手合わせ
三人は訓練場へと移動する。
石造りの通路を抜け、扉を押し開けた瞬間――
訓練場の奥から、重い金属音が響いた。
乾いた衝撃音が広い空間に反響する。
先に使っている者がいるらしい。
視線の先にいたのは、昼間にぶつかった高等部の女子生徒だった。
彼女の前には訓練用の鋼鉄人形が立っている。
本来は武器や魔術の威力を測るための的だ。
並の生徒なら、魔力強化か武器を使ってようやくまともに揺らせる代物。
だが――
彼女はそれを、素手で打ち据えていた。
踏み込みと同時に放たれる正拳。
鈍い衝撃音が鳴り、人形の胴体がわずかに軋む。
続けざまに、肘。掌底。蹴り。
無駄のない連撃が流れるように繋がり、鋼鉄の巨体が重く震えた。
まるで打撃の型をなぞるような動き。
しかし一撃一撃には確かな重みがあり、空気がわずかに揺れる。
「……なにあれ、魔力纏ってないわよね?
素手であれは、ちょっと引くわ」
零が小さく呟く。
「見てるこっちの手が痛くなるな」
確かに、魔力の発光はない。詠唱もない。
純粋な体術だけで、鋼鉄を揺らしている。
最後に放たれた一撃。
鈍い音とともに人形がぐらりと傾き――やがて静寂が戻った。
彼女は息を整えるように一度肩を落とし、ゆっくりと振り向く。
そして三人の存在に気づいた。
一瞬だけ目を見開き、すぐに表情を整える。
そして静かに頭を下げた。
「これはセレナ様。またお会いしましたね。昼間は大変失礼しました」
予想外の丁寧さに、カズトが少し驚く。
「いや、こっちこそ」
「訓練場を使われますよね。すぐに片付けます」
そう言って、人形に手を伸ばす。
「お待ちなさい」
静かに声をかけたのはセレナだった。
その声音には、柔らかながらも自然と人を止める力がある。
「あなたの訓練を妨げるつもりはありません。むしろ、少しお願いがあります」
「……お願い、ですか?」
セレナは穏やかに微笑んだ。
「こちらの彼と、軽く手合わせしていただけませんか」
カズトが目を瞬く。
「え?」
彼女はゆっくりと視線をカズトへ向ける。
値踏みするような目ではない。
ただ静かに観察している。
「中等部、ですよね」
「はい」
「たしか入院されていたと聞きましたが」
零がぴくりと反応する。
「なんで知ってるの」
「執行部の噂は、高等部にも十分すぎるほど響いています。その生徒が入院したとなれば、すぐに広まりますよ」
淡々とした返答だった。
セレナが言葉を続ける。
「彼は感覚を取り戻したいそうです。あなたほどの体術の使い手が相手なら、これ以上ない機会でしょう」
わずかな沈黙が落ちる。
「……構いません。軽くであれば」
カズトは苦笑する。
「軽く、でお願いします」
零が腕を組む。
「無茶したら止めるからね」
「分かってる」
彼女は一歩下がり、軽く頭を下げた。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね」
カズトも姿勢を正す。
「俺はカズトです」
「申し遅れました。私は……エリカです」
短く、無駄のない名乗りだった。
それ以上の言葉はない。
だが、その静かな声には不思議な落ち着きがあった。
「エリカさん。一応聞きますが、魔力は使ってもいいんですよね?」
「もちろんです」
エリカは静かに構えを取る。
自然体なのに、隙がない。
「人形相手ではすぐに壊れてしまうので、使っていなかっただけですから」
淡々と続ける。
「今回は私も使わせてもらいますので、遠慮なくどうぞ。それから――私に敬語は不要です」
わずかに視線を逸らし、付け加える。
「余計なことに巻き込まれたくもないので」
王女の持ち物でかつ、話題の生徒会メンバーのカズトに敬語を使われている特待生と言うのは、あまりよろしくないみたいだ。
「わかった。それじゃあ――いくぞ!」
瞬間、魔力を身体に纏う。
淡い光が脚部へと集中する。
筋肉の動きに合わせて、魔力が流れる。
爆ぜるような踏み込みで、地面を蹴る。
一気に間合いを詰め、回し蹴りを放つ。
鋭い風切り音が訓練場に響いた。
だが――
エリカの姿が、わずかに揺らいだ。
次の瞬間、カズトの蹴りは空を切る。
「なっ――」
視界の端。
低い姿勢から、滑り込むように接近していた。
脇腹へ迫る肘を、反射的に腕で受ける。
鈍い衝撃が骨まで響く。
(くっ、重い!)
単純な威力ではない。
芯を打ち抜くような衝撃が、魔力越しに伝わってくる。
エリカは間合いを取り直し、静かに言った。
「速いですね」
言葉ほど驚いている様子はない。
「そっちもな」
零が小さく呟く。
「本調子じゃないとは言え、今のカズトの動きについて来れる学生がいるのね」
セレナは顎に手を当てて目を細める。
「これは……中々いい手合わせになりそうですね」
戦局は一時、硬直していた。
カズトが速度で間合いを制する。
踏み込み、連撃、離脱。
流れるようなヒットアンドアウェイ。
自分の方が速い。
それは間違いない。
だが――
エリカは最小限の動きで、それを受け流している。
受ける。
逸らす。
いなす。
正面からは打ち合わない。
蹴りは紙一重で外れ、拳は肘で軌道を変えられる。
魔力で底上げされた身体能力を、彼女は純粋な技術だけで封じていた。
(くそ……入らない)
カズトが距離を取った瞬間、エリカが口を開く。
「あなたの戦闘スタイルは――我流ですね?」
唐突な問い。
「……悪いか?」
「いえ」
今度は彼女から一歩踏み込んできた。
迫り来る掌底をカズトが弾く。
その瞬間――
足払いにより、体勢がわずかに崩れる。
「無駄が多い」
淡々とした分析。
「速さはあります。魔力の扱いも良いです。
が、所作が単調です」
押し込まれる。
「基礎の型もない」
強く弾かれ、カズトは数歩後退する。
靴底が床を擦り、わずかな音が響いた。
零が小さく呟く。
「……見抜かれてる」
セレナは静かに頷く。
「ええ。あの方、相当場数を踏んでいますね」
「なんだ、説教か?」
カズトは息を整えながら笑う。
「いえ、アドバイスです。本気で戦技祭を狙うなら――矯正した方がいい」
それは挑発でも嘲笑でもない。
ただの、純粋な指摘だった。
「面白いこと言うな」
魔力をさらに濃く纏う。
「じゃあ、我流の限界――試してみるか」
「ええ。来なさい」




