなたの、お姉ちゃんです」
その腕の温もりに包まれた瞬間。
ルリは、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
赤ん坊の頃の記憶など、あるはずもない。
それなのに――
どこか懐かしい。
なぜだか、安心する。
その感覚に、ルリの目にも涙が浮かんだ。
「……っ」
やがて、ぽろぽろと涙がこぼれ始める。
気付けば、ルリもセレナの服をぎゅっと掴んでいた。
「う……うぇぇ……」
思わず泣き声が漏れる。
その様子を見て、ゴンゾが慌てて声を上げた。
「こ、こら!静かにしないと――」
しかし。
「大丈夫ですよ」
静かな声がそれを止める。
振り向くと、マリアが微笑んでいた。
「風魔法で防音しております。声は外には漏れません」
道場の中には、静かな風が満ちている。
外界から切り離された、小さな空間。
その中で、離れ離れだった姉妹は、初めて再会した。
二人がようやく落ち着いた頃、道場の空気も少しだけ静かになっていた。
セレナはルリの肩に手を置いたまま、ゆっくりと口を開く。
「これからの事を……話さなければなりません」
その言葉に、場の空気が引き締まる。
「ルリ……あなたが生きていると知られれば、間違いなく、命を狙われる可能性が出てきます」
ルリはきょとんとする。
「だから……残念ですが、私と一緒に暮らす事はできません。出来る事なら……王都から遠い場所へ行き、ゴンゾさんと二人で静かに暮らすのが、一番安全です」
セレナの言葉は理にかなっていた。
しかし――
幼い王女には、その理屈は受け入れられない。
「どうしてだ!」
ルリは立ち上がる。
「ルリはお姉ちゃんと一緒に暮らしたいぞ!カズトとももう会えなくなるなんてやだ!」
必死な声だった。
その言葉に、セレナは困ったように微笑む。
だがその瞳には、同じ気持ちが宿っていた。
きっと、自分が瑠璃の立場なら同じことを言う。
「……ならば」
一度深く息を吸う。
そして、はっきりと言った。
「第二王女として、返り咲くしかありませんね」
先ほどまでの提案とは、まるで真逆である。
「……え?」
カズトが思わず声を漏らす。
「いや、セレナ様。それが出来ないから困っているわけなのですが……」
当然の反応だった。
だがセレナは落ち着いたままだった。
「このまま王都にいれば、いずれルリの存在は知られます」
ルリを見る。
「この才覚です、隠す事も難しいでしょう。それに……」
小さく笑う。
「ルリの性格では、そんな窮屈な生活は出来ないでしょう」
それを聞いたルリは、その通りだと言わんばかりに胸を張っていた。
「ならば、第二王女の存在を正式に認めさせるしかありません。過去の失態も含めて、すべて」
ゴンゾが腕を組む。
「ほう……」
セレナは続けた。
「いっそ、大々的に公表してしまえばいいのです。
そうすれば、殺しても意味はなくなります。
王族暗殺は当然国家問題になりますから、意味のないリスクは犯しません。」
道場が静まり返る。
それは、あまりにも大胆な策だった。
「お父様とお母様には、私から話します。
多少のフォローとして、私がルリを救い出した事にすれば、いくらか印象は良くなるでしょう」
その言葉には、王女としての覚悟があった。
すると。
「むずかしい事はよくわからん!」
ルリが元気よく言って、全員がそちらを見る。
「でも!お姉ちゃんと一緒に暮らせるならそれでいいぞ!」
一瞬の沈黙のあと、思わず全員が苦笑した。
「もしこれが、第一王子や第一王女の話であれば、跡目争いに直結していたでしょう」
王族の継承問題は、国を二分する争いになる事もあり得るが、今回は違う。
「幸い、ルリは第二王女です。王位継承の中心ではありません。
ですので、権力争いに深く巻き込まれる可能性は低いでしょう」
確かに理屈は通っているが、問題は別にある。
「ただし、王女誘拐という事実は、王族と貴族の力関係に多少の影響を与えます」
王族の威信が揺らぐからだ。
もし王家が弱いと見られれば、貴族達は勢力を広げようとする。
だが、そこでセレナは、ふっと微笑んだ。
ゆっくりとカズトと零を見る。
「でも、私にはカズトと零がいます」
突然名前を出され、カズトが目を瞬かせた。
「……え、俺?」
セレナは頷く。
「これまでのムカデ幹部討伐の成果。それだけでも王都では十分に話題になっています」
それは事実だった。
王都を長年蝕んでいた裏組織。
それの幹部を立て続けに討伐したのは、セレナが所有する奴隷だったのだから。
「それに、戦技祭も近いです。そこで優勝すれば、貴族達にも、力の差を理解させる事ができます」
単なる武勇ではない。
王女セレナの背後にはこれほどの戦力がいると、それを示す事が出来る。
「そうなれば、王家としてのバランスも取れるでしょう」
道場の中が静まり返る。
セレナの策は大胆でありながら、現実的でもだった。
「くく……王女様も、なかなか腹が据わっておるな」
「いや、ちょっと待ってください。つまり俺、戦技祭で優勝前提の扱いになってません?」
セレナはにっこり微笑んだ。
「もちろんです」
逃げ道はなかった。
横で零が静かに言う。
「頑張りなさい、カズト」
「他人事だなお前!?」
すると、ルリが元気よく手を挙げた。
「ルリもその大会に出るぞ!」
全員が一斉に止めた。
「「「それは無理」」」
「なんでだー!!」
納得のいかないルリだった。




